第9話 ルーチェスク
「どうした?」
くつくつと笑いながら王城の中を歩くルーチェスク。まるでこれからのことが楽しみでたまらないように。
「楽しそう」
「ああ、楽しみだ。お前は私を楽しませる。だから私はお前を楽しませる。最初はそれで良い。ゆっくり知っていけば良い」
実際、ルーチェスクにとっては楽しみでたまらない。
腕の中の人間の女性は耳まで真っ赤にして、落ちるかもしれないと抱かれるまま、じっとしているが、内心相当恥ずかしがっていることが伝わって来る。
彼女は、一見急速に魔界で生きることを受け入れようとしている。本人にとっては苦難であることは間違いない。けれど、「彼女が魔界に及ぼす影響」がどんなものであるか、それを知っている自分としては彼女を決して死なせはしない。
受け入れようと彼女が努力しているのであれば、彼女が生きたいと願うなら、たとえ真綿で首を絞めるように死に向かったとしても、彼女の気高き努力に敬意を表してできる限りを尽くそう。
彼女を死なせないように、そうならないように誠心誠意、彼女に尽くそう。
既に血の盟約を交わしたことで、彼女と魔界との相性は非常に良いことは分かっている。だったら、あとは彼女の気持ちが自分から離れないようにつなぎ止め、出来れば子を成すほどになりたい。ただし、子を成すのは相当に難しい。いろいろ問題があるからだ。だが、不可能ではない。
時間はまだある。まだ始まったばかりだ。今は、魔界できちんと生きて行けるように愛してやらねばすぐに命を失ってしまう。
人間が魔界で生きるのは文字通り、真綿で首を絞めるようなものだ。
人間は魔力を持たない。いや、持ってはいるが、人間の世界でそれを使うようなこともなければ物理的に魔素が作用する空気でもなければ磁場でもない。その代わり、人間の世界では科学が発達している。魔界にも科学はあるが、人間界のそれと違って発達は遅い。
魔界では、魔素がなければ植物も育たない。植物が育たないから荒野となり、魔族は住むことはできない。住める街に集中すれば、今度は魔素が足りなくなり、魔族の間で争いが起きる。争いが起きれば、魔族はその数を減らしてゆく。
だが、一方で魔素は人間の体を蝕むのだ。人間の体内に潜む魔素は、他の魔素にとって養分であり、ドーピング作用がある。本来、魔界に存在する魔素はより強い人間の魔素を食料とし、それらを食い尽くそうとする。人間は生きている限り魔素を作り出す力はあるが、それよりも魔素が食らいつくす時間の方が先だ。つまり、人間の体は魔素の発電機と同じで、それは人間である限り、延々と発電することになる。
もちろん、食らいつくす方が先になれば人間は生きてはいない。
召喚した花嫁に起きる第一の試練といって良い。
過去、召喚した花嫁が召喚後に起きる数々の障害の中でも一二を争う問題だ。
だが、この魔素は逆に重要なキーワードなのだ。
召喚した花嫁が生きているということは魔族にとって上々なことではあるが、召喚そのものが魔界にとって重要であるということはあまり知られていない。
まだ研究段階なのだが、召喚が成功した場合、魔界の魔素に変化が起きて出生率やら新種発見率やらが格段に上昇する。つまり、花嫁の召喚そのものが魔界の栄養分なのだ。
花嫁として選ばれる人間は、男女にかかわらず魔界との魔力の相性が良く、魔力量とか魔力袋とも呼ばれる、魔力を貯めるタンクがより大きい者が選ばれる。
人間界を行き来するサクラの第一の使命は、藤間の一族の中から大きな魔力袋を持つ人物を特定することになる。それから花嫁として生きてゆけるだけの力があるかどうかの教育。
その才能が開花するかどうかは分からない。けれど、魔界で生きてゆけるだけの、例えば学術的に何か優秀であったり、ある者は家事育児が得意であったり、ある者は武芸一般に秀でていたり、といったような才能があるのかどうなのかという見極め。
人間界における藤の花嫁に多いことだが、「退魔師」と呼ばれる、魔の物を退治する力を持っている者が多く、それを生業として生きてきたものも多い。
ごくまれに「浄化師」としての才能があったものもいる。魔の物を浄化する力を持っている者だ。
今、ルーチェスクの腕の中にいる女性は、「退魔師」として生きていながら同時に「浄化師」として生きてきた証がある者だ。
両方の才能があるということは珍しくはない。ただ、驚くのはその魔力量だった。
