第39話「楽しいおしゃべり」

 魔力が残った三つ編み。切ってから間もないのか、それともこの男の装備が漏れ出る魔力を留めていたのか。

 アドラーはローテーブルから視線をあげた。数秒にも満たない間とは言え、敵対者を前にして良い油断ではない。


「そんな顔をしなくとも、この件から手を引けば無事に彼女は帰ってくるさ賢者さん」


 取りだした物が想定通りの効果を発揮したと見たか、男は満足そうに告げた。

 生物としての気配、それが感じられない。アドラーは対峙して少しずつ、その不気味さを感じ始めていた。それだけ普段から魔力による気配を頼りにしていたという事か。


「……生憎、いくつもの依頼をかけ持って走り回る身でね。この件、とだけ言われたところで。さて、どの件の事なのやら」

「とうに見当がついているだろうに、ふざけた男だな君は」

「楽しくおしゃべりに来たのだろう? 自称西の王さん」


 表情だけはにこやかに、二人は向かい合っていた。張り詰めた空気と沈黙が事務所に漂う。似たような事は前にもあったが、今回はあの時のようにはいかないだろう。

 少なからず体術の心得はあるが、多くは術の技で圧倒して来たアドラーだ。ファイカの装備を仕込んだこの男にそれらは通じない。


 そしてファイカの素材をこれだけ集められる人物は一人。資金集めと密輸を同時に行っていた者、いや違うな。密輸の道が封じられたからこそ、正規購入のため資金集めを派手に行ったのだろう。


 おそらくは領主が多忙になるこの時期を狙って。

 そして邪魔になりそうな相手へ人質を取ってまでの釘差しか。


「よほど今回の件に御執心と見える。それだけの事前準備、どうやら計画は大きいようだ。更に助手をおさえて僕の所へ来るとは、そんなにルモニの賢者が動いては困る話なのかな」

「やれやれ、人質一つで大人しくなるとは思っていなかったが。はじめの動揺は演技か、それとも見間違いだったか」


「結論を急がずルモニの賢者とおしゃべりを楽しんだらどうかな。口だけはいつでも達者なのが僕の良いところだ」

「そういうなら杖を外したらどうだね。そのステッキからいくら床に魔力を這わせた所で、鷹の守りを得た西の王は捕まらないぞ」

「おやおや、よく観察している。いや、前もって監視していたのかな僕の戦闘を。全く、用意周到な男だ」


 おそらくは対峙を見越して、隠蔽機能で戦闘を研究して来たのだろう。

 ステッキを地面につき、事前に魔力と術式を周囲に隠蔽展開させる。注意の疎かな足元や背後、側面から翻弄するのがアドラーの基本戦術だ。


 そのくらい時間と労力をかけて下調べをしてきたのなら。

 領主の孫娘。そこに目をつけるのもわかる話だ。半年も前からとは頭が下がる。


 だが――。


「だが、用意周到さなら僕も負けてはいない」

「ほう」

「それを知れば確実に僕が動くような、そんな内容なのだろう? その計画は。だから西の王自らここに来た。ではそんな事態が起こるというのに、この僕が止まるとでも?」


「可愛い助手がどうなっても良いと?」

「無事にと言ったはずだ西の王。年頃の娘なのだよ。髪を切った時点で、それは無事とは言わない」

「後悔するぞルモニの賢者」

「その言葉、そっくり返すとしよう」


 その日、アドラーの事務所は崩壊した。

 足場を崩す。それが賢者の選んだ戦法だった。窘められた魔力の展開から多重に風を切り結ぶ。


 ファイカの力で無効化出来るのは魔力によるものだけだ。守護精霊が基本となる聖王国において、その力は絶大だろう。だとしても、着込んだ人間はそこに居るのだ。

 魔力感知には引っかからずとも、踏んだ床板の沈み込みをバネでおさえ、その動きを見る術を仕込んでおけば来客がわかるように、少し手を変えれば良い。


 細かく砕けた木くずが飛び散る中、アドラーは敵対者の動きを追った。西の王、伊達で語るにしては尊大な自称である。

 それがただで終わるとも思えないが、どちらにせよ首謀者が目の前に居るのに手を緩める理由はなかった。


 二階から落ちながらアドラーは破片やローテーブルを誘導し、男へ向ける。

 落下先は中庭へと開く倉庫。この真下はアドラーの事務所ではなく、中庭用の納屋のような一室であり、掃除用具や古びた草刈りフォークが転がっている薄暗い場所だった。


 そうしたものすら男の落下地点で脅威になるよう、瞬時に動かそうとしたアドラーだったが。


「失望したよ。ルモニの賢者とは、随分短慮な男なのだな」


 落下しながら男がファイカの力を強めたのか、アドラーが動かそうとした階下の物は浮きかけただけで動きを止め、ローテーブルや破片も勢いを失って床へと落ちる。

 難なく着地した男は、服の内側から展開したファイカの装備を鎧のように身にまとっていた。軸と羽根を固めて鱗のようになった部材がいくつも重なり、まるで甲冑である。


 フィオラの杖ですら込める魔力で影響範囲を調整出来たのだ。

 いくつもの素材を合わせて入念に準備をしていた男が、魔力を防ぐだけの装備で終わらせるはずがない。はじめから戦う準備は万全だったのだ。


「どうかなこの鎧は」

「そんなものを着込んでいたとはね。おしゃべりという言葉の意味を、一度調べる事をおすすめしよう」

「言いながら、また網を広げようとしても無駄だ」


 発動させた術だけでなく、事前準備のため広げた魔力そのものを消されてしまう。それは思った以上にアドラーにとって相性の悪い力だった。

 戦法を変えねばならない。もっと広く遠く。それには距離が、近過ぎる。


 アドラーが退くよりも速く、男は動いていた。

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