第3話 ドーンッと、と、と?
家のリビングのソファで動かなくなったばぁちゃんを見た時。
お父さんかお母さんに連絡してから救急車を呼ぶべきか、それとも救急車が先なのか、判断に迷うくらいなら救急車が先だとすぐに携帯電話を取っていた。
次にすることは、恐らく道場にいるであろう兄貴に連絡を取ること。リビングのインターフォンのボタンを押すと放置。これは道場のパイロットランプに直結している。
ばぁちゃんは息はしているけれど、苦しそうだ。
電話の向こうの救急オペレーターの指示で次々処置を進めていく。
ばぁちゃんの洋服の襟元を緩め、スカートも少しだけ緩める。
同時に、家の電話を使ってお父さんの携帯に着信を残す。ワン切り上等。続いてお母さんの携帯にも。
「ばぁちゃん?どうした?俺今からロードワークに出かけるんだけどー」
アキ兄が呑気な声でリビングに入って来る。トレーニングウェア姿だけど、必需品は持っていられるように小さなカバンを背負っている。同時に救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「アキ兄、救急車誘導お願い。ばぁちゃん調子悪い」
「おう」
それだけでアキ兄は飛び出していった。
アキ兄とばぁちゃんが乗った救急車を見送り、家族用のSNSで逐一連絡を入れながらお父さんとお母さんに連絡した。
今日は二人とも大学に出勤している。授業中は携帯を見るような人じゃないから、アテにならない。迷うことなく大学の研究室に連絡を入れると、二人とも授業中だった。留守番している研究室の院生さんは、授業から戻りしたい連絡させると約束してくれた。
あと必要なのはばぁちゃんの入院道具だ。保険証と診察券は持って行ってくれたから、とりあえずの問題は安心だということで、ばぁちゃんの寝巻や下着とタオルを紙袋に突っ込んで、戸締りを確認した後、学校用のリュックの中の教科書類をリビングのテーブルに出した。
時間つぶし用の単語帳と数学の宿題と携帯と、筆記用具と手帳、貴重品は残しておいて、紙袋ごとリュックに突っ込み、家を出た。
家を出たところで、隣の藤村さんがオロオロしていた。
「椎名ちゃん」
「あ、おじさん」
「今、救急車が…」
「ばぁちゃんが具合悪くなって。アキ兄が付き添って中央病院に。私もこれから行きます。マサ兄と両親には連絡を取っているんですが、まだ返事がなくて」
「ああ、わかった。行っておいで。道場のほうも見ておくから」
「お願いします」
隣の藤村さんは藤咲神社の神主さんだ。
ここの家も代々神主さんとして街を見守ってくれている。
病院は、「いやな感じ」がする。
確かに、人間が「生まれる場所」であり、「死ぬ」場所でもあるのだから当然だが、悪い事ばかりだと空気がよどむのだ。私の肌がざわついていて、落ち着かない。
病院には悪い「気」が固まっているときがある。そんな時は「魔」が集まることもある、「悪い気」をご飯にしている者も多いからだ。
けれど、私の姿を確認すると彼らはぎょっとはするが、寄ってこない。危害を加えれば「サクラ」で切られることが予想できるからだ。
病院に到着すると、処置が進められていてはいたが、ばぁちゃんはあまり良くないという。確かに、年齢が年齢だ。
「勝から連絡があった。すぐにこっちに来るそうだ」
処置室の前で彰兄はてきぱきと連絡を取っている。
「多分入院になる」
「大丈夫かな」
「年齢が年齢だから大丈夫、だとは言わないが、ばぁちゃん、笑っていたよ」
「うん。とりあえず一泊分の寝巻とタオル。こまごましたものは後でも良いかと思って。あ、あとばぁちゃんの常備品」
ばぁちゃん用に持ってきた紙袋の中には、ばぁちゃんの老眼鏡と一緒にじいちゃんの写真。それから、ばぁちゃんお気に入りのハンドタオルが何枚か。
「お前、準備いいなぁ」
「頭が回ってないよ。歯ブラシとか忘れているし」
「確かに。でも助かったよ」
病院の廊下は静かで、しかも処置室の緊迫感がダイレクトに伝わってくる。
廊下の片隅でぼうっと黒いものが見えるのはいわゆる「霊」だ。私が見えるのは「害意ある人ならざる者」なので、悪意があって襲ってくる霊ならもっと黒くなっていて、しかもサクラで切り捨てて「強制終了」できるのだ。
まぁそんなことはしないけど。
連絡を受けて両親が到着したころ、ばぁちゃんは処置を終えて入院ということになり、集中治療室に入ることになった。
意識はあるけれど、簡単な受け答えしかできないし、集中的な管理が必要な状態だと、ナースステーションの前の個室に移された。そしてここ2、3日がヤマだと言われた。乗り切れば大丈夫だろうし、乗り切れなかったら、そういうことだ。
今晩はお父さんが泊まり込む、というので支度もあるから一度全員で家に帰ることにした。タクシーに一台は無理なので、二台に分乗して、私はアキ兄と一緒だ。体格的な問題で、まぁいつものことだから驚きはしない。マッチョな兄は座席一つ分使ってもやっぱりマッチョだ。
タクシーに乗って、町の反対側の我が家に向かう。病院とは町の中心地から点対象の位置になるので産業道路を走っている。
