第10話 儀式1



 ルーチェスクに抱きあげられて入った先、おそらく彼のプライベートエリアのリビングらしき部屋で、人型の女性が待っていた。

 魔族ではあるが見た目は人間と変わらない。メイドだとわかる紺のワンピースに白いエプロンを着た彼女たちは頭を下げていた。


「侍女のエミリーとアルマだ。今日から専属だ」


 そう紹介されて初めて顔を上げた二人は、完全にフランス人形のような人間タイプの魔族だった。魔族には様々な形状の者がいると説明はしたが、まだ慣れないうちは人間タイプの魔族の方が良いかと思って腹心の侍女を付けた。エミリーもアルマも教育係としてもふさわしい。続けてルーチェスクは彼女たちのことをそう紹介した。


「花嫁のトーマだ。まだ全部の儀式が済んでいないから花嫁からの挨拶はさせられないが、全部終わったらお互いに言葉を交わしてよい」

「よろしくお願いいたします」

 二人は頭を下げた。花嫁からは声をかけてはいけないと言われたので、椎名はそれを受けて頭を下げた。


「ここは良い、私がやる。エミリーは部屋の準備を」

「はい」

「アルマはサンドイッチか何か、軽いものを調達してきてくれ」

「かしこまりました」

 てきぱきと二人は動き始めた。


 椎名の背中を押して更衣室に入れば、完全に焦ったようなパニックになっている。まずは、人間界の「いろいろ」を魔界に持ち込まれては困るので身体を洗わなければならない、と説明したので浴室前の更衣室までは素直だったが。


「あ、あ、あ、あの、ルー」

「何だ?」

 鏡に映る自分の姿がそんなに恥ずかしいのか。まだ脱いでもいないのに。


「悪いな、待っていられるほど余裕がない」

 さらりと衣類を解いて椎名を全裸にする。

「え?」

 一歩踏み出して椎名を抱き上げれば自分の衣類も解き放った。

「どうして?」

「つまり、人間界のイロイロを洗い落とすのは夫である俺の仕事だし、いちいち脱がせるよりも魔法を使った方が一瞬だ」

「いや、そこは自分で洗います」

「わるいな、決りなんだ」


 椎名の体は華奢だが、鍛えられている綺麗な女性らしいラインを保っている。魔族にありがちな肉感的な体のラインではないが、欲情を誘うはかなさがある。

 そして、極上の女の香りがする。それは俺の番の香りだという証明。

 自分の本能が「番である」と主張している香りがルーチェスクの鼻をくすぐった。


 洗い場に降ろして座らせると、手際よくスポンジにジャバジャバと泡を立てて椎名の体を優しく洗うことに専念する。



 本当に、もったいないことをした。

 本来、血の契約の後は誰とも接触させないつもりでいたのに、あのバカのおかげで大勢の前で姿をさらすことになった。

 ま、血の契約の後は花嫁の香りは俺の番としての香りに変わっているから、おいそれと手を出すような輩はいないとは思うが。

 完全に花嫁にするまでは、他の魔族とできるだけ接触はさせたくないのだ。

 血の契約だけでは足りない。

 花嫁を、完全なる花嫁にしなくては。



「あの」

 何度目かの小さな抗議の声と、動かす手を制されたことでルーチェスクは椎名に視線をやった。椎名の仕草から、恥ずかしいという気持ちが伝わってくるがルーチェスクとしても譲れない理由がある。

「自分でできます」

「ダメだ」

 即答で却下しつつ、ルーチェスクは椎名の腕に泡を乗せてすらりと撫でた。


 そう、撫でたのだ。


 それから泡を乗せるように指先からゆっくりマッサージしてゆくように洗ってゆく。一度目は事務的に。二度目は少しずつ、探るように気づかないほどの微力の魔力を流しながら。


 微力ではあるけれど、「番い」の魔力を流された者はどうなるのか。


 男でも女でも、相手が番ならば強制的に発情する。ただ、今はそれが目的ではないから極力体を触るだけにとどめている。


 だからこそ、刀を介しているとはいえあの男の触れたのは許しがたかった。

 不可抗力だったならなおさらだ。


「お前の刀があの馬鹿に触れたかと思うと腹が立つんだ。やらせろ。自分に腹を立てているんだ。お前は悪くないがな」

 椎名は、その行為がルーチェスクの男としての矜持をあの男に傷つけられたからでもあると気が付くが。

「あの馬鹿って…あのなんちゃら伯爵?」

「どうして息の根を止めなかった?」

 最大の疑問はそこにある。


 彼女の魔力はきちんとコントロールすれば他の魔力を無効にし、清浄化する力があるのだ。人間界では普通に使っていたようだが、魔界でそれをやるとなると大暴走となる。だからセルジュがそうならないように、彼女の刀を媒介に加減したのはすぐにわかった。

 だが、それ以上に彼女自身が物理的に急所を外した。彼女には完全に息の根を止めるだけの実力がありながらそれをしなかったのだ。


「あの時、お前は殺さなかった。意味があるのか?」

「大広間で殺すのはまずいでしょ?しかも、私はまだ中途半端な立場だからこの国の法律を知らない」

 そんなことを考えてあの見事な太刀裁きを途中でやめたのか、と驚いた。

 彼女は馬鹿ではない。召喚された自分はまだ完全な立場ではないと、十分に自覚している、と。

 それから椎名はルーチェスクからすっとスポンジを取り上げると、彼の背後に回って背中を洗い始めた。

 殺さなかったには理由がある、と知ったルーチェスクは椎名の聡明さに言葉を失っていた。


「それに、普通の女の子は初めて会ったばかりの男性とお風呂には入りませんし、こういうこともしないですし」

「そうか?襲ってくる霊や魔族をためらいなく切り捨てているとの報告があがってはいる。俺はよほど豪胆な女性かと思っていたが」

「襲われたら反撃します。当然です。でも、わきまえるべき時にはわきまえます」


 そうなのだ。セルジュからの定期報告では、彼女は襲ってくるものに対して容赦がない。特に殺意を抱いて襲ってくるものに対しては。

 セルジュは人間界での花嫁教育の一環として、ひそかに魔物退治をすることを推奨してきた。それが「魔力」開発の手助けとコントロールになるからで、思った以上の成果を上げていることは本当に幸運だった。


 だからどうか、この先は手荒に反撃しないでほしいと思いつつ、背中を洗い上げる椎名を小さな術式で拘束する。


「え?」


「悪く思うなよ、花嫁の体を隅々まで洗うのは花婿の仕事だ」

「きゃっ」

 両手足を大の字になるように拘束する。ショックを与えないように拘束している「蔦」は透明に見えるように変化させている。

 椎名はたちまち羞恥に顔を染めるが、ルーチェスクに対して反撃はしてこない。どこまで動けるのか、とあちこち手足を動かしているが、ほとんど動けない。両手足のほとんどと腰に拘束をかけてある。

 その状態で椎名を抱きしめ、キスを落とした。

 椎名の緊張が伝わって来るが、構わず先を続ける。

「大丈夫だ、俺がお前に愛を乞うだけだ」

 なだめるようにキスを顔中に落とし、抱きしめ、愛の言葉を囁く。

 何年、この花嫁を待ち続けてきたのか。

 何年、その成長を楽しみにしてきたのか。

 何年、日々成長する椎名に恋い焦がれてきたのか。

 そして魔王として最上級の愛を囁いてこの女の愛を乞わねばならないのだから。

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