第5話 選ぶしか、ない
しばらくそうやっていた。とりあえず、頭の中を整理するに限る。
その整理中、魔王様は邪魔することなく私の体を抱きしめ、髪を梳き、身体を温めてくれた。それを遮ったのはコンコン、とドアを叩く音で…入ってきたのは…大魔神?堀の深い顔の、オジサマ。
「お前の頭の中は面白いな」
耳元でそう言われて思いっきり赤面してしまう。
「失礼いたし…そのお方ですか?」
「ああ。急用か?」
「見張らせていた伯爵家で不穏な動きがありました。登城するとの前触れが来ましたが」
「そうか、タイムリミットか。わかった。支度ができたら直ぐに行く」
タイムリミット…って、何の?まさか私の?
「ああ、そうだ。いくら禁忌の召喚を行ったからと言って召喚したのは向こうだからな、正式な召喚主は向こうになる」
「私を…売り飛ばすの?」
「それを言うなら引き渡す、だ。それはお前が望むままに。選択権はお前にある」
「サクラ」
「何でございましょうか?」
「私に…魔界で暮らすだけの力はあるの?」
「力があるからこそ、今までお守りしてきましたが。何でしたら召喚主である伯爵と勝負してみますか?あなたが新伯爵になりますよ?」
あっさりすっぱり真顔で言いました、このオオカミさんは。
「それも面白いな。召喚した人間が召喚魔族より強くて爵位をぶんどるというのは初めてのことだ」
「いや、そうしたいのは山々だけれども、そんなことして私、魔界で生きてゆけるの?」
「ああ、その問題もあったな。爵位をぶんどって生きてゆけるのかと言われれば生きて行ける。魔族は強いものが正義だからな。ただし、お前の魔力と魔界の魔力が融合するかどうかの問題が残されている。自己解決はまず無理だな」
「つまり、チョイスとしては誰か魔族の庇護を受けるということなのか」
「そうだ。俺の花嫁になるか、召喚した伯爵の花嫁になるか」
「ちょっと待って。召喚は禁忌の魔法で、罪に問われると言ったわよね? 魔王だけが許されると。じゃぁ、伯爵が召喚した場合、それが成功したとして、私は違法に召喚されたわけでしょ? それって、魔界的には処罰の対象となりうるということじゃないの? 」
その言葉に、大魔神さんが頷いていた。
「さすが。花嫁様は利発な方だ」
「その通りだ。伯爵の召喚は行われたが、それは私の召喚を乗っ取ろうとする行動で、本来召喚するはずだったお前を危険にさらす行為でもある。実際、そうだったしな。伯爵は公開処刑される。死罪だ。お前が望むなら伯爵に召喚された花嫁として一緒に公開処刑することもできるが、さて、どうする?」
理不尽極まりない。私、魔界に来たいと言ったわけじゃないのに。
「つまり、生きたかったら結婚するしか方法がないってこと?」
「そうなるな」
「私は生きたい。死にたくはない。でも、まだ頭の中が混乱してて」
でも頭の中でチカチカきらめいたのは「家訓・生きろ」である。
つまり、生きるためには結婚しろってことか?
えええ、結婚?
そんな私を魔王様はくつくつと笑って、ひょいっと抱き上げた。
いや、私重いし。
「今はまだ生きたいだけで良い。私の花嫁になるのなら、契約を。損はさせない。お前が気に入った。その思考は楽しいな」
「契約って…」
「直ぐに済む」
抱かれて連れて行かれた場所は湯気の立ったプール、というべきで冷えた体には良いけど…。
「さて、本当に花嫁になるのならここで宣言を」
すとん、と下ろされたのはまさに洗い場だった。
「宣言って…」
「俺の名前とお前の名前を以ってして誓うんだ。人間の世界ではしないのか?ああ、そうか、人間は誰にでも名前を教えるからな。魔界では簡単には教えない」
「そうか」
と納得する。
「えっと、私、藤間椎名はルーチェスク・ヴァン・ビッヒ・ローゼンタークスと結婚することを誓います」
群青色の瞳が揺れる。やっぱり良い男。
「ルーチェスク・ヴァン・ビッヒ・ローゼンタークスは藤間家の娘、椎名を娶り、終生変わらぬ愛情を注ぐことをここに誓う」
そう言って抱きしめられた。
「お前はあったかいな…」
「あったかい?」
そのまま階段状になった湯船の入り口に連れて行かれると、何故か何も身につけていない。え? うそぉ。
「え?」
「大丈夫だ、俺に任せろ」
隠す間もなくルーに両手を取られて抱きしめられる。体が密着して自然とお互いの背中に腕を回すようになるんだけど…その、え…おなかに当たっているの…。
「ここの水は、神殿の泉に繋がっている。魔界一綺麗な水だ。この水があるところで宣言したことは他の何人も変えられない宣言となる」
「なるほど」
「椎名」
呼ばれて顔を上げる。ほっこりとした温かさがお互いに伝わってくる。これはお湯の温度だけではないだろう。
「良い名前だ。椎名、か」
そのままちゅ、と額にキスを落とされた。
「うーん」
なぜそこで唸る?
