第6話 (余談)兄弟たち


 ぽんと外に投げ飛ばされたことは覚えている。すごく不思議だが。


 物凄い衝撃が体に走ったのを覚えている。

 それから、耐えがたいほどの熱風が襲ってきて、本能的に産業道路中央分離帯を盾にできるように体を引きずりながら移動した。熱風をまともに食らうわけにはいかない。

 タクシーの運転手も熱風を避けるために姿勢を低くして、ずるずる這って来るので手を貸してやる。並行して走る歩行者用の道路は一段高くなってはいるが、分離帯代わりの花壇があるので樹木が盾となるのだ。

 二度、三度の爆発が起きているのがわかる。その度に、身を低くして熱風をやり過ごして安全な場所に移動する。

 風上で、熱風が届きにくい場所へと。


「あきらっ」

「にいさんっ」

 先に走っていたタクシーに乗ったはずの父親と弟と母親の姿を見て安心した。母は半分泣きながら俺を抱きかかえ、より安全な場所に移動する。父親と弟はタクシー運転手に手を貸している。ぱっと見た限り、足を引きずっている彼の方がケガがひどいかもしれない。


 しかし、妹の椎名が


 椎名がいない。

 椎名だけが。

 椎名がいない。

 椎名だけが。


 がばりと体を起こしてガソリンスタンドの方角を見る。

 赤を通り越して、黄色のようなオレンジ色の火。ところどころに青い炎も混じっている。

 原形をとどめていないタクシーとタンクローリーを包んでいるのはそれらの火だ。

 目の奥には、飛ばされたときに一瞬だけ見えた椎名の顔。

 悟ったように、安心したように、椎名は落ち着いていた。

 スローモーションのようにタクシーのドアがゆっくり閉まって。


「!!!!!!!!!」

「しゃべるな。熱風で喉をやられているかもしれない。落ち着け。ゆっくり息をしろ」

 勝がタクシーの運転手と彰に向かって声をかけている。同時にタクシーの運転手の応急処置を始めていた。

「私は大丈夫です。熱風は避けられたので」

 タクシーの運転手は痛みに顔をゆがめながらそう言った。

「救急車はこっちに向かっているそうだ。今、みんなが協力している」

 安心させるように邦彦がそう言った。彰から離れた母親の雅美は、交通整理して救急車の通り道を確保しようとしている。

「まさる・・・とうさん・・・」

 そう呼び掛けたはずだが、彰の声が出なかった。かすれたようなしわがれ声で、喉が痛いと顔をしかめる。

 体はあちこちが痛いが、日ごろ鍛えているだけあって、骨折はないだろうと予測しているが。

 それよりも大事なことがある。あのタクシーの中に椎名がいたのだ。そして、自分は椎名の存在を感じられないと、伝えたかった。

「気に病むな。おまえのせいじゃない」

 邦彦はそう言って、出血している左手の止血を行った。



 勝が意識を取り戻したのはそれから三日後の話である。

 というのも、軽度とはいえ、気道熱傷を起こしていた勝は、治療のために気管挿管されて呼吸を確保するしかなく、麻酔で眠らされた状態のままだった。

 三日ほどして、熱傷の具合がもう大丈夫だろうということで薬をストップし、意識を回復したというのが正しい。


「まさる」


 祖母の声がした、と思って目を開ける。

「おお、起きたか」

 それはまさしく祖母の声だった。見れば、車椅子に乗った寝間着姿の祖母がニコニコ笑っていた。数日前まで、生死の境を彷徨っていた老人だとは思えない。

「ばぁちゃん」

 そう言おうとしたが、声が上手く出せない。

「徐々に回復する。心配ない。それから、先に言っておく。椎名は向こうに渡ったぞ。恐らくそういうことじゃ」

 その言葉に、彰は目を見開いた。

「お前ならわかるだろう。椎名の気配がどこにもない。そして、祭壇にはサクラの刀と珠が残されておった。持ってきてもらったが、両方とも歓喜の渦に包まれておる。つまりはそういうことじゃ」

 祖母は『珠』を彰に握らせた。椎名『本体』の感覚はないが、『珠』がからは歓喜の波が伝わって来る。

「安心しろ。椎名はどこにいても椎名だ。お前の妹だ。生きることを選ぶ」

「ん」

「さ、管を抜く処置をしますからね、おばぁちゃまは一度外に出ましょうか」

 看護師がそう声をかけて、珠を返す間もなく処置が始まった。

 喜びが伝わって来る手のひらに、幸多かれと祈ることしかできない。



 タンクローリーが二台、ガソリンスタンドで炎上した事故は、完全に運転を誤ったドライバーの過失だったのだが、不思議なことに死者はタクシーの乗客一人、女子高校生だけ、事故に巻き込まれて負傷した人間が多数いたが、それでも死に至るものではなく、負傷で済んだ。だが、それとは反対にタクシーの残骸は殆ど原形をとどめていない状態で鎮火していた。つまり、余りにも長時間高温にさらされたため、遺体のかけら一つ見つからないという結末に至った。

 幸いなのは郊外だったので被害は最小限で済んだということだった。




 形式通りの葬儀を行い、現場から採取されたタクシーの残骸の一部なのか何なのかよくわからない小さな金属片と石ころが骨壺に納められた。四十九日は椎名が愛用していた遺品を加えて今目の前で納骨されている。

 あまりにも急な旅立ちに、家族は茫然としてしまったのは言うまでもない。家族を知る人は、遺体がないほどのことだからとその心情に心を痛めた。



 いきなり旅立ってしまったわが子の安否を知る方法はない。

 おそらく、魔界に花嫁として召喚されたのだろうと推測は付くが、だからといってそれが定かではない。もしかしたら本当はあの炎の中で死んでいるのかもしれない。

 唯一、魔界が狂喜乱舞するさまを伝えてきているというそれだけがよすがではあった。だが、それを信じるしかない。


「家訓、生きろ、か」

「椎名のことだ、どの世界に行ったってしっかり生きていくよ」

 勝の一言に、邦彦は線香の煙を空に追いながらそう呟いた。

「だから、俺たちは俺たちでこの世界でしっかり生きなきゃな。家訓を汚すことになる」

 彰がそう言って勝の肩を叩いた。

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