~収穫祭の影~
第38話「祭りの始まり」
この国では第十周期に収穫祭という比較的大きな催しがある。収穫祭。どんな地方にもある年に一度の祝い事だ。
大地の恵み、あるいは精霊の恵みに感謝をし、盛大に御馳走やら踊りやらで喜びを表現する。聖王国と言わずとも誰もが知るお祭りだ。
もちろん北の物資が集まるこのルモニも例外ではなく。それも、そこらの地域には負けないくらい大規模に行われる。
そんな街中が浮かれ切っている中、祭り二日目にその男は現れた。
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【~収穫祭の影~】聖王暦816年、第10周期。火の週、灰の日。
祭りの一日目は何処も騒々しく人で溢れ、特に歓楽街の道行きというのは気をつけなければ思うように進む事すらままならないほどである。
ただ事務所へ到達するという目的だけでも苦労したフィオラ・リスレットは、事務所に入るなり来客用ソファに座り込んでいた。
「君が挨拶もそこそこに座り込むとは、珍しい事もあるものだ。それほどまでに道中大変だったと見える。スリにはあっていないか良く確かめたかな?」
「それは、大丈夫なようです」
アドラーに言われ、懐を確認したフィオラはほっとしながらサディが差し出したカップを受け取る。朝はサディが淹れたコーヒーを楽しむのが日課になっていた。
「ありがとうサディ」
「今日はララと見て回るのだろう?」
「はい。そのつもりですが、本当に仕事の方は大丈夫なのでしょうか」
落ち着いてから、今日の準備は万端だとフィオラは再確認する。
最近慣れて来た騎乗用ズボンに、杖を腰にひっかけ、少しゆったりとした上着を身に着けて、懐には財布などを忍ばせていた。
「こんな日に事務所にやって来るような物好きも居ないだろう。居たとしても、これまでだって一人でやって来たのだから何も問題はないさ」
「恋愛相談だけは受けないように気を付けてくださいね」
「僕としても先週のように、よくわからない憐憫から二日酔いに悩まされるのは御免だからね。なるべく気を付けるとも」
先週の素性調査は依頼主からのキャンセルによって終幕している。依頼主クリスタに調査対象が自分から話したのだから、形式上はそうなっていた。
ただフィオラが立案し、ああした場を設けたという事は明かしている。そこを理由にのちのち喧嘩になっても困るからだ。
「それにしてもアドラーさんはお酒に弱いのですね」
「一般的だとも。ただ単に、あの名前も知らない同僚が飲み過ぎただけさ」
目を逸らすアドラーを見て、フィオラが笑う。あの翌日事務所を訪れた時、アドラーは無防備に来客用ソファで丸くなっていたのだ。
そういえば初めて助手としてアドラーの仕事を手伝うと決めた日も、ここで眠っていたような気がする。
「飲み過ぎたとしても、ここではなくきちんとベッドでお休みになってください。何度かありますよねここで寝ていた事が。あれは良くありません」
「なに、こんなところで寝てしまうほどの山場なんて滅多にあるものではないさ。要らぬ心配などしていないで準備をした方が良い。自慢の金髪が崩れていては、ララに笑われてしまうだろう」
「それは今から整えます。本当に、ここまで辿り着くのも一苦労だったのです」
「ノックストリートは夜から本格始動だが、それまでも出店が並ぶ予定だからね。この付近までは伸びなくても、中央区から北へと向かう路地は大盛り上がりだろう」
相変わらず机の前で立ったままアドラーはカップを傾けていた。
「せっかくのお祭りだと言うのにアドラーさんは出ないのですか?」
「今更祭りにはしゃぐような歳でもない。喧噪が落ち着いてから懐かしい出店くらいは回るかもしれないが、僕にもやる事があるからね。それに、祭りは三日もある」
収穫祭は週末から精霊感謝の日まで続けられる予定である。一日目は比較的のんびりと、二日からが本番であり、ララたちは忙しくなってしまう。
フィオラも劇団の手伝いや、それに伴った寮母マダムの調理や出店の手伝いを申し出て数日前から忙しく動き回っていた。
それを全て許した彼女の父や祖父にアドラーは素直に驚いており、フィオラとしては肩書きを抜きに友人たちと楽しめる初めての祭りとあって気合が入っている。
「一つ忠告しておこう。ララはあの通り行動的で遠慮がなく、なおかつ普段から鍛錬をし続けている人間だ。彼女のペースに合わせていると、お嬢さんでは身が持たないだろうから、気持ち早めに休憩を提案した方が良い。それもすぐに入れる場所は少ないだろうから、事前のチェックをおすすめするよ」
「もう、アドラーさんは大袈裟ですね。そうやって振り回されるのも、良い思い出になるかもしれませんよ?」
編み上げた髪を整えながら苦笑するフィオラに、アドラーは肩を竦めてみせた。
「どんな経験も時が経てば笑い話に出来る可能性はあるだろうね。まぁ祭りの日だ。好きに楽しむのも一興なのかな」
「はい。そのつもりです」
アドラーの事務所へ通うようになって一ヶ月と少し、その中でも最も嬉しそうな笑顔をもってフィオラは答えていた。
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そんな祭りのスタート、その翌日の事である。
朝から事務所を訪れたその男に気付く事が出来たのは、数日前醜態を晒してしまったアドラーが、ちょっとした細工を行って感知術を変えていたからだった。
でなければ、その男がやって来たことには気付けなかっただろう。アドラーの魔眼を模した眼鏡を通しても、その男は視えなかったのだから。
「祭りの朝早くから、そんな装備でこんなところにやってくるとは。これはまた変わったお客さんのようだ」
少しの警戒をもって相対した相手は、アドラーと同年代くらいに見える黒髪の男。少し痩せ型ではあったが身なりが整っており、一見すると商人か何かのように見えた。
しかし通常の感知術に引っかからなかった事と、銀縁眼鏡を通しても視えない魔力の流れを持って、アドラーはその男がファイカによる装備で身を固めていると見抜く。
事務所の扉から入って来た男は断りもなく来客用ソファへと座り、革製の手袋を外しだしていた。
その手は火傷でも負ったのか皮膚が崩れ、癒着したようになっている。
「はじめましてアドラーさん。ルモニの賢者とまで讃えられる人と、こうして話すことが出来るとは光栄だよ」
「さて、勝手に事務所に上がり込み、すすめられる前に席につくような人間と話す事などあっただろうか」
「あるさ、そうだろう?」
男は懐から取り出した小袋を、無造作にローテーブルの上へと放った。革製の小道具入れといった袋は口が留められていなかったのか、衝撃で中身が滑り出る。
「さぁ、楽しくおしゃべりといこうじゃないか」
楽しそうに目を細める男の前、テーブルへと放られた中身。
滑り出たのは編み込まれた金髪の毛束だった。
一ヶ月と少し。短い期間であっても、アドラーはその毛束に見覚えがあった。眼鏡を通して残っていた赤い魔力が散るのもよく視える。
それは間違いなく、昨日彼女が。
フィオラ・リスレットが整えていた、金髪の一部だった。
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