第8話 魔界


 ざわめきと人の気配にふと目を覚ます椎名。どうやらうとうとしていたらしい。

 けれど、目を覚ましてみればそこは広間のど真ん中。目の前の玉座には魔王であるルーが座っていて、その左右には黒いマントの老紳士が二人。階段を下りたところには白銀の鎧を着た兵士二人に槍を構えられ、ひざまずいた男が一人。

 どういうわけか広間の真ん中に置かれたベッドの上にいるのだ。


 最初に部屋に案内されたときに思ったのだが、部屋のつくりはどう見ても中世ヨーロッパあたりの建築様式である。だからといって重厚なドレープを描くカーテンとか派手な装飾というものはない。もちろん、装飾のためのドレープカーテンなどはあるが、落ち着いた色の、軽い生地で出来た布が使われている。

 ベッドの天蓋部分もそもそもフワフワした記事でおおわれていたが、今はそれはなく、ベッドヘッドの装飾もほぼほぼシンプルなアンティークベッドという感じであった。 


 そして、長方形の部屋の左右に人間タイプや鬼タイプや動物タイプなど異形の魔族が並び、ウニョウニョ触手を伸ばしているだけのような、モジャモジャのモジャコさんのような魔族もいる。そうかと思えばスライムのようなドロッとした魔族もいる。

 びっくりするような容姿を持った魔族もいるが、共通しているのは魔王への尊敬である。

 野心があったり、それぞれ思うことは違う部分はあるが、それでもルーチェスクに対する畏怖と尊敬。ヒトによっては、崇拝も思慕も読み取れる。


 壁際には、玉座から等間隔に配置された白銀の鎧の兵士がやはり左右に並んでいる。中世のお城でよく見るような大広間形式の部屋で、かなり広い。ベッドから魔族たちが立っている場所まで3、4メートルは離れているだろうか。


 それに比べて、椎名はそのままガウン姿だった。

 ぎょっとするが、先ほどのネグリジェの上からしっかりガウンを着ているあたりは誰かの差し金なんだろうと察せられた。

 そして、何故か水晶の数珠姿になったセルジュが椎名の手首に巻きついている。


「起こして悪かったな。ちょっと説明してやってくれないか?お前は人間界から召喚された、間違いないな?」

 機嫌悪そうなルーの声。

 圧倒的な威圧感を持って、周囲の魔族の目がぎらぎらと注がれる。


「召喚されたという意味は分かりませんが、気が付いたら、こっちに」

「では質問を変えよう。こっちに来たときの最初の場所はどこかな? 説明してくれないか」

 それは、ルーの目の前に居るマントの老紳士からの質問だった。

 彼は腹黒く戦略家だが、ルーに忠誠を誓っている腹心の部下だ。椎名の目にはそう映っている。信用して良い部下の一人ということだ。


「場所の名前はわかりません。最初は水の中に居て、溺れると思って立ちあがったら泉の中に居て、周囲を見渡したら神殿のような作りの場所で。でもよくよく見ると泉がわき出る洞窟でした。でも神殿には祭壇があって、とてもきれいな泉がありました」

