第37話「配慮」

 飛び降りたアドラーを追うように、フィオラは屋根上から身を乗り出して下を覗き込む。眼下には帽子を押さえながら何事もなく着地するアドラーが見えた。

 わかってはいても気軽に高所から降りるのはやめて欲しい。抱えられて降りるのも御免だったが、目の前でやられるのもひやりとする。


 そしてフィオラ同様、突然の行動に驚いた人物がいた。飛び降りたアドラーの目の前、一人の男が驚きのあまり腰を抜かして座り込んでいる。


「誰かは知らないが、この先は二人きりの世界なのでご遠慮頂こう」

「な、なんだお前は! 何処から来やがった!」


 街灯のもとで、赤毛の男は上から降って来たアドラーに食って掛かった。それは怒られても仕方がない、とも思ったがアドラーはステッキをついている。

 少なくない付き合いで、それがアドラーにとっての戦闘形態だというのをフィオラは知っていた。


「上からだよ。見てわからなかったのかな?」

「上ったって。いや、あんたの事はどうでもいい」

「おっと、クリスタ・アンディは今取り込み中だとも」


 立ち上がり、横を抜けようとした男をアドラーが止める。


「あんたクリスタのなんなんだよ」

「何か、と問われるのは心外だな。君が彼女に僕の事をすすめたのでは?」

「あんたが賢者か!」

「そう呼ぶ人も居るね」


 それを聞いた赤毛の男は苛立たし気に舌打ちをしてアドラーを睨んだ。握りこぶしをつくり、今にも殴りかかりそうな雰囲気である。


「あんたちゃんと伝えたのかよ。あいつが冒険者だってよ!」

「さて、どうだったかな」

「ふざけんなよ!」


 手を伸ばして来た男の動きをアドラーはひらりと避けた。

 上から見ていたフィオラには何となくわかる。ステッキをつきながら、問答の最中に術の基点とやらを周囲に仕込んでいたのだろう。


「あんたがちゃんと伝えてれば、俺たちは今頃」

「ふむ。その発想は些か現実が見えていないと言えるだろう。いや、あえて見ていないのか、都合良く改変しているのか。いずれにせよ君は退くべきだと思うがね」

「うるさい!」


「それで、君は一体どこの誰なのかな」

「ただの同僚だ。クリスタの」

「ただの同僚が、こんな夜中に。彼女のデートの邪魔をしに来るとは」


 突破防止用に仕掛けただろうアドラーの術は発動する必要もなさそうになってきた。落ち着いたのか、逃げられないと思ったのか。男は素直にアドラーの問いに応じ始めている。

 フィオラはほっとしながら屋根上から会話を聞いていた。盗み聞きしているかのようで悪い気もするが仕方がない。


「クリスタの事は昔からよく知ってる。あいつはお人好しで抜けてる所がある。俺が見ててやらないと駄目なんだ。それが、昨日今日立ち寄っただけの冒険者にそそのかされて、騙されているんだ!」

「彼女が騙されているとしたら一大事だが、その根拠は何処かな」


「根拠? あいつは冒険者なのを隠して近付いたんだぞ。後ろ暗い事があるに決まってる。そもそも冒険者なんて、その日暮らしで酒浸りな奴らばかりで。街でやってけない奴らばかりじゃないか!」


 男は力説した。都市部での冒険者というのはこういう扱いなのだろうか。

 何処へ行ってもこういう言われ方をするのなら、自分から積極的に話そうと思わないライアーの気持ちもわかるフィオラであった。


「彼女が冒険者という事実さえ知れば、あるいは彼が冒険者というのが露見してしまえば。彼女の目が覚める、あるいは詐欺師が逃げると考えたのかな」

「普通そうだろう」


「ところが、つい今しがた。彼の口からその事実は伝えられ、クリスタが受け入れたばかりだ。それも、より絆が深まった形でね」

「そんな、馬鹿な……!」


 赤毛の男は崩れ落ちてしまう。

 この人も、何なのだろうか。アドラーはその接近を予想していたようだけれど。


「あ、あのーアドラーさん?」

「ひっ」


 話は終わったのかと上から声をかけたフィオラの声に、男が悲鳴をあげた。


「心配しなくても良い。僕の助手だ。噛みつきはしないとも、おそらくはね」

「何ですかそれは。あの、そろそろわたくしも降りたいのですが」

「飛び降りたまえ。僕の術で着地させて……、いや待て杖があったか」

「杖があろうとなかろうとお断りです。登った時の梯子、私一人で運べるでしょうか」

「いや、浮遊魔術で何とかしよう。君と違って遠距離操作も得意なのでね。ああ、杖は下げておくように」


 余計な一言を添えながら、アドラーは下から屋根の上に置いてあった梯子を持ち上げてみせる。

 ふわふわと揺れる木製梯子はフィオラの手で屋根のふちに引っ掛けられ、ゆっくりと地面へ足をつけた。


「あんたら、そんなところで何してたんだ?」


 男が呆けながら下から屋根を見上げている。梯子を降りるフィオラとしてはやめて欲しかった。いくら騎乗用ズボンとはいえ、あまりじろじろ見られたくはない。


 ほどなく地面に降り立ったフィオラは、一応腰に引っ掛けていた杖を手に持った。

 万が一もあるかもしれないという警戒だったが、男は不思議そうにアドラーとフィオラの事を見ているだけである。


「僕の通り名は知っているだろう。一応調査も行ったうえで詐欺師や乱暴者ではないという結論に至ってはいるが、それでも君の言う通り。冒険者は暴力を生業とするものだ。はじめから人と人の関係に首を突っ込むものではないが、一度依頼を受けたからには責任を持たなければならないからね」


