第4話 ここはどこ、あなたはだれ?
椎名がいる場所は本当に水深10センチ程度のものだが、奥に行くほど深さを増して水色の神秘的な水をたたえている。
「今のお前には、何が見えている、人間」
ハスキーな静かな声。日本語ではないけれど、頭に直接響く声を持っているこの男は恐らく「魔」のものだ。実態のない「霊」の声はもっと軽く響くのだから。
「怪我はないか?随分無茶な召喚術だったようだが」
ギリシャ彫刻の男、アッシュグレイの髪を持つ群青色の瞳をもつ男はそう言って椎名の肩にガウンを掛けた。
椎名の中でぞわり、と何かが揺れる。「サクラ」が喜んでいるのだ。
そして、いつも自分の中にあった「珠」の感覚がなくなっている。
つまり、「花嫁」として呼ばれたということなのか。
「お前…何を持っている?ただの人間ではあるまい」
その声に油断したのがまずかった。普段は封印してある「サクラ」がしゅるりと椎名の制御を抜けて…刀の形ではなく、椎名の隣に膝まづいた。
「サクラ」はただの刀ではない。
そもそも、守り刀の「サクラ」は代々の実力者に伝えられてゆく神器で、力のある者しか所有できないという。
そして「悪意のある魔物」を一刀両断する力を持っている。不思議なことに、椎名は幼いころからその真の姿である、実体化した真っ白な動物、を幼い頃から感じていたし、今となってはそれはオオカミの姿で、簡単な「意思疎通」もできた。ただ、不思議なことにあの祖母ですら「何かいる」ことしか感じないらしい。
しゅるりと抜け出たサクラは、椎名の隣で凛と座った。
「お前は…セルジュ、か?」
「はい、セルジュにございます。御記憶にありますでしょうか?」
落ち着いた、テノールの声。オオカミがしゃべった、と椎名はまじまじと隣に座るオオカミを見て、それが銀色オオカミであると確認する。
「ひいじいさんが可愛がっていたのは覚えている。今まで人間界に居たとか?」
「お呼びになったわけではないのですか?」
「呼んだのはセルゲイネフのドアホだ。私はそれをブロックしたまで。花嫁にするにはまだ親の庇護が必要な年だと思ったが」
その言葉にサクラが驚いたように目を見開いた。
「では、魔王様の召喚ではないと」
「見過ごすわけにはいくまい。あのままでは花嫁は死んでいただろうに。時期ではない召喚は花嫁に大変な負担を強いる。セルジュ、お前は花嫁をどう見たのだ?」
「歴代の藤間の家の者の中で、最も真の花嫁となる力が強い女性です」
「だろうな。セルゲイネフに感応して呼ばれるほどの女だ。普通の力とは違うことはよくわかる。だがな、セルジュ」
「はい」
「本人の意思は、どこにあるのだ?」
「どこにもありません。しかし、もう人間界に帰ることはできません」
洞窟の壁に、ビジョンとしてテレビの映像や新聞の映像が映る。アッシュグレイのこの男に日本語がわかるのかということはさておき、交通事故でガソリンを満載したタンクローリーがガソリンスタンドに突っ込み、給油中のタンクローリーとスタンドも炎上して犠牲者が出たというニュースだった。不思議なことに、交通事故に遭ったタクシーの乗客である女子高校生が死亡し、その爆発の威力で遺体のかけらもないと報道されていたが、そのほかの死者はなく、けが人が多数出たという事故の規模の割には死者が一人という奇跡的な事故だったらしい。
「セルゲイネフの策略か」
「恐らく」
「あの、もしもし」
話をしている二人の間に割り込む。そろそろ寒くなってきた。確かに、学生服を着ていたはずなんだけど、おそらく火事の影響ですすけてぼろぼろ、ガウン一枚で下はびしょびしょ、足元はまだ冷たい水の中にいたのだから。
「ああ、すまない。まずは風呂と温かい服と食事だな。疲れてないか?ああ、疲れていないはずはないな。我が名はルーチェスク・ヴァン・ビッヒ・ローゼンタークス、この魔界の王だ」
「…魔界…異世界トリップしたの?わたし?」
「そうだ。藤間の子孫。お前は人間の中でも魔力が並々ならぬほど強い」
ひょいっと、御姫様だっこにされる。真面目に、やめてほしい。
「この場に人間の痕跡を残すことはできないんだ、許せ」
あれ?私の考えていること…。
「ああ、わかる。お前自身がまだトリップしたばかりで制御できていないからな。いいか、お前は名前を口にするなよ?」
「どうして?あなたは名乗ったじゃない?」
「俺はお前に本当の名前で呼ばれたい。俺の花嫁としてな。だから名乗った。でも今のお前には俺の花嫁になるだけの覚悟も判断材料も何もないだろう?」
「確かに」
「時間の猶予はないだろうが、必要最低限の判断材料だけは用意したい」
「で、サクラとあなたとの関係は?」
「その前に、簡単に藤間の子孫と魔界との話をしなきゃならん」
そう言って歩き出したと思ったら、何故か暖炉の前に居た。
ヨーロピアン調の落ち着いた部屋で、無駄な装飾は一切ないシンプルな部屋で、暖炉の前に置かれた毛皮の上に魔王さんとやらは座ったんだけど…私はそのまま膝の上って、どういうこと?