 場所の名前がわからないから、そのままを答えた。その声にどよめきが起きる。

「そこには、だれかいましたか?」

 今度は反対側の老紳士。こちらは純粋に忠誠を誓った、腹黒計算ができないタイプの人だ。

「ルーが…ルーチェスクがそこに居ました」

 この言葉にもまた、ざわめきが走る。

「では、君が言うルーチェスクなる人物はここにいるか?」

 続けて問われた答えに、玉座に座っている彼に視線をやった。それが答えだった。

 この場で座っているのは、ルーチェスクしかいない。

「そのほかには?ここに居る人物の中でその場に居たのは誰ですか?」

「彼だけです。そこに座っているルーしかいなかった」

「そのルーなる人物と話はしましたか?彼から貴方に説明はありましたか?」

「まだ説明の途中ですけど…。ルーが私を呼んだ、自分が召喚したから、花嫁になれと。花嫁を召喚したら、私が来たと」

「それで、貴方の御答えは?」

 腹黒忠臣部下がぎっと睨みながら椎名に突っ込んだ。

「答えて良いの?ルー、こんな皆の居る前で」

「ああ、今は召喚に関する裁判中だ。召喚された人間の言い分も証拠にもなるし、事実を裏付ける証言にもなる。正直に答えればよい。恥じることはない」

 椎名は言いあぐねるように、ぽっと頬を染めた。

「その…はい、結婚します、と答えました」


「嘘をつくな。召喚したのは私だ。それを…」

 激高したのは今まで跪いていた男の方だった。護衛騎士に槍を向けられてはいたが、玉座前にいたその男は身なりからして高貴な人型魔族なのかもしれない。

「お前が召喚したならば、お前のそばに召喚されるのが筋ではないのか? 魔王様が召喚したので清めの泉に花嫁が召喚された。そもそも、召喚術は神殿で行われるか清めの泉で行われるかのどちらかだ。泉から来たと、彼女は証言したではないか」

 そう言ったのは、参列している動物型の魔族だった。彼女は一直線忠誠組メンバーともいえる、女性だった。

「そんなはずはない。私は確かに、それを邪魔されたのだっ。彼女は私の花嫁なのだ。誰にも邪魔させない」

 跪いていた男が護衛騎士を振り切って、椎名の方に向かってくる。

「マジ?」

 恐るべき運動能力でほんの数歩歩いだだけでベッドの中の椎名を拘束しようとしたが、それよりも早く椎名は身をひるがえして動いていた。

 反射的に彼をかわす。ベッドのスプリングが効いた分、タイミングがずれたがそれでも椎名自身は襲撃男から約2m、椎名を守ろうと飛び出してきた白銀の護衛騎士の前の位置だ。

 間合いとしてはもう少し欲しいが、その護衛騎士は逆に椎名との距離が詰まりすぎて武器である槍を構えられない。


 様式美か趣味か知らないか、部屋の中での接近戦に槍はないだろうに。


 けれど、別の護衛騎士は襲撃男が拘束を振り払った時点で一度、槍を突き立てている。空を切ったが。


 第二波の攻撃は確実に襲撃男の体に突き立てられたが、すかっと素通りするようにダメージも手ごたえもない様子だった。

 狙ったのは体の中央、人間でいう心臓の位置だったのだが。


 続けて何度か攻撃しているが、全く効果がない。

 だからなのか、襲撃男は攻撃をかわしつつ、隠し持っていた剣を椎名に突き立てようと動いていた。

「血をよこせっ」


 つまり、ここで椎名の血をドーピング剤として自分が使うか、もしくは血を見れば、他の魔族は魔力増強を願って椎名の血を望み、この場が混乱するだろうという目論見で騒ぎをを引き起こす算段だ。


 どのみち、そうなれば椎名の命はない。

 