報告では聞いていたが、魔力量が非常に多い。ということは、魔界になじめる可能性がかなり高いということでもある。
ただ問題は。
人間の魔力量が高くても、人間自身がその魔力をコントロールする力がなければ全く意味をなさないということなのだ。
ただ、彼女は優秀な退魔師であると聞いているのでそのコントロールに期待できる。まぁ、第一関門を抜けることができればの話だが。
だからこそ期待するし、この者を手放したくはない。
少しでも望みがあるなら、共に生きる夢を持ちたい。
そのためには、まず自分と共に歩むことを選んでくれなければ。
ともに生きることを選んでくれなければ。
それが、今のルーチェスクの想いだった。
「お前は私と話すことが怖くないのか?」
「何故?」
完全に疑問形で椎名は尋ねてきた。
「嫌われて当然だと思っている。いきなり召喚して自分が暮らす世界とは違う世界に連れてきた。生活様式も食べ物も違う。しかも人間とは種族が違う。そんな不合理を要求しておきながら生きろと迫る。しかも、いきなり番になれと迫る。嫌われて当然だし、異種族というのは人間からすると嫌悪の対象だ。怖がっても仕方ない」
「そういう意味では怖いですよ。人型だとは言え、貴方は魔族なので違和感が強いです。けれど話している限り人間と変わらないなぁとは実感していますけど。もっと言葉がわからないかと思いました。もしかして、日本語しゃべっているのかどうかも怪しいですけど」
「そうだな。正確には自分が思ったことを言葉という音にして話している。だから同じ魔族でも言葉として話す者がいて、音として話す者がいて、けれど、共通して言わんとする言葉は自動的にお互いに理解できる。それはお前の魔力が足りているからだ。そういうもの、としか我々も理解していないがな。魔界では言語が違うということは存在しない。種族が違えば発声が違うから、人間で言えばそこが言語の違いなんだろうが、まぁ、魔力が理解できる言語に変換していると考えて良い。だから、読み書きも一緒だ。すぐに慣れる」
花嫁として人間界から召喚する以上、魔力の選定は必ず行われる。生まれつき、魔力袋を持っているかどうかは花嫁が魔界で生活するために必要な要素だからだ。
けれど、言葉がわかったとして一言も話さない花嫁も多い。環境の変化について行けなかったり、この変化自体を拒否する花嫁がいるからだ。
しかし、それで良い、とルーチェスクは思っている。
人間と魔族は寿命が違う。だから花嫁候補とされる20年足らずの歳月は、長寿を誇る魔族にとっては何のことはない歳月ではあるが、人間にしてみたら生まれたばかりの赤子がようやく大人として花開く歳月でもある。
とはいっても、この人間は、ようやく大人の入り口に立った年齢だと聞いている。基礎教育を終え、これから自分の将来に向けての上級学校に入学するための勉強を積む段階にいるというというのに。
そんな時に魔界に強制的に連れてこられるのだ。困惑するのが普通だ。
「何か不満そうだな」
「皆の前であんなこと言うんだもの」
先ほどの大広間でのことを言っているらしい。
「人間は愛を乞わないのか?」
「少なくとも、私達日本人はあからさまにあんなことは口にしない」
「つまり、二人だけの秘め事としているのか」
「恥ずかしいから、そういうことはあまり口にしないの」
「なかなか複雑な国民性だな。日本人は、というと、他の国の国民は愛を乞うのか?」
「そういう国民性の人達もいる」
「魔族は明らかにする。油断すれば他の魔族に取られてしまうからな」
「取られる?」
「魔力が強いものが支配する。だから魔族は結婚という概念が薄い。番の概念がある種族もあるが、弱い魔族は複数と関係を持つこともある。より強い魔族と関係を持とうとするからな。自分のパートナーを守るだけの力がなければ、魔界では当然の摂理だ。最も、ここに出入りする者は殆ど特定のパートナーと結婚して、それ以外とはあまり関係を持たない。人間は複数の人物と関係を持つことや同性のパートナーを持つことに嫌悪を抱くこともあろうが、魔族は気にしない」
「そうなの?」
「いろいろ、これから知れば良い。夜は長い。まずは湯を使う。それから食事だ。夜の間にやる儀式を済ませねばならん」
ルーチェスクが住居エリアにある、自室のリビングに入った。
何をどうしたらどうなるのか、ドアが自動で開くのも不思議だと椎名はこぼした。
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