「じゃ、じゃぁ。あんたはあいつが乱暴を働くような事がないよう、見守っていてくれたのか……!?」

「そうとも」


 何やら赤毛の男が座ったまま尊敬の眼差しを向けていた。フィオラはその様子に何だか既視感があって、何とも言えない居心地の悪さを抱く。


「ところで、結局この同僚さんは何しに来たのでしょう」

「彼は正義の心に動かされていたのだよ。悪評ただならぬ冒険者が、純朴な同僚を誑かしたと思ってね」

「そ、そうだ!」


「俺が見てやらないと駄目なんだ、というのは?」

「あ、あれは。言葉の綾という奴で」

「言葉の綾。本心が漏れたのではありませんか?」

「おっと前言撤回だ。これは噛みつく助手だったようだ」


 フィオラが前に出て、座り込んでいた男に詰め寄った。アドラーは渋い顔で一歩二歩と下がっていく。止める気はなさそうだ。


「あなたは昔から親しいというだけで。特別な存在だと、いずれそうなると夢想していただけなのではありませんか? その自身の気持ちをもって、一歩踏み込むことはなかったのでは? それでも好きで諦め切れなくて、動くだけの理由が欲しかったのでは?」

「そ、そんな事は」

「ないのですか? 本当に?」


「……わ、わかったよ。俺だって、クリスタの事が。す、好きさ! だから、いつもそばにいるもんだと。あいつもそういう気持ちだと。それが、急にこんな。何処の誰とも知れない奴に」


 詰め寄られ、白状した男の目が泳ぐ。


「そのようにのんびり構えておいて、今更動いたところで遅すぎます。せっかく良い人が出来て、幸せを噛みしめているところだというのに。クリスタさんだって困るでしょう。いえ、むしろ迷惑です」

「く、くそう。何なんだよ畜生。お、俺は告白もしないでフラれて、二人の幸せを見せつけられて」


「告白をする勇気がないからでしょう」


 フィオラの台詞が止めを刺した。男が目を見開いたまま、口を大開きにしたまま固まって、それから叫び出す。


「ちくしょぉぉ! 何なんだ! 何なんだよあんたらは! こんなボロクソに言われて、犯罪者みたいに足止めされて。何なんだよぉぉ!」


 一瞬襲撃かと身構えたアドラーだったが、赤毛の男は駄々をこねるように仰向けになってごろごろと転がりながら手足を振り回し始めた。


「まったく、お嬢さん。これでは先日と逆だろう。僕は彼の気持ちを察したうえで、慮って触れずに説得したというのに。君はただそれが事実というだけで冷たく告げて傷を抉るとはね」

「ですが、クリスタさんからしたら……」

「やれやれ、僕の出番だと言っておいて何とも冴えない締めになったが。結局のところ、僕らは同性の気持ちしか計れなかったということかな。さて、どうしたものか」


 アドラーたちの目の前には言葉にならない苦悶の呻きを発しながら、盛大な涙を流し、唇を震わせる一人の駄々っ子が居る。


「ところで、いつ彼のような人物が現れると?」

「そもそも、依頼主の性格からして自分から来るような人物ではなかっただろう。良いかい? たいていの人は思い悩んだ末に、ああした事務所の扉を叩く時には何を話すか決めているものだ。切り出すのに苦労しようとね」


「では最初から?」

「いいや。流石の僕もそこまでではない。誰かに言われて来たのは間違いないが、それが善人の相談者なのか。唆した誰かなのかはわからないからね。ただ、調べて欲しいと言っておいて、そのあとのアレはどう考えても恋人に夢中な事だし。それとなく警戒はしていた。確信に至ったのは、冒険者という事を聞いて彼女が呟いた“やっぱり”という台詞だ」


 と、守護精霊アウラが空から舞い戻って来た。てっきりこの赤毛の男の接近を警戒して飛ばしたと思っていたのだが、違ったようである。


「向こうも無事帰路についたようだ。さて、僕はこの、過剰に責められてしまった憐れな男に付き合おう。流石に一杯くらいは奢って話でも聞いてやらねば、賢者の名が廃りそうだからね。サディを呼んだから、君は彼女に家まで送ってもらうと良い」

「わかりました。あ、アドラーさん」

「なんだい?」


「尾行の時のこと。私のせいで見つかってしまって、その。すみませんでした」

「なに。助手の提案を検討し、大丈夫だと判断したのは僕だとも」


 アドラーは泣きべそをかいていた男をひっぱりあげ、片手を上げて去って行った。フィオラもその背中に遠慮がちに手をあげて応えてみる。


 ――こういう挨拶も、悪くないかもしれない。



【~素性調査~】了

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