第18話 アーノルドという男



 ぎっと殺気を込めて花嫁を睨みつける。


 戦場で誰もが恐れた顔だと自覚している。敵対する連中は恐れおののいて。一説によるとその姿を見るだけで逃げてゆく、顔を見て生きて帰れたらラッキーとまで言われたから「ブラッディ」の名前がついたのだともいわれている。

 まぁ、親友であり、魔王であるルーチェスクが進む道を邪魔するやつらは全員掃討するのが自分の主義だ。知略で墜とすか武力で墜とすかの違いはあるが、血塗られた将軍と言われて当たり前だ。

 ルーチェスクは魔界の平和を望んでいる。魔力がすべての世界だが、だからといって理不尽に命を奪って良いとは言えない。

 その考えに賛同したから今までついてこれた。これからもついてゆく。


 ルーチェスクはどれだけ孤独で、どれだけ努力しているかを知っている。だから、本懐を遂げてほしい、幸せになってほしい。

 それが自分の願いだ。


 ルーチェスクの本懐を、幸せを壊すような『花嫁』はいらない。必要なら注進する。それでルーチェスクが自分を疎むのならそれで良い。袂を分かつならばそれでも良い。その覚悟もあった。


 それだけの『藤間の花嫁』であってほしいと思うが、それだけの花嫁ではなかったら…ルーチェスクに害成す存在の花嫁ならば…人間の女ごときに、負けはしない。

 元公爵夫人の母親、カミラはすっかり彼女に惚れこんではいるが、「人間」であることが惜しいと言っている。「人間」であるが故に侮られることが悔しいと。


 しかし、自分は多くは望まない。ルーチェスクを癒し、魔界で生きてゆけるだけのしなやかな花嫁であってほしいと思うのは欲張りだろうか。


 親友は、誰も背負えない責任を負っている身だ。もちろん、親友として、家臣として彼を支える気持ちに変わりはない。

 だからこそ、ルーチェスクと同じ方向を見て、彼を癒し、魔界で生きてゆく覚悟のある花嫁が欲しい。万一、親友の気持ちを乱す花嫁ならば容赦しない。

 場合によっては命を懸けても、「是」とするなら花嫁を廃さねばならない。

 それを成せば、自分の命はないだろう。だが、それでよい。

 親友が賢王としてあることがその望みならば、その望みを邪魔する花嫁は、廃さねばならない。それが、親友としての証なのだ。


 さあ、どう動く

 藤間の花嫁よ



 ぐるぐると思考を巡らせて、ギリリとにらんだ将軍の視線を受けたが、当の椎名は興味津々といったふうで、その視線をさらりと受け流している。ニコニコと笑みは絶やさない。そして、すっと立ち上がってすたすたとキレンスキー公爵に近づいた。


「やっぱり。とっても綺麗なオッド・アイね」


 膝をついたアーノルドと同じ視線になるために、同じように腰を落とし、片膝をついた椎名はその顔を覗き込むような形でそう言った。表情も終始変わらない。穏やかなニコニコ顔だ。


 この女はあおっているのか、バカなのか、とますます殺気を込めたのは将軍の方だった。その魔力に中てられて、空気中の水分が凍り、きらきらと舞い落ちる。

 大広間にきれいなダイアモンドダストが降る。

 それ以前に全員の動きが、空気がぴきん、と凍っていた。


「気合い入れて殺気立って、怖がらせようって魂胆でしょ?キレンスキー公爵って楽しいお方ね」


 うふふ、と笑った椎名の目も本当に笑っている。楽しそうだ、とルーチェスクは思う。

 そして、親友の戸惑いも手に取るようにわかる。



 まるで馬鹿な空気の読めない女を演じるようににっこり笑って椎名は立ち上がった。ルーチェスクの理解者がここにもいて、正直にうれしい。


「私が怖くありませんか?」

「そうですね、これでも精一杯で、怖くて足が震えてますけど」


 ちょっとおどけたようにそういう姿は、丸っきり馬鹿な女だとアーノルド・ブラウン・キレンスキーは思う。しかし、実際、ドレスは足の震えを伝えていないから揺れていない。

 そして、聡明なあの親友がこんな女を、人間ということを差し引いても選んだということに疑問が生じる。いつも手厳しい母親の評価も気になる。

 第一、馬鹿な女になり切るのであればわざわざ自分の前には来ないはずだ。それだけの殺気を込めている。


 つまり。

 これは芝居なのか?


