第49話「対応」

 あっという間の出来事だった。フィオラは心構えもなく、しかし言われた通りファイカの力を傘のように維持しながら、必死にアドラーにしがみ付いていた。

 広間は一瞬で見えなくなり、いくつかの部屋らしきものを突破して。水中をも超えて。二人は慣れ親しんだルモニの上空へ到達していた。


 上がったのなら、あとは落下するだけである。


「どうしてあなたは、いつもこうやって落下するのですか!」

「御覧、言い争っている暇はなさそうだ」


 言われてフィオラは下を見てしまう。そもそも落下なんて得意ではないし慣れないというのに。

 見たことで高さを実感し、フィオラは全力でアドラーに身を寄せる。左腕は負傷でうまく力が入らないし、不安しかなかった。


「解放とは。単に封印を破って無責任に放り出しただけか。それにしても今の住民からすれば迷惑な脅威だろう。それも笑っていられないくらいのね」


 アドラーの言葉におそるおそる地上を見やる。西区だけではない、ルモニの全域で謎の黒煙が上がっていた。


 火で起きた煙とは違う、黒い粒子が真上に一直線に伸びるような不可思議な現象。

 問題なのはその根元である。地面を割って出る黒煙に紛れ、隙間から這い上がっているのは間違いない。さっき自分たちが相対していた異形の者たちだ。


 それが街中に解き放たれつつあった。


 屋根を五つほど越え、滑空は西区中央にある煙突広場で終わる。着地した先では何人もの人間が忙しなく動き回っていた。


「失敗したな梟使い」

「これはこれは。黒騎士殿がわざわざ出向いてくれるとは驚きだ」

「猶予がない。情報を寄越せ」


 出迎えたのは黒い革製の外套を着こんだ煙突掃除人である。その手には大きな地図が握られていた。

 別の人が駆け足に小ぶりの机を置いて去っていく。掃除人は運ばれて来た机に地図を広げ、次々と地点を指さした。


「飛び出てきた多頭竜は各地に穴を開けている。西区から中央、そして東へ。あれは何だ」

「守護精霊という奇跡を利用して呼び出されたものだ。本来、竜種は簡単に契約に応じるものではないが、今は奴に隷属させられているとみていいだろう」


「厄介だな。契約主を排除した方が早そうだ」

「ファイカの鎧は無効化範囲を任意に曲げたり伸ばしたりが可能で、それによって自分の術を併用出来ていた。その機構は破壊したがファイカの力自体は使えている」


 地図はルモニの街全域の詳細が描かれていて、以前見たものと同じように観測情報が反映されて動いている。

 上空から見た黒い煙の場所や、竜のマークが移動しているのがフィオラにも見て取れた。


「いずれにせよ奴の排除と各地の手当を並行しよう。梟使い、情報をフェイゼン様へ」

「すまないがアウラはもう居ない。あの竜に使われた」

「……そうか。伝達はこちらでやろう。手痛いな。だが守護精霊と共に過ごした半生はなくなりはしない」

「これは……。いやに饒舌じゃないか黒騎士殿」

「黙れ」


 不機嫌そうに言った掃除人の肩から胸元に貼り付くように、大きく平べったい両生類が現れた。

 濡れたように光るたるんだ黒い皮膚の四つ足生物。舌をちろりと出しながら、まるで甘えるかのように、掃除人の首元に頭をすりすりと押し付けている。


 掃除人は黙ったまま自身のサンショウウオタイプの守護精霊を撫でていた。守護精霊は生涯を共にする、魂で繋がった伴侶だという。

 フィオラはそっとアドラーの横顔を見たが、その心情はうかがい知れなかった。まだ授かっても居なかった自分の守護精霊もどうなってしまったのだろうか。


「心配は要らないさ。君は守護精霊と契約していなかったのだから、その権利を悪用している奴さえ何とかすれば問題なく契約出来るとも」


 いつの間にかアドラーが横に居た。アウラを失ってしまったアドラーを慰めるどころか、逆に慰められてしまうとは。


「ひとまず君は治療を受けた方が良い。黒騎士殿、頼めるかな?」

「任されよう。一応聞くが、もう彼女が狙われる事はないか?」

「可能性は低いだろう。奴の目的は現在竜と契約している一族の血だ。その目的は達している」

「なら彼女はもう後方に下げて良いな」

「え?」


 腕を掴まれ掃除人に引っ張られるフィオラは慌てた。

 安全な後方に下がる? この状況で?


「い、いえ。わたくしも戦います」

「駄目だ」

「私の守護精霊が取られてこうなったのなら、私が戦わず誰が戦うというのです」


「そのなりでか。左腕に脚。致命傷じゃないが決して軽い負傷じゃない。お嬢様が歴戦の戦士であり、怪我をおしてでも戦力として十分な価値があるというのなら止めはしない。梟つか……、そこの風使いのようにな」


 手を振りほどこうとするも、掃除人の手は離れない。負傷した左ではなく健康に動く右腕だというのに、いくら振り回しても捻っても外れそうになかった。


「何とか言ってやれ風使い。ここで話す時間も無駄だ」

「僕は奴を止めに行くつもりだ」

「おい、いい加減にしろ。守護精霊もなくした風使いにどうして正面戦闘が任せられる? 器用に広く動けるお前こそ、各地の穴へ対応に向かうべきだ」


 掃除人の矛先がアドラーへ向かう。

 地図上では竜が東から北へと進路を取っていた。確かに、言い争っている時間はなさそうである。


「僕以外の誰が飛び回る竜を追跡しながら戦えると言うのかな。英雄アトラ・リスレットが鎧竜と共にこの地に居るのなら、喜んでその役目を譲ろう。だが今は居ない。だとすれば因縁があり、ファイカの力が視え、臨機応変に動けるこの僕こそが相応しい」


 ステッキを鳴らし、眼鏡をなおしてアドラーは宣言した。掃除人は舌打ちして仕方がないと承諾している。

 自分は何が出来るだろうか。フィオラは怪我のことは置いておいて、自分が出来る事を考えた。


「はい! ファイカの力はファイカの力で対抗出来ます」

「確かにあの力がなければ脱出も難しかった」

「正気か」


 アドラーが歩きながら語りだす。立ち止まっているフィオラと掃除人の前で、同じところを何度も往復しながら、いつものスタイルだ。


「要は力の使いどころだ。有効なカードというのは間違いない。表立って戦闘させるわけではなく、機能的に配置しよう。そうすれば、先ほど黒騎士殿が言った条件にも当てはまる」

「何か策があるんだな?」

「早速行動開始といこう。いや、その前に君は治療をして来なさい」


 よくわからないが役立てる事があるらしい。

 地図へと戻っていく二人から離れ、ひとまず掃除人に指示された広間の天幕へ向かうフィオラだった。

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