第52話「飛び去る影」

 ノックストリート劇場の演者、ララの目論見はうまくいかなかった。寮母ユーの仕出しを手伝うついでに、あの引きこもり中年男を引っ張り出す計画は脆くも崩れ去る。


 連れ出すどころか、引きこもりが居たはずの住処が崩れ去っていたのだ。

 事務所下の倉庫が崩壊し、中庭側へ吹き飛んだかのように壁の一部や納められていた物品が散らばっている。


 いったい何があったのか。以前にも荒事はあったが、ここまで事務所が被害を受けるような事態は初めてだった。

 あのアドラーが、ここまで後れを取るような相手が襲撃して来たのだろうか。あまりの事に足が止まっていたララとユーであったが、ララの方が先に動き出す。


「先生!」

「待った待った!」


 駆け出そうとするララをユーが止めた。下が抜けたのなら更なる崩落もあり得る。安全確保せず近づくのは危険だ。


「賢者さんは不在みたいですよ踊り子さん」


 肩を掴まれ止まったララに横合いから声がかかる。

 瓦礫のひとつを手に近づいてきたのは小柄の女性。茶色の巻き毛に大きな眼鏡をかけたエレナ・ドイートだった。


「あなたは?」

「どうもエレナ・ドイートです」


 エレナは手にしていた木片を放り投げ、眼鏡を外して息を吹きかけている。何とも緊張感のない様子に、ララは少しだけ気持ちが落ち着いた。


「確か作家の方、でしたよね」

「あるいは記者、文化教授です」


 アドラーたちの事をお話に仕上げている作家がエレナ・ドイートだったはず。ララは何度か読んだその作品と、著者名を目の前の彼女に結びつけた。

 女性とは知らなかったが、とりあえず事情を知っていそうな人が居て助かった。


「えっと、ここで一体何が?」

「わかりません」

「あら?」


「寝ていたんですよ私。でも、原稿のチェックがあるので無理矢理起きて、しょうがないからはるばる。フィオラお嬢様も居ない事務所に足を運んで。お祭りという騒がしく人だらけの道をどうにか突破して来たら、これです」


 不貞腐れたように語るエレナは大げさな身振りで崩壊した事務所を示す。いきなり始まった独白に固まっていたララは、ゆっくりと息を吐いた。


「ってことは私たちと似た感じ?」

「概ね。ただ、ここには誰も居ないという事くらいはわかりましたね。こんな事なら寝ておけば良かったと後悔中です」


 気の抜けていた三人の頭上を、音を立てて大きな影が通過した。

 一体何が起きているのか。事態についていけない三人ではあったが、それが祭りの催しではないというのは何となく感じていた。


「ヒュドラ亜種。使役混合、重型幻獣種。いくつもの頭を有し、本来は水との親和性が高い。飛べないはずでは……?」

「エレナさんさっきのを知っているんですか?」


 エレナの呟きにララが反応する。自分では飛び去る影にしか見えなかったというのに、作家というのは博識なのだなと感心していた。


「いえ、私の守護精霊からの情報です」


 そういうエレナの横に、一冊の分厚い本が現れる。浮遊する本は控えめな装飾が鈍く光り、両開きになってページが勝手に進んでいた。


「本の守護精霊なんて初めて見たわ~」

「珍しいそうです。この子は、かつて人類が記録したものなら何でも引き出せます」

「凄い!」


 開かれたページには複数の頭を持つ竜が描かれている。その説明と思わしき文字列も連なっていたが、ララにはそれが読めなかった。


「読める言語とは限らないんですよねこれが。まぁ、他にも該当記述がいくつかあったので、それらの情報を合わせた感じです」


 などと話していると、いつの間にか居なくなっていた寮母ユーが二人の前へと戻る。その手には三本の火かき棒があった。


「あんな竜もどきが出るなんて只事じゃないからね。武器代わり。この中で戦えそうなのは誰かいる?」

「文化教授に戦いは無理です。見ての通り、守護精霊も全く戦闘向きじゃないので悪しからず」

「旅をしていた時から多少の心得くらいはあるけど~、守護精霊が居ないの。マダムは?」


 ユーはそれぞれに火かき棒を渡すと、自身の守護精霊を披露する。足元に現れたのは茶トラ柄の猫だった。

 鼻の頭に傷のある猫はにゃーと一声鳴くと、その場に丸くなる。


「色々出来るけど、出力がないのよね私。ま、頑張って生き残ろっか」

「生き残るって、そんなに危険な事になるのかしら」

「わからないけど。アドラーさんとこがあんなになって、竜が空を飛んでるんじゃね」


 火かき棒を振りながらあっけらかんと言うユーに、ララとエレナは顔を見合わせた。

 ついで、手にしている火かき棒に視線を移し、半信半疑ながらも頼りない武器を握り締める。


  一体何が起こっているのか。

 わからなかったが、とりあえず素振りから始める事にした二人だった。

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