第45話「西の王」

 近い。身構えるフィオラに、再び異形の手が伸びる。

 打ち払おうとしたフィオラの動きは杖そのものを掴まれて阻止されてしまった。掴まれた杖がぐいっと引っ張られる。まずい。


 フィオラは杖へ魔力を通し、掴んでいる異形の手を焼いた。

 腕力での引き合いになれば絶対に勝てない。熱で怯ませた隙に、さっき椅子を吹き飛ばしたくらいの力を溜めなければ。


「その爆発力、厄介だな。普通はそこまで即時性のある爆発は起こせないものだ」


 フィオラの狙いはファイカの力でかき消された。

 後方から片手をあげた西の王が、どうにかして無効化の力を伸ばしたらしい。そこまで指向性を持たせられるとは知らなかった。


 一つ目の異形も熱に怯むこともなく、肉が焼ける音をたてながらも杖を保持し続けている。フィオラがいくら引いても杖を離しそうになかった。


 杖を捨てて逃げるべきか。でも何処に。

 唯一の逃げ道に見えた入口には異形が立ち塞がり、後方からは西の王が近付いて来ていた。もっと探せば別の道もあるかもしれないが、それを許す男ではないだろう。


「まったく無駄な事をする娘だ。そもそもお前が逃げ出さなければ、あのまま賢者とて捕縛出来たものを」


 苛立たし気に言い放ち、西の王はフィオラの前に立った。


「あなたがアドラーさんを? 小娘を虐めるくらいしか出来ないあなたが?」

「健気なものだな。その賢者に捨てられたというのに」

「どういう意味ですか」


「そのままの意味だ。大人しくしていればお前を返すと言ったのに、奴はお前を見捨てたのだよ」

「それは、そうでしょう。あなたのような人間の言い分を信じるアドラーさんではありません」


 少し驚いたものの、それは当然だろう。何より、血を抜いたことから考えてもこの男にそのつもりはなかったはずだ。その点だけ見ても、この男の何を信じられるというのか。


「あなたが嘘吐きというのは十分わかりました。けれど、この広間の魔法陣。わたくしやアドラーさんの血を使うということ。その企みや隠し方は正直異常です。それに、この異形のもの」


 フィオラが目を向けた先、杖を掴んだ一つ目の異形は微動だにしていなかった。

 逃げようとしたタイミングで都合よく入って来るだろうか。考えてみれば最初も階段を登ったところで現れた。


「先ほど私が部屋で魔物を倒した時。あなたは確か、かつての領民と言いましたよね。あれはどういうことですか」

「ふん。お前が嘘吐きという男の口から出た言葉に、どれほどの価値があるかは知らんがな。言葉の通りだ。見ただろう? この場所こそがまさかに。貴様らリスレット家が隠して来たこの街の本性だ」


「まさか、ここがルモニの街だというのですか」

「そうだとも。こここそがそうだ。彼らに聞いてみろ。変異しながら地獄のようなこの街で生き長らえて来た彼らを見て、何か思う所はないのかね」


 西の王が身振りで示したのは杖をおさえる異形のものだ。まさか、この一つ目もかつての領民だというのだろうか。

 心当たりは一つ。まだ助手という立場になる前、ノックストリート劇場で出会ったノティア・ガイストが語った大昔にあった惨劇。


 大昔にあった。そう、かつてあった遠い話だとフィオラは無意識のうちに思っていた。ノティアその人が記憶を受け継いでいるのだと聞いても。影の王が未だに滲み出る呪いや魔を狩り続けていると聞いても。


 五百年も前に終わった話であり、子供の頃聞かされた祖先の御伽噺と同じ。今とは無関係の、終わった話だと。

 思わず異形のものを見てしまう。一つ目を西の王へと向けた青白い異形は、杖を握ったまま歯をぎちぎちと揺らしている。


 そこには確かな存在感をもった生物が居た。

 魔物と呼んで良いのかフィオラにはわからない。惨劇に巻き込まれた者の末路がこれであり、罪なき領民だというのなら、この存在を何と呼べば良いのだろうか。


 自分の杖を見る。フィオラはこれをつくる前、アドラーと交わした会話を思い出していた。魔物の定義は魔力を多く帯び、生命や人類に敵対する存在だという。

 ファイカは素材として優秀だったために魔物という区分にされた野生生物だとも聞いた。では、さっき自分が殺してしまった生物は何なのか。


「中央には治安部隊が居た。東には砦の兵が居た。南には領主が居なくとも私兵を持つ貴族たちが居た。北には暴力を生業としていたノティアが居た。では西は? 今も昔も貧民や農夫が暮らす慎ましい地にアンデッド共をどうにかする力はあったのか」


 五百年前の事だ。しかしそう言われれば想像せずにはいられない。確か当時のダンジョンは南西にあったはずだ。

 だとすれば西の一帯はダンジョンが崩壊してすぐ被害に合い、かつ奪還を後回しにされるだろう。


「西の地には何もなかった。今もそうだ。知っているかリスレットの娘よ。守護精霊は聖王国の者なら誰でも授かる事が出来るというが、出生届けも神殿での登録も出来ない貧民は、生涯その事実すら知らずに終わるのだ」


 そんな事は知らなかった。誰でも授かる事が出来る。それが当たり前過ぎて。

 だってそれは、この国の成り立ちを学べば。あるいは幼子に語り聞かせる伝説の話からでも容易に繋がって来るのだから。


 ああ、でも。そんなことすら語られない地があると聞いた事はあった。遠く辺境の地では神殿がなく精霊との契約が実行されないだとか。それも遠い地の事であまり関係のない話だと思っていた。


「まさか、このルモニの街でそんな事が」

「あるのだよ無知な娘よ。だからこそ、私は西の王なのだ。この見捨てられた西の地を導かねばならない。蓋をされ放置されたこの地の憐れな彼らを、解放せねばならないのだ」


 ファイカの装備を集め、秘密裏に準備を進めて来た男。西の王の弁に、フィオラは呑まれていた。

 五百年も放置され、苦しみの中に取り残されて来た領民が居るのなら、確かに何とかしなければならない。


 しかし、解放するとはどういう事だろうか。


「詐欺師の戯言ほど聞くに堪えないものもない。改めてそう思わせるほどの、素晴らしい演説だったとも」


 その声に、フィオラは顔をあげた。

 暗闇に銀縁眼鏡が光る。乱れた髪に不精髭。帽子はなく、ステッキを手に不敵に笑うその姿。


 見上げた先、広間の天井に。声の主、ジャン・アドラーが立っていた。

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