第36話「屋根の上で」

 黒髪を揺らし、褐色の女性が走る。蠢く土のような怪物、飛び散る炎。降り注ぐ火の粉をすり抜けるように黒き影が通ったかと思えば、全てが崩れ去っていた。

 精霊が作り上げ、操っている火や土くれが派手に飛び、舞台裏で大型の守護精霊が風を圧縮して轟音を。小さな精霊たちと人間の奏者が楽器を打ち鳴らす。


 週末のノックストリート劇場では今周期何度目かの「影の王」演目が行われていた。


 主演のララによるキレのある動きと、劇場内で火などの精霊術を多用する派手さもあって大繁盛である。

 今日も大勢の観客が入っており、その中にはクリスタとライアーの姿もあった。


 フィオラの案はいたって単純である。ライアーにきっちりとしたデートをさせて、そこで自分の口から仕事について話させるというものだった。

 打ち合わせの段階でアドラーもライアーも、フィオラから出て来るデートプランを聞いて嫌そうな顔をしていたが、それでも今は真面目に実行している。


 今も、劇場のあと二人は楽しそうに話しながら事前に決めていた場所へ向かっていた。この先で、ライアーが仕事について切り出す予定である。


「実は黙っていた事があるんだ」


 夜の闇の中、演劇の余韻に浸りながら二人は水路脇のベンチに座っていた。ライアーからの改まった言葉に、クリスタの目には戸惑いが浮かぶ。


「俺の、仕事の事だ」


 並んで水路に反射する魔石の光を見ながら、重苦しく開いた口ぶり。一昨日見せた軽薄さは皆無である。そこは散々注意され続けたライアーであった。


「実は、冒険者をやっているんだ。その、黙ってて悪かった」

「……やっぱりそうだったんだ。ううん。でも、教えてくれてありがとう」


 思った通りクリスタの反応は悪くない。例えアドラーからの報告で聞いていても、おそらくは受け入れるだろうというのがフィオラの読みだった。

 それでも、あの態度では禍根を残す。その小さな棘を軽く見るのは禁物だ。少なくとも、賢者の仕事が別れの原因に繋がるようでは困る。


「俺は影の王のような孤独にはならない。そのためにも、クリスタ。お前に傍に居て欲しい。俺の帰って来る理由になってくれ」

「……はい」


 こっそり二人を見守っていたアドラーとフィオラは顔を見合わせた。場所は近隣の屋根上である。

 長年夜警を務めて来たサディから張り込める場所を聞き、アドラーが風の魔術で振動を増幅させて会話を聞いていた。


「これで彼女の憂いはなくなりましたね。まさか、彼があそこまで決めてくれるとは思いませんでしたが」

「歯の浮くような台詞とはああいうのを言うのだろう。認めよう。これは僕では導けない結末だとも」


「アドラーさんが、もう少し心に寄り添うようにすれば済む話だと思うのですが。ああ、でも。意地悪な部分は、なおした方が良いと思います」

「余計なお世話と言わせてもらおう。しかしまぁ、君はどうであれ、その心構えと意地で進んでいくのだろうね」


 アドラーは術を切り、肩を竦める。更に、その肩へと戻って来た守護精霊アウラをまた何処かへ飛ばした。


「だが、気を付けた方が良い。君はいささか真っ直ぐ過ぎる。戦闘には意地の悪さが必要なのさ。相手が嫌がる事をして、騙し、すかし、叩く。敵が殴り合いを望んだとして、それと真っ向勝負する必要が何処にある?」


わたくしは、勝つことよりも。自身の信念を守る事をまず考えますわ」

「なるほど。英雄アトラ・リスレットの姪だ」


 暗がりの中、アドラーが首を振っている。フィオラはまた何か皮肉か否定のような遠回しな物言いが続くのかと身構えてしまった。

 今回は何も言われるような謂れは……、尾行についていって気付かれたという失態くらいしかないはず。


「で、あるならば。やはり、かの英雄が言ったように。明確な悪が潜んでいる時こそが僕の領分なのだろうね。というわけで、そろそろ僕の出番だ」

「え?」


 言うなり、アドラーは屋根から一人飛び出していった。

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