 ふと、カマでもかけてみるかという気になった。

「貴方はただの人間です。私からすると、それ以上でもそれ以下でもない。怖くて足が震えても、逃げ出したとしても何も恥じることはありますまい」

「魔界で公爵を名乗るのはフェデリック公爵とキレンスキー公爵のお二人だけ。つまり、それだけ陛下の信任が厚いということです。陛下のために己の命をも投げ出す貴方に、貴方の顔が怖いからと言って逃げ出すなど、失礼以外ないでしょう?それに、私は、貴方よりも弱い。貴方を害そうという気持ちは全くないのですから、逃げることも隠れる必要もない。それとも、貴方は理不尽に精神的にも肉体的にも傷つけることを一種の価値観として容認されているのですか?」


 逆に笑って切り返された。正当な理由なく剣をふるうことはない、という信頼を椎名は預けてきたのだ。

 親友のルーチェスクの、為政者としての矜持の一つをもって。


「貴方が理不尽に傷つけることを是とされる方なら、私が近づいたときに剣を向けているのではないですか?」

「そういった価値観は持ち合わせてはいません。けれど、もしも貴方が、陛下にとって害となる人間なら、私は自分の命をかけて貴方を切る覚悟です」


 その言葉に、再び全員が凍り付いた。つまり、魔王にとって害成す存在ならば誰が何と言おうと切り捨てると宣言したのだ。

 魔王の命令でも背くことはいとわず、という覚悟だ。


「安心しました。それは貴方の役目ですものね、その時は迷わずそうすると良いわ」


 椎名はにこりと笑いながらそう返したが、意表を突かれたのはアーノルドの方だった。


 すべて、承知の上で「演じている」のだ、この女は。

 それに気がついて油断した。その一言で、アーノルドの鬼の形相が普段のいつもの美丈夫な男の顔に変わっていた。


「あらぁ、イケメン」

 はっとして、自身の形相を解いたことに驚く。ペースが椎名のペースなのだ。

「私の役目だと、何故そう思うのですか?」

「人を束ねるには、前を見る目と後ろを見る目が必要です。陛下が人を率いて動くのであれば、参謀はフェデリック公爵が、全体を見渡し、時に後ろの目となるのは貴方の…キレンスキー公爵の役目ではないのですか?」

 その役目を負うがこそ、オッド・アイの目を持つ者がこの公爵家に生まれるのだ。

「魔界には公爵家を名乗る家は二つ」

「はい、その通りです」

「それは、公爵家だけが持つ意味があるからではないですか?勿論、貴方は公爵家と言う家柄に胡坐をかいているわけではないでしょう?将軍と言う責の重さにも充分自覚があるからその職に就いているのではありませんか?」

「…ですが、俺は若造です」

「あら、そうなの?私なんか17歳よ?私よりも若いの?」


 からからと笑って周囲に再び「馬鹿な王妃」を印象付ける。これには当のアーノルドが笑った。大した役者だ。


「本当、面白いお嬢さんだ。いや、失敬、王妃様ですね。ルーがデレデレのぞっこんなのが良く分かる」

 ルーチェスクがくつくつと笑った。長年苦楽を共にした親友としての彼を信頼してもいるし、仕事上、立場上の彼も信頼している。だからこそ、椎名の存在を認めてほしかった部分もある。

 その思いを、椎名とのちょっとしたやりとりで悟ってしまった。ほっとした部分もあるし、共鳴する部分がある男だと見直した。


 対する椎名と言えば、ふわりと微笑んでいる。いつもと変わらない。



 とらえどころなくフラットな感情を見せる椎名に、さすが、親友が愛した女だけある、とアーノルドは思う。

「アーノルド・ブラウン・キレンスキーです。以後、ロブとお呼びください、藤間の王妃様」

 アーノルドは帯剣していた剣を、椎名の前に差し出した。

 それは、臣下として、椎名に忠誠を誓うという意味であり、ここでその契約をしたいという意思表示だった。

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