第51話「傷痕」

 逃げ惑う人波が途切れる。抜け出したライアーが見たのは、倒れ伏す人々と食事中の異形たちだった。

 あれだけの数が飛び出たのだから、いくらでも逃げる人々を追って来るだろうと。ここでぶつかる事を覚悟していたというのに、現実は違った。


 倒れた一人に、寄って集って何十もの手が伸びては力尽くで解体されている。次の獲物を追うよりも、少しでも肉が取れる方を優先しているのか。

 襲われる方は悲惨だった。一度組み付かれたらそれまでで、あとは生きたまま鋭い爪でかきむしられては肉片を啜られている。


 ライアーも止まらなかった。奴らが夢中になっているのならそれで良い。惨い事だが、救えない彼らが作った時間を使うべきだ。

 食事にあぶれた何体かがこちらに向かってくるも、ライアーは加速する。鍛え上げられた脚で目指すのはクリスタが居た店だ。


 突進してきた数体の異形が燃える炎に阻まれる。上から警戒している守護精霊ドリィの援護だ。

 店と奴らの間に炎の壁が立ち上がっている。延焼しないよう制御された精霊の技に、ライアーを襲おうとしていた異形は進めなかった。


「ありがとなドリィ!」


 駆け込んだ店は普段からルモニにある老舗の宝飾店である。収穫祭に合わせ、最近名の売れ始めた人気のデザイナーを抱え込み、若者向けのラインナップを企画していた。

 そのお披露目とあってか、若い男女や女性客が多い。加えて今は性別不明の異形も何体か入店していた。


「クリスタ居るか!?」


 何度目かの名前を呼びながら、ライアーは食事に夢中の異形を背後から攻撃する。首筋目掛けて素早く短剣を振るった。短い刃で首の神経を骨ごと絶ち、振り向く前に他二体の首も切断する。

 守護精霊ドリィの加護で護身用短剣は熱を帯びていた。脂や体液が切れ味を鈍くする心配はない。


 ばりばりと音を立てる咀嚼音。背の低い棚向こうでむさぼられている姿が見えた。助けを求めてあげられた細腕が揺れている。

 腹を食い進み肋骨が折られている音だ。何度か聞いた事がある。


 ライアーはクリスタでないようにと願いながら異形の首を刈った。周囲で自分の仲間が死んだというのに、どの異形も食事を優先している。


「何なんだこいつらは」


 返事はない。皺だらけの異形はこちらを気にもしなかった。

 食事現場は五か所ほどあったが、ざっと確認した所どれもクリスタではない。無防備なうちにこいつらを倒すべきか。


「嫌ぁ!」


 店の奥から大きな物音と声がした。棚か何かを倒したのか、がらがらと何かが転がるような騒音が続く。

 ライアーは周囲の食事を無視して奥へと走った。


 爪でこじ開けられたのか、店裏へと続く扉は蝶番ごと外れて倒れている。ということは店先に居たのは不意を打たれた初期の犠牲者で、その隙に他の客は奥へと逃げられたのだろうか。


 などと考えている余裕はなかった。店裏の狭い通路先で棚が倒れている。現場はあそこだ。飛び込むように駆け込み、即座に情報を理解する。


 横倒しの棚に押し潰された異形。身動きがとれず尚、皺だらけの手を伸ばし、爪を立て離そうとしない獲物。爪が食い込み、ずるずると引き寄せられているのは一人の女性。

 赤茶の長髪を乱し、必死に異形の手から逃れようと這い進むのは見間違えるはずがない。彼女を守るためここまで来たのだ。


「クリスタ!」


 ライアーは棚を踏みつけて跳び、着地の足で異形の頭を踏み抜いて。もう片方の足を床に着けるなり、その足を軸に遠心力をつけた斬撃を放った。

 まずはクリスタに爪を立てている腕を斬り飛ばす。しかし、異形はライアーの一撃に怯んだものの死んではいなかった。


 残った手が伸びる。鋭い爪に、並んだ牙が開いた。貪欲な衝動は腕を失くした所で止まらない。


 とはいえ本能に突き動かされた獣程度に後れを取るライアーでもなかった。冒険者として数々の獣やモンスターと交戦して来た生粋の戦闘職である。

 クリスタに気を取られる事も、まして油断する事もなかった。冷静に爪の軌道を見切ってステップで回避し、続く噛み付きを横から蹴り上げる。


 短剣を首に振り下ろし、異形との戦いは終わった。


「無事か。怪我を見せてくれ!」

「ひっ」


 時間にすれば数秒にも満たない攻防からクリスタに走り寄るライアー。爪で引き裂かれた脚を引きずりながら、彼女はこの場から離れようともがいていた。

 視線の定まらない怯えたクリスタの目を見て、ライアーは彼女の肩を掴んで正面へとまわる。


「落ち着けクリスタ大丈夫だ。俺だ。ライアー・ディアンだ。あいつは倒した。もう大丈夫だ」


 最初は抵抗していたクリスタだったが、何度も名前と大丈夫という言葉を繰り返す事で何とか視線が合うようになって来た。


「ライ、アー?」

「そうだ。俺だよクリスタ。助けに来たんだ」


「ああ、ライアー! 良かった。……良かった」

「待て待て気を失うな。ひとまず怪我の手当をしよう。診ても、良いか?」

「え、えぇ」


 安堵からか倒れそうになるクリスタを支え、ライアーは彼女の脚を見る。まずは懐から布地を取り出して血を拭った。


「ハンカチ、持つようになったの?」

「あー、いやこれは。まぁそうか、ハンカチだな」

「なにそれ」


 本当は怪我をした時のため忍ばせていた布切れである。仕事柄自分だけでなく、要救助者を拾う事もあったので、ライアーはいつも比較的綺麗な布を携帯していた。

 それはそれとして。ハンカチと言えば、前のデート中に袖で水気を拭いてから彼女に何度か注意されていたのを思い出す。本当は違うのだが、そういう事にしておこう。


「これは……」


 ライアーの手が止まった。爪が食い込んでいたのは脹脛の上あたりで、大きめな傷を作っている。

 もうひとつは流れる血でわかりにくかったが、足首に近い部分に噛み傷のような傷があった。


 度合いで言えば爪による怪我の方が大きい。出血や傷痕など心配事が多く、縫合して浄化などの高位医療術を用いなければならない。


 それに対し噛み傷の方は血も止まり、組織や皮が癒着し始めていた。その点だけ見れば何の心配もない。

 傷周辺が硬化し始め、皺のような凹凸が広がっていなければ、何も問題はなかった。


「ねぇ、どうしたのライアー。急に」

「大丈夫だクリスタ、致命傷じゃない。何とか止血をしてみるが、あれだ。必要になったらドリィで傷口を焼くかもしれないからさ」

「それって……」


 青ざめたままのクリスタの顔を見て、ライアーは笑顔をつくる。


「大丈夫だクリスタ。泣いたとしても、お義母さんには黙っておくって。ドリィは百戦錬磨だし、綺麗に焼いてくれる。二人の思い出の傷になるさ」

「思い出の傷だなんて」

「老後の笑い話のひとつとしては、上出来だろう?」


 笑い話にするのだと冒険者ライアー・ディアンは心の中で誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る