第58話「決着の時」

 ヒュドラが爆ぜる。その衝撃に対し、ノティアが防御態勢を取った。

 抑えていたとは言え相手は竜、油断できる相手ではない。


 西の王を自称する男は、ノティアの注意が逸れた一瞬に自ら左手を斬り落とし、迫っていた剣先から大きく離脱。


「ぬぅ!」


 男が目を見開いた。眼前に迫るもの。

 冷静に状況を見ていたアドラーは即座に石礫を飛ばしていた。


 術より幾段威力が落ちたとしても、撃ちだされる礫はファイカの力では防げない。

 礫自体は二人の攻防を見守りながら、広場の石畳を加工したものだ。


 たいした威力でないとしても、男の逃走を遅らせる。それだけでいい。ほんの少しの間だとしても、ノティア・ガイストは逃さない。


 しかし、アドラーの目論見は防がれた。


 男を庇い、礫を受けたのは小さな竜。ヒュドラが爆ぜたのは、分裂だった。

 頭の数だけ、おそらくは独立して動けるのだろう。その一体だけでなく、馬ほどの大きさの竜が9体飛び回っていた。


 何体かの竜がそれぞれノティアとアドラーへ迫る。

 鋭い牙をむき出しにし、相変わらず目線だけは狂ったように定まらない竜は、小さくなったとはいえ生身で相手をするには十分脅威の存在だ。


 その間に左腕を斬り落とした男は他の竜に乗り、空へとあがる。

 ヒュドラは小さくなった事で、ファイカの檻の中でも飛び回る事に成功していた。


「ふはっ、ははは、見たか。これが、西の民の総意なのだ!」


 左腕を抑えながら、興奮した様子の男が叫ぶ。

 アドラーたちに男を追う余裕はない。獰猛な空飛ぶ獣が3体も飛び掛かってきているのだ。


 一体目の噛み付きを避け、そこに二体目の爪が飛び、辛うじて不正でも尻尾が打撃となって振られ、三体目が追撃にやってくる。


「貴様らの小細工など話にならん。王は民に支えられて上へと向かうのだ。地べたで這い蹲って見ているが良い!」


 男が竜に指示を出し、飛んだ先。それはこのファイカの檻を作っている大元。

 今もなお杖を掲げ、掃除人の援護の元ファイカの檻を維持し続ける、フィオラ・リスレットのもとだった。


 煙突掃除人二人から魔力供給を受け、広範囲に広げ続ける力。その場の三人はそれだけで手一杯となっていた。

 けしかけられた竜二体に、脇に居た煙突掃除人が突き飛ばされる。


「そもそもそのファイカの力、元々は王のもの。それを横取りした小娘風情が、この場ですら我らの邪魔をするとは。身の程を知るが良い!」


 フィオラは動かなかった。身がすくんだのでも、避ける力がもうなかったわけでもない。

 この力を展開し続ける事が重要であることを知っていたし、何より。この男を前に退く気は毛頭なかった。


「身の程を知るのはあなたです。あなたがどんな大義名分を掲げていたとしても、あなたがやった事は到底許される事ではありません。それに、何を被害者のように語っているのですか。わたくしを狙い、守護精霊を奪ったのはあなたでしょう!」


 自分勝手なことを。西の王を自称しつつ、この男がしたのは救いや助けではない。

 上に立つものの矜持を祖父から受け継いだフィオラもまた、ノティア・ガイストのように目の前の男を認める事が出来なかった。


「王を名乗るのなら相応の覚悟を示し、民を導くくらいしなさい!」

「これからするとも。貴様らを排除し、この地に民を解放してからなぁ!」


 男を乗せた竜がフィオラへ飛び掛かる。馬ほどの大きさとはいえ、開かれた大きな顎は人間の肉を骨ごと噛み千切るには十分な力があるだろう。

 特に、自身を守る竜こそ最も強い個体をあてているか、男が乗っている竜は他より大きかった。


 フィオラは脅威を前にしても退かず、杖をしっかりと掲げ――。

 ファイカの力を絶った。


「な、なんだ!?」


 突如竜の動きが止まる。

 空中で不自然に静止し、痙攣するかのように震え出した竜と困惑する男。


「何をした小娘! それは、何だ」


 男が睨みつける先、フィオラの足元で何かが輝いている。

 ファイカの力は檻であると同時に、本命の発動を止め続けていたのだ。


「言っただろう。追い詰められたお前の行動はよく視えると」


 男の背後に、アドラーが立った。

 竜の襲撃で衣服はぼろぼろで、流血や爆発での焦げもあったが、いつものようにステッキをつき眼鏡を光らせる。


「弱い所を、いざとなれば人質に。お前の用意周到さの下地にあるのは卑怯な性根だ。どんな手段を使うかは置いておいても、必ず最も信頼のおけるヒュドラと共に彼女を襲うのはわかり切っていたわけだ」

「ジャン・アドラー、貴様の企みか……!」


 ファイカの力を展開する男だったが、竜は動かない。


「無駄だ。彼女の檻は二重の意味があった。一つはもちろん、ヒュドラで飛んで逃げる事を封じるため。もう一つはこの陣の発動を抑えて隠しておくため」

「何故ファイカの力で無効化しない!」


「これはお前がやった守護精霊簒奪の逆だからだ。成立し終えたヒュドラがファイカの力で消えないように、これもまた成立し終えた今になって魔法陣を消しても意味はない」


 ファイカの力で隠されていた魔法陣。フィオラの足元に描かれた術式は複雑で、隠蔽の末に物理的にもシートで隠されていたものだった。


「それも、守護精霊成立という強力な世界の法がバックアップしている。それに逆らったお前は複雑かつ大きな魔法陣と、ファイカの力、領民の魔力、影の王という異界。いくつもの要素でどうにか成立させた不自然な状態。そこまでして、ようやく成功させた歪なものだからこそ、この程度の魔法陣で存在が乱される」


 動かなくなった竜からファイカの力を展開し、男が駆ける。

 狙いはジャン・アドラー。片腕がなくとも格闘戦でどうにか出来ると見ているのか、抑えて脱出のための人質にしようというのか、ただの破れかぶれか。


 アドラーは動じる事なく、礫を射出し男の膝を打った。激戦を通し繋がった守護精霊からも影響を受ける男は、礫を防ぐことすら出来ず倒れ伏す。


「境遇に同情する余地があったとしても、お前の行動原理は義憤ではない。ただ強力な守護精霊が欲しいという妬みや欲で他を踏みにじった。ご自慢の用意周到さも自己保身でしかない」

「……お前のような恵まれた人間に何がわかる。生まれながらに強力な守護精霊を得られる血筋の者が。その力があることすらまともに知らない我々の何を語る」


「知らんよそんなものは。そもそも、お前が奪った僕の守護精霊は何だった? 強力なグリフォンが居れば、魔法陣発動前に事態を止められただろう」

「ああ、確かに残念だった。あのアドラー家の賢者が非力な梟だとは」

「その通りだとも。今や苦楽を共にした、その非力な梟すらいない。元より強力な守護精霊など得られなかった。そうだとしても、ここでお前の野望を砕いたのは僕らだ」


 男は何も言わなかった。自分の敗北を認めたのか、それとも守護精霊の不調で意識を持っていかれたのか。


 いずれにせよ、こうして聖王暦816年に起きたルモニの事件は多くの被害を出しながらも幕を閉じたのだった。

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