「時間がない」
「確かにね。そのセル何ちゃらがここに乗り込んできたら大変だし。あ、魔王なんだから強いか」
「俺の名前を呼べ」
「ルーチェスク・ヴァン・ビッヒ・ローゼンタークス…って、長いよ?ルーって呼んで良い?」
「ああ」
彼は頷いて…その顔は必殺女殺しだなぁ、なんて思う。イケメンに間違いない。
「代々、魔王は魔界を治めるだけの力があるものがなってきた。いくつか名門と呼ばれる家があるのだが、その家の出身のものが多い。しかも、次期魔王になることは生まれてくるときにわかるというシステムになっているんだ。だから力のない魔族はこの名門に取り入ろうとするし、名門家の中では跡取り争いが絶えない家もある。魔王の子供が魔王になったり、そうではなくて違う家に魔王が生まれたりもする。だがな、魔族の血が濃くなるほどに、子供はできにくくなる。だから魔族ではない種族を妻にして一定の血の濃さを守るんだ。時として魔族と人間の間に生まれた子供が魔王になったこともあったし、その何代か後になった子供かもしれん、それはわからないがな」
「じゃぁ、魔族にとっては人間は子供を産むための道具と同じじゃん」
「ああ、そうだな。それだけじゃない。人間の血は、どんな魔族にも最高の魔力増強剤になる。所有印のない人間は尚更エジキになる。違法な召喚や連れ去りも数多くあるしな」
「ひょっとして…私、食べられちゃうの?」
「私にはそういう趣味はないが、人肉を食べて魔力を増強させようとする種族もあるよ。ちなみに君を召喚したセルゲイネフは吸血族だ。君たちは吸血鬼と呼んでいるらしいが。文字通り、血を飲むのが大好きだ」
「ひゃぁ…」
「そんなドーピングが横行すると、魔族の血はますます乱れてしまう。だから人間を召喚するのは魔王だけが許された行為なんだ。ほかの魔族が人間を召喚すると…悪いが、魔力が足りない魔族が召喚すると、召喚された人間は消滅してしまう」
「私が生き残ったのは、召喚した魔族に十分な魔力があったってこと?」
「逆だろうな。君にはセルジュがついていて、なおかつ君自身に魔力があったからね。とりあえず、数日分の猶予はあるだろう。それから、人間召喚は禁忌の召喚術だから、その召喚が行われた時は神殿の泉に召喚されるようにトンネルを作ってある。私が召喚をするためにみそぎに入ったから、向こうは慌てて召喚したんじゃないかと思う」
「つまり、別の誰かが召喚しなくても、貴方が召喚したら私は自動的に魔界に来たということ?」
「ああ、最初から選ばれていたからね。俺の先祖は、人間を召喚することで魔族の血を保ってきた。それは昔から変わらない。ただ、節操なしに連れてきたわけじゃない。魔界と人間界は違う。魔界で暮らすことや子をなすことも人間には負担が大きい。だから先祖は自分の忠実な部下を人間と結婚させて人間界で暮らさせた。それがお前の先祖に当たる。記録に残っている以上に古い話だから良くはわからないが、召喚の対象になるのは年頃の若い娘で一族の中で一番の力を持つというのが条件。セルジュはその時護衛として人間界に降りた白狼の末裔で、お前の前はヤヨイという女性が候補だった」
「弥生は、死んだ祖母から数えてのおばあちゃんだった人です」
「勿論、召喚しない時もあるから接点がない時もあるんだが、召喚に耐えられる人間がいるときはセルジュが時々魔界に戻ってくる。ま、おばばのところに定期的に報告に行っているようだからお前の成長ぶりもわかるというわけだ」
「そしてゆくゆくは召喚するつもりだった?」
「ああ。まだガッコウという場所に行っているだろう?勉強の最中だっただろう?卒業までは待つつもりだったんだが、バカが召喚してしまった」
「わかった。それで、私はもう人間界に帰れないの?」
「ああ、もう無理だ。人間界でのお前の存在は消滅した」
「魔界で生きるしかないとすると、私に選択肢はある?」
「そうだな、私の花嫁となって、魔王の妻になると良い。子供ができるかどうかは分からないが、人間と同じように家庭を持つこともできる。それとも、お前が望むなら今すぐお前を殺してその血をすすり、肉を食らうか。あとは、だな。私の庇護を捨ててほかの魔族と結婚するという方法もある。ただ、結婚しても大事にしてくれるかはわからん。ああ、結婚が嫌なら、他の魔族に…いや、まぁ、殺されて血肉を食われるのがオチだな」
「御前、その言い方は…」
オオカミの姿のまま、そばに控えていたサクラが困ったように止めた。
「あ、セルジュの嫁はだめだぞ?こいつの愛妻家は有名だからな」
頭痛い。それって、私には結婚するか死ぬかどっちかしかないってことじゃん。
「そうだな、過酷だな」
ルーはそう言って私をぎゅっと抱きしめてくれた。
ああ、あったかい。
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