落ち着かなくて、きょろきょろとあたりを見回していた。私の中の珠とサクラが、何かざわざわしている。
「どうした?」
「感じない?何かざわついているのよね」
アキ兄の問いに答えながら、やはり周囲を警戒する。こういうざわざわした時というのは、警戒しておく時だ。
「俺はわからないが」
アキ兄は私ほどは長けてはいない。だから仕方ないか、と思う。
気がつけば、体にものすごい衝撃を受けていた。
そりゃそうだ、前から来たガソリン満載風のタンクローリーはご丁寧にも私たちが乗ったタクシーめがけて突っ込んできて、そのまま営業中、なおかつ別のタンクローリーで灯油だかガソリンだかを地下タンクに補給中のガソリンスタンドに突っ込んでくれた。
最初のタンクローリーとの衝突で運転手は何故か車外へ放り出されていた。アキ兄の方のドアもかぱっと開いて本人は車外に放り出されている。シートベルトの意味がない。
アキ兄を追いかけるように、私の通学用のリュックが車外に飛び出してゆくのを横目に、必死に右手でベルトを外そうとして、左手でドアを開けようとしたけど、変形して開かなかった。ならば反対側から出るしかないとベルトを外そうとしたら衝撃が来た。運転席側から着地して、ドアが閉まった状態になる。それも一瞬で通常の状態に戻ったが蹴ろうにも、右足は自由だけど問題は車に挟まれた私の左足だった。挟まれて、身動きできない。ようやくベルトが外れたと思って周囲を見れば、タンクローリーは自重と惰性でタクシーを引きずりながらまっすぐ給油中の「お仲間」へと突進してゆく。
もがくさなかに、逃げてゆく人影がいくつも見えてガソリンスタンドの客や従業員が一人でも多く助かることを祈りつつ左足をひねる。けれど、左足はそのままだ。このまま、無理かな、と悟りそれでも曲げた両腕をあげて頭を守るように受け身を取る。もう目の前だ。コンマ何秒かの世界だ。深呼吸して息を止める。
一瞬のうちにタンクローリーに挟まれる形で迷うことなくドーンッとぶつかっ…。
ドーンと。
どーんと。
あれ?衝撃が来ない。
そう思った時、周囲が明るくなって、真っ白になり衝撃は来なかった。
代わりにふわりと体が浮いた感覚があって、ようやく左肩から背中にかけて柔らかな衝撃があった。
ぐにゃり、といった感覚が正解か。それから体が沈みこんで、ようやく落ちた先が液体の中だと気がついた。
何が起こったのか分からなくて、対処行動が遅れたのは確かだった。けれど、ゆっくり覚醒できるほど液体の温度は高くはない。刺すほどの冷たさで瞬間的に声が出そうになるのを耐えた。目を開けて周囲を見渡すと、真っ暗の中だ。はるか頭上に小さな明かりがあって、まずはそこまでぐいと液体をかく。
水のような手触りではない。スライムのようなどろりとしたその液体はどんどん私の体力を奪う。
けれど、ひとかきごとに小さな明かりは大きくなってゆく。それが出口であり、希望だ。もしかしたら、そこはまた何かの液体で息ができないかもしれない。でも、今はそこに行くしかない。
息が続かない。体が重い。どんどん体が重くなるが、必死に「そこ」に行こうとした。私の中の水晶の珠とサクラがそこへ行け、と叫んでいる。
どうして、とか、何故、とかの疑問よりも、とにかく明かりの方に行け、というただそれだけである。
息が続かなくて目が霞んでくる。それでも力の限りその液体をかく。
息ができなくてもう無理、と思わず息を吐いてしまった。ごぼり、と泡が立ち、上へと、明かりがある方へと上がっていく。
最初のころよりもずいぶん液体がサラサラしてきて、上を見上げれば思った以上に明かりが大きくなっていることに気が付いた。もう少し、と鼓舞して液体をかいて。
ざばり、と顔を出したら。
どういう訳か、浅瀬に座って息をしていた。目がちかちかして、肺が痛いほどの呼吸困難だった。
間違いなく、足首くらいの深さしかない水の中に座っている。しかし、学生服は全身びしょ濡れだったのである。
「は?」
自分の足元をみつめる。
白い小さな玉砂利が敷き詰められた池、のようなものの中に自分がいた。
そして見えるのは、人の足。
顔を上げれば、どう見たってパルテノン神殿だとか、ギリシャの何とか神殿みたいな大理石みたいな真っ白い石造りの池みたいな場所。
正面にはギリシャ彫刻を思わせるようなアッシュグレイの男、背後には「扉」を中心に彫刻ゴテゴテに装飾されている祭壇らしきもの。ご丁寧にこの祭壇の奥から岩肌むき出しの場所から流れている水がこの「池」に流れ込んで溜まっている。そこだけ人の手が入った、それ以外は洞窟、という変な場所。
つまり、洞窟の中に簡易的なギリシャ神殿みたいな祭壇を作ったような感じ。いや、この感じは、普通の人ならただの地下祭壇のはずだ。清らかな霊気が満たされたそこは、洞窟で、周囲はろうそくの明かりしかない、けれども鮮烈なほどの浄化された水が流れる地下の泉だった。
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