第40話「暗闇の中で」

 目が覚めると薄闇の中に居た。寒く、静まり返った室内に。まだ秋口のはずなのに、口から出る息は白く、引き寄せた指先は感覚が鈍い。


「ここは?」


 身を起こしたフィオラは顔にかかる金髪を除け、周囲を見渡した。石造りの床に壁、冷たい一室に見覚えはない。

 唯一の光源は閉じられた木製の扉から漏れ入るものであり、部屋内に灯りはなかった。それでも内部の様子がわかるのは、この部屋自体が狭く、フィオラが手を伸ばせば両端の壁を触れるくらいしかないからだ。


「ええっと、わたくしは……」


 どうしてこんな所に居るのだろうか。そう考えて最初に頭に過ったのは酔ったアドラーの姿だ。

 前後不覚な様子を見て、お酒というものに振り回されると記憶が飛ぶというのは本当だろうかと思ったものだ。


 けれど酒類を飲んだ覚えはない。いや何か出店の品に入っていたとか、飲んだ事すら忘れてしまうのならわからないが、そうだお祭りだ。

 そこまで来てフィオラは動きを止める。この状況がいかに異常なのか、理解に至ったのだ。


 混乱しかける頭を深呼吸で諫める。動揺を隠せぬまま手を動かし、身の安全を確かめた。杖は、ある。衣服に乱れもない。でも、頭へと回した手が止まった。

 編み込みの髪がごっそりとなくなっている。フィオラは唇をきゅっと結び、それからゆっくりと息を吐いた。


 良くない事が起きている。


 フィオラは俯きかけた顔をあげた。未知の事態に身体は震えていたが、動かなければ。重要なのは思考停止しないこと、そうアドラーに教わったのだ。

 よろけながらも灯りの漏れる扉へ手を添える。この向こうに誰かが居るかもしれない。息遣いを整え、そっと顔を寄せる。


 分厚そうな木製の扉は年季が入っているのか傷だらけだ。流石に貫通するような穴は見当たらないが、それでもガタが来ているのか上下左右、所々から光が入って来ている。

 フィオラは側面にあるうちの比較的大きなものへ顔を近づけた。目を細めた視界の先、扉の向こうにはランタンの置かれた丸いテーブルと、簡素な椅子が一脚見える。


 どうにか見渡せば、扉向こうの部屋はいくつかの壁が向かい合うような形をしており、それぞれの壁に扉がひとつずつあるように見えた。

 上から見ると六角形だろうか。牢獄のような造りだと考え、フィオラは扉から身を離す。ようだ、ではなくそうなのだ。自分は閉じ込められている。


 目の前の扉に掴める所はなく、力を込めて押しても開かなかった。心音が大きくなっていくのがわかる。フィオラは落ち着いて落ち着いてと自分で唱え、おぼつかない手で腰のベルトから杖を取りだした。

 何とかしなければ。自身の中で流れる魔力を留め、練り上げながらもう一度扉を調べてみる。


 ゆっくり押してみると、扉が少し動いてからガタリと止まった。閂、だろうか。簡易な造りならどうにか出来るかもしれない。金属のものだったらどうしようもないが、その時は仕方がない。


 杖を比較的大きな穴に向け、内部の増幅器を通して魔力を送る。アドラーとの訓練を思い出し、集中して穴の向こう側へ。

 魔力には触覚も視覚もない。だから、想像で調整しながら横木の予想地点を目指す。足元の小石を熱する訓練は、パターンを変えて何度もやらされた。


 目を閉じて細かく魔力の到達距離を調整させられた時はアドラーに文句を言ったものだが、今ならわかる。あれは重要な訓練だったのだ。

 本当は縮こまって助けを待っていたい気持ちが強いけれど。涼しい顔をして長々と理屈をこねて来たアドラーを思い出し、フィオラは少しだけ落ち着いた。


 ここだと思わしき所に集中して火を灯す。半端な火力で延焼しないよう、一気に熱量をあげた。

 杖があるから大丈夫とわかっていても、自分の術で焼けたくはない。何より、近くにいるかもしれない犯人に気付かれたくなかった。


 木材の焦げる臭いが鼻をつく。ほどなく、扉の向こうから軽い衝撃が返って来た。横木が焼け落ちたにしては小さな手応えだったが、それでもフィオラは術をやめて扉を押してみる。

 軋む音がして扉は止まった。けれど、先ほどはぴたりと強い抵抗で止まっていた扉が、沈むように向こう側へと進む。


「これなら……」


 フィオラは一度下がり、勢いをつけて身体ごと扉へぶつかった。べきり、乾いた音が響いて扉が少し開く。もう一度。

 二度目の助走をつけた突撃で、分厚い扉は開かれた。焦げた木片が飛び、折れた閂が床へと落ちる。


 前につんのめったフィオラはどうにか踏みとどまると、杖を手に周囲を見回した。扉越しに見えた通り、狭い空間ではランタンの灯りが揺らめいている。

 杖を両手で抱えるように、それだけが頼りだというように構えながら警戒するも、とりあえず近くに犯人は居ないのか。ただ重い静けさだけが続いていた。


「次は、何を。ええっと。そう、まずは光源の確保を」


 フィオラは机にあったランタンに手を伸ばす。頭の整理のため、わざと小さな声を出しながら確認していく。黙っていると音のなさにどうにかなりそうで怖かった。


 持ち上げたランタンは思ったよりも重く、金属製の持ち手がついている。本体には受け皿があって、固められた蝋燭が嫌な臭いをたてて燃えていた。

 ガラスなどの覆いはなかったが、受け皿下にある台座のような部分が可動式になっている。どうやら金属板を上げれば防風代わりになるようだ。


「それにしても、変な臭い。脂、かしら」


 不意に消えてしまうと困るので防風をあげる。出そうと思えば火を出す事は出来るが、それでも光源があると少しは安心出来た。

 それに、いくら火属性が得意でも継続して燃やし続けるのは難しい。鍛錬すれば火を灯し続ける事も出来るかもしれないが、それが簡単なら木炭の加工品なんて出回らない。


「温かい」


 一体どうしてこんな事になったのだろう。揺れる火を見ながら考える。身に覚え、というか。下町が安全だと過信していたわけではないとはいえ、まさか意識もなく攫われるとは。

 物取りだとか、そういう事はあるかもしれないと思っていたが、これは些か想定外だった。こんな大それた事になるとすれば、祖父を恨む人間か交渉事か、身代金だろうか。


 髪を切り取って送りつけ、脅す。いかにも犯罪者がやりそうな事だ。許せない。

 フィオラの気持ちが切り替わった。さっきまでの恐怖は薄まり、杖を握る手に力が戻る。


「やっぱり、私は苛烈な性格なのでしょうか」


 顔をあげたフィオラは、未だ冷える足元を温めようかと悩んでいて気が付いた。冷気が流れて来ている。

 その流れが来る方向を辿れば、フィオラが捕らわれていた扉から出て左側に閂のない扉があった。


「やるしかないですよねアドラーさん。行動、開始します……!」


 フィオラは杖を小脇にランタンを持ったまま扉へ向かう。

 ここが何処かもわからず、正体の見えない相手に不安はあったが。


 それでも、ただここで縮こまっているわけにはいかないと、その手を伸ばしたのだった。

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