第44話「広間」

 尖った金属の棒が肌に押し当てられる。ぎりぎりとネジを回すように降りて来るそれは、一定の速度でゆっくりと。しかし確実に肌へ食い込んでいき、やがて激痛に変わった。


 食いしばった口から嗚咽が漏れる。屈したくないと思っていても到底耐えられなかった。


 椅子に縛られ、固定された左手首から血が溢れていく。フィオラは涙を浮かべながら、こんなことをする犯人、西の王と名乗った男を睨みつけていた。


「全く気丈なお嬢さんだ」

「こん、な事ッ……!」


 フィオラの言葉は続かない。手首に食い込んだ金属は骨まで達したのか、気が遠くなるほどの痛みが走っていた。歯を食いしばって藻掻いても、椅子を揺らす程度にしかならない。

 痛みと流血で汗が吹き出し、目の焦点も定まらなくなってきた。なんて事をするのだろうか。


 術の通じない西の王に拘束されてから、フィオラは連行された広間で椅子へ縛りつけられていた。屋敷入ってすぐの大ホールのような広さの場所で、天井も高く石造りで頑丈そうである。

 椅子には両手首を挟み込み、ねじ回しのように回すだけで金属が腕へと食い込むような拷問装置がついていた。


 術も通じず、抵抗虚しく縛り付けられたフィオラは、西の王が無言で進めた作業に絶句してしまう。まさかそんな、と言葉を失っているうちに装置は動かされ、左手首に金属が食い込んでいた。


「何、が目的なの……」

「知らなくて良い事だ」


 西の王は装置から手を離し、背を向ける。人質なら痛めつける理由がわからない。何か聞き出したい事があるのなら先に質問するはずだ。考えたくはないが恨みや趣味だろうか。

 だとしたら何も出来る事がないし、この後何をされるのか想像もつかない。わからないというのは怖いのだ。さっき追い払った恐怖がまたふつふつと上がって来る。


 幸いと言って良いのか、今は闘志が出ていて気持ちでは負けていない。痛みで思考が定まりにくい面もあるが、それでも心が折れるよりましだろう。


 ずきりずきりと脈拍のたびに痛みが突き刺さる。尖った金属が突き進んでいた時ほどではないが、痛みは強い。

 事を行った西の王はフィオラから離れ、広間の隅へ行っていた。一体何をしているのか、しゃがみ込んで床を調べている。


 いや、よく見ると床には溝が刻まれていた。痛みと西の王に気を取られていて目の端に入っても模様くらいにしか思っていなかったが、全体を見渡して気が付く。これは、魔法陣だ。


 精霊言語と呼ばれる文字の組み合わせに魔力を通し発動する魔術。その効果は多種多様であり、対応する語句の組み合わせや通す魔力によって実現される。

 多くの既製品や魔道具は流す魔力の質を問わず安定作動するようになっているが、魔法陣は動作を隠したり、自分だけが操れるよう流す魔力の質や量によって変わったりもするそうだ。


 いずれにしても陣が大きければ大きいほど効果が大きくなるのが一般的である。ここの魔法陣は広間いっぱいに広がっていて、複雑な文様となっていた。

 軽く教わっただけのフィオラにどういう魔法陣なのかは読み取れない。けれど、陣の四方に配置された鱗状の羽根、そして自身の血が溝へ流れていくのを見て。決して成立させてはいけない陣だと直感した。


 魔力と血の関わりは深い。魔力は血流に乗って全身を巡るため、残留物や肉体よりも魂の証明になるのだと聞いた。だとすると自分は生贄にされるのだろうか。


「血は鮮度が要るのでしょう? もうすぐわたくしは殺されるのかしら」

「殺しはしない。リスレットにアドラー、伝説の両家を敵にまわしたくはないからねぇ」

「もう十分敵対している気がするのですが」


「それは仕方のない事だ。そのうえで、殺してしまえば強い恨みをかう。人間の執着は怖い」

「まるで他人事のように。今回の件は私怨ではないのですか?」

「ほほう、探りを入れて来るとは。さっき会って来た賢者にそっくりだな」

「会って来た?」


 西の王は魔法陣を一周しながら作業を続けている。いよいよ発動させるつもりなのだろうか。


「欲を言えばアドラー家の血も欲しかったが、そう安い相手ではなかったよ」

「十傑の血を集めて何をするつもりなのですか」

「身を持って体験出来る、と言いたいところだが。やはり少し血が足りないようだ。右手もいっておこう」


 言うなり、西の王はフィオラへと近寄って来た。更に血を抜こうというのか。フィオラはぎょっとして、つい右手の拘束具を見てしまう。

 装置の隙間から鋭利な金属棒がのぞいていた。あれがまた手首に食い込んでいくのか。ちらりと目を向けた足元には、もう結構な量の血が流れているように見えた。


「殺したくはないんだがね。さっきも言ったように、そうすると面倒だ。でも、必要な事だから。その結果死んでしまったのなら、不本意だが仕方がない」

「仕方がない……?」


 そんな理由で死んでたまるものか。

 フィオラは広間に入ってすぐ放り出された自分の杖に意識を向けた。遠い。自分にとって距離のある魔力操作は苦手な分野だ。


 だとしても、この状況を何とかしなければならない。相手はファイカの装備に身を包んでいた。勘付かれれば無効化されてしまう。

 アドラーがやっていたように、気付かれないよう魔力を伸ばす。足裏から椅子の影を伝うように。出来る事をやるのだ。


 西の王の手が右手首の装置へ伸びる。今しかない。

 遠距離に伸ばすのは苦手だ。苦手な事もやらなければならない時はある。けれど、苦手な事を苦労してやったところで、この男に通じるとは思えなかった。


 だから、フィオラは得意な事をする。


 圧縮した熱の解放。アドラーに苛烈と称されたその特性を持って、椅子裏に隠した魔力を爆発させたのだ。

 椅子ごと身を切り裂くような自爆技。突然の爆発に、西の王は身を守るためファイカの力を展開しながら飛び退いた。


 鼓膜どころではなく全身を打つ衝撃音。椅子は半壊し吹き飛び、フィオラは火傷を負いながらもその呪縛から投げ出された。

 フィオラは立ち上がる。左手首に食い込んだ金属と装置はそのままついてきた。しかし外している時間はない。ボロボロになりながら、杖のある入口へ向かって走った。


 西の王とその装備がいかに脅威でも、自分に向いていない術を止めるには一手遅れるだろう。それに着込んだ鎧は走る相手を追いかけるのに不向きだ。

 目論見が当たったのか、追いかけようとする男の動作は鈍い。良い鎧とはそれ自身で重さを支え、戦闘行動において柔軟に動けるよう設計されるというが、全力疾走までは想定外のようだ。


 このまま逃げながら脱出を狙おう。

 そう考えながら杖を拾ったフィオラだったが。逃げようとしていた先、広間入口から入って来た一つ目の異形を前に立ち止まってしまった。

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