「御前だぞっ」

 騒然とする中、襲撃男から椎名を守ろうと盾に入った別の護衛騎士に阻まれ、襲撃男の剣は護衛騎士の盾に弾かれる。

 その腕を切り落とそうとしたルーの剣が襲撃男の腕に食い込み、間合いを詰められた椎名が反射的に「サクラ」を具現化して襲撃男の首を半分、切っていた。


 椎名は次の剣に備えて、剣を構えたままだ。

 その椎名を守るように、背中を椎名に預けたルーチェスクが剣を構える。


 玉座の横に控えていた腹黒忠誠魔族と忠誠一直線魔族がルーチェスクを守るように陣形を整えている。

「人間ごときの剣に…俺は死なん」

「言ったはずだ。藤間は私が呼んだ。守りをつけないまま放置しておくはずがないだろう? 持ってるのは守護の刀だ。お前の再生能力は使えまい」

 剣をしまって、椎名を抱え込むようにルーは隣に立つ。椎名は警戒しながらも構えを解き剣をしまった。


 ルーに切り落されたはずの男の腕がふわりと空中に浮き、襲撃男の腕にくっついた。修復と再生ができるのか、もう指が動いている。

 椎名が刃を入れた首にできた傷は修復と再生を試みようとしている。細胞が活性化しているのか、傷口がぶくぶくうごめいている。血液もだらだら流れている。

「ひゅあ?ひゅあ?ひゃ?」

 傷が治らないことにか、声が出ないことにか、男が不審な目を向けた。

「あいにくだな。花嫁の剣はお前の再生能力を無効にする効果がある。セルジュ、この男は獲物だ。好きにしろ。花嫁を守るのはお前の役目だろうが」

 椎名の中に、セルジュから困惑の意思表示が伝わって来る。


「ためらう必要はないと思うけど。人間を使って魔力増強ドーピングして、仲間と一緒にルーを王の座から引きずり降ろして自分がトップになろうとしたんだから」

 そう言って護衛についたセルジュの腕輪をふるふると振った。

「ほら、出てきなさいよ」

 ところが、彼は椎名の意志に反して出ては来ないし、刀の形にもならなかった。


『ですが、仕留められたのはお嬢様の方ですよ。どうして首を刎ねなかったんですか?』

 セルジュの声だけが、その場に響いた。

「人間界なら遠慮なくそうしていたけど、ここは魔界で、しかも玉座の前だよ。私が一撃で殺すのは、その、つまり、人間が手を下すのは流儀に則ってないから遠慮したんだけど、セルジュは魔族だから関係ないよね」

 椎名はセルジュにそう言い聞かせながら、強制的に水晶に触れると、セルジュは白狼の姿でポンと広間に飛び出した。


「魔王様の幻の懐刀…セルジュ・ローレン・フォン・フェデリック公爵…」

 誰かが驚きの声を以ってしてそう零した。

「ほう、仲間がいたこともわかるのか?」

「王妃様は優秀でいらっしゃる。広間の一同をすぐに見分けられました」

 セルジュは恭しくルーに頭を下げながら、しかし背後の男に警戒を緩めてはいない。

「直ぐに、か?」

「単純明快に忠誠を誓う者どもと、腹黒ながら忠誠を誓うものと、まったくもって形式上忠誠を誓うものと真っ先に分別なされましたからね」

「やはり、花嫁だけある。ジャルダン」

「召喚に関する裁判の途中で反逆して花嫁に剣を向けるのはもってのほか。もはや言い訳はなりますまい」

 ジャルダンと呼ばれたのは、腹黒忠臣部下だった。

「ラルフ、お前は?」

「だれの目から見ても処断されるべきです」

 こちらは忠誠一直線部下の答え。

「他の者も異論はないな?」

 広間をぐるりと見渡す。ビクリと震えるもの、頷くもの、膝をついて恭順を示すもの、さまざまであるが。否という空気はなかった。


「ひゅあひゅあ、ひゅあ、ひゅあ、ひゅあ」

 もがいている男が首からにじみ出る血を泡だてながら反論しようとする。傷口は再生してはいない。むしろ、どす黒く壊死してきて、広がっている。

「セルジュ、身柄を王城から出せば貴族が騒ぐ。憲兵場を使え。後は任せる」

「かしこまりました」

「立ち会わなくて、よろしいのですか?」

 椎名はそう尋ねた。

「お前の方が大事だ。花嫁との初夜を邪魔する奴は許さん」

 ひょいと抱きあげられて椎名はバランスを崩しかけてルーの胸にすがりつく。


 それは、相思相愛の恋人たちのように周囲には映り、ルーはそのままマントを翻して大広間を出て行った。まさに、魔王の姿そのままである。

 そして、召喚したばかりの花嫁を優先するあたり、いつもの魔王とは全く違うと側近の二人は思ったのである。

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