「椎名、お前は男を知らないのか?」
「…私より弱い男と付き合うつもりないもの」
「キスも?体も?」
「…確認しないでよ」
「うれしい」
って、妖艶に笑って…。
何度も小さなキスを落とした後、ルーチェスクは椎名の唇を舐め、ノックする。まだ初心者の椎名に無理をさせることはしたくないが、契約が先だった。
「椎名…悪いが契約を先に進めたいんだが」
「ん、ごめん、経験ないからさ…上手くできなくて」
「それで良い。初めからうまくできたらこっちが驚く」
二人は抱き合いながら、しかしルーチェスクはちょっと手を振っただけで、手のひらに小さなナイフを取り出した。
「ほんの少しで良い。俺の血を舐めて、今度は椎名の血を水に溶かしてくれ」
ルーチェスクは指に小さな傷を作るとすぐにそれを椎名の口元に運ぶ。
椎名はルーチェスクの傷を舐め、その血を飲んだ。ルーチェスクは指を湯につけくるくるとまわし、それで終了とばかりにナイフを椎名に渡した。
椎名も同じように小さな傷を作り、血をルーチェスクに舐めてもらうと湯につけてくるくると回した途端、体に急激なエネルギーが入ってくるのがわかる。
「何…」
「気持ち良いか?」
「凄いエネルギー…これ、ルーの?」
「ああ、俺のところにもお前のエネルギーが来た。これで契約完了。」
ざばり、と頭まで浸かって顔をあげると、不思議なことにそこは寝室で体が乾いていたし、ローブさえ身に着けていた。傷も跡形もない。
「さてと、召喚の後始末をしてくる。終わるまではベッドに居ろよ。まぁ、結界を張っておくからどこにも行けないだろうが」
歩こうとして、歩けないことに気がつく。足ががくがくするほどの余韻が残っているのだ。
「敏感なんだな」
そう言ってひょいっと抱きあげればますます顔を赤くした。
「寝てろ。今夜は寝かさない」
ちゅ、と耳元にキスを落とされてベッドに寝かされると、ルーはひらりと身をひるがえして出て行った。
「はぁぁぁぁ」
ぽすん、と体を横たえる。
異世界召喚なんて小説の世界だけかと思っていたのだが…サクラが見えている段階で完全に否定できるわけがなくて仕方ないか。
「紅茶でもお持ちしますか?」
不意に声を掛けられて、固まった。
ベッドの傍に控えているのは銀髪の渋い白狼。頭部はオオカミだが、首から下は人間のように黒の上下のスリーピースをばしっと着こなしている。姿は違うが、セルジュと名乗ったサクラそのものだ。
「服着て二足歩行してる…」
「魔界に戻ると魔力が補充されますからね」
「そのうち執事のオッサンみたいに老人姿になるんじゃないでしょうね、サクラ」
「そうですね、中年にとどめておいてください。これでもまだ若いんです、私は」
「そうなの?…いろいろと混乱しているから間違えるかも?」
「順にわかってくだされば結構です」
「なんだか不思議だね」
「何が、ですか?」
「サクラとは今まで頭の中でしか話してないでしょ?こうして声を出して話すのも不思議な感じがする。それに、サクラだと思っていたから中性的な…男でも女でもない、そんな感覚だったんだけど、実はセルジュで立派な男で」
「サクラはそういう役なんです。中性的でなければならない。魔族のパートナーとなるのは何も女性だけとは限らないので」
「じゃぁ、男性もいたの?」
「はい、その時は女性が守役になりますが」
「つまり、一番目がダメだったときの次の候補ね」
「良くおわかりで」
「魔族にとって人間の血や肉がドーピングの材料で、なおかつ人間召喚は召喚した者も召喚された者も死に値する刑罰を受けるということは、合法であれ違法であれ、人間を絶対に還す気はないってことよ。さっきの選択肢だってそう。結局は死に至るか、生きたいならどんなことしてでも生きろって選択だよ?」
「ご不満ですか?」
「先祖代々の家訓が「生きろ」って珍しい家だと思っていたけど、こういうことなのかと納得できる部分が次々と」
「でしょうね。ご先祖はいろいろと子孫のために手を尽くしておいででした」
「サクラは、セルジュと呼んだ方が良いの?」
「その方が助かります」
「いろいろ疑問は沢山あるんだけど…お水ってあるの?」
「大丈夫ですよ、水は豊富ですからね。コーヒーはありませんが紅茶なら用意できます。ジュースも、人間界に近いものはそれなりに。食生活はそんなに変わらないようですけど」
「じゃぁお水下さい」
「はい」
セルジュの姿が部屋の隅のカウンターに向かう。
体はまだふわふわして落ち着かないが。
「すみませんが私はそこまで近寄れないので」
ベッドとの距離50センチのところでセルジュは止まって、その先はワゴンに乗せたデキャンターとグラスを押してくる。
「この結界は人の移動を制限しますから」
ワゴンが差し出されて、ワゴンごと受け取った椎名は自分でグラスに水を注いでそれを飲んだ。
「私が生きてるって…家族に知らせることは可能なの?」
「それは不可能です。人間界では明らかに死んでいるのですから」
「それもそうね」
人間界でいえば幽霊が私生きています、というようなものだ。
ここで生きてゆくしかないのだ、とようやく自覚する椎名だった。
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