第31話「そして中庭へ」

 フィオラがいつものように事務所に入ると、アドラーが踊っていた。いや、何やらくねくねとしている。

 腰をねじり、両腕を上へ伸ばして揺れていて、ともかく普段すまし顔で座って銀縁眼鏡を光らせている彼とは思えない奇行だった。


「アドラー、さん?」


 数秒、入り口で固まっていたフィオラがようやく声をかける。途端、弾かれたようにアドラーはその奇妙な踊りをやめた。


「お嬢さん、何時からそこに」

「つい今しがたですが、一体何を?」

「ああ、いや。どうしてかな。なに、この歳になるとね。座ったままは良くないのだよ。だからたまにこうして身体を伸ばしているわけだ」


 動揺するアドラーは取り繕うように座ってカップを持ち上げ。

 中身が空だった事に気が付いた。


「さて、サディ。お代わりを貰えるかな?」

「かしこまりました。フィオラお嬢様もコーヒーで宜しいでしょうか」

「ええ、頂くわ」


 フィオラはいつもの来客用ソファに座り、手にしていた杖をローテーブルへと置く。布地に包まれたままではあったが、それでも形状を見てアドラーが眼鏡を光らせた。


「なるほど。ファイカの素材を使った杖か。それで入口の感知を回避したのだね」

「入口の感知?」

「ああ、まぁ。この間の乱暴者のような人種が来ても困るのでね。事務所入り口にはそうしたものが仕掛けてあるのさ。今回は反応しなかったようだし、そうでなくてもサディは気付いていたはずだが」


 含みのある視線をサディに飛ばすも、アドラーのそんな視線に気づかないのか。メイドのサディは自分の役割に徹していた。

 無表情に並べたカップへコーヒーを注いでいく。香ばしく、ほんのり甘い深みのある香りが室内に広がっていった。


「それで、その杖が仕上がったのなら。今日は基礎ではなく、杖の扱いについて学んで行こうか」

「それで良いのなら、ありがたいです」

「もちろん。君とて、その新しい杖を試してみたいだろう」


 アドラーの提案にフィオラは深く頷く。自分としても、この杖の使用について学んでみたいと思っていたところだ。

 早く使いこなせるようになって、そのうえで守護精霊を迎えたい。温かいコーヒーを楽しみ、フィオラのやる気はどんどん上がっていく。


「あ、それと。支払いについて、アドラーさんが先んじて済ませていると聞いたのです」

「そうだね」

「あの、流石にこれはわたくしの杖ですし。自分でお支払いしたいのですが」


 あの後支払いについて切り出したのだが、そういう理由で断られてしまっていた。

 発端はどうであれ、自分の我儘で高級素材の使用も増えている。それをアドラーが支払うというのは、流石に気が引けた。


「助手のものだからね。と言いたい所だが、君のその資金も元を辿れば君が稼いだものではないだろう? リスレット家の収入からのものだ」

「それは、そうなのですが。それでも、私が自由に使うよう配分されたもの。それを貯めた資金です」


「ああ、早合点しないように。それは重々承知だが、それはそれとして。この事務所。本来は独立調査局。ここも君のお爺さんの出資から成り立っているのでね」

「そう、だったのですか。では、アドラーさんの活動はお爺様の依頼で?」


 だからお爺様は何かあったらアドラーを頼るように言ったのだろうか。そうした繋がりのような話は聞いていなかったが。

 しかし冷静に、サディの正体と、昔リスレット家に居たという事を考えれば繋がりがない方がおかしい。


「いやいや。そもそも、サディの支援のために配置されただけの小僧だったよ僕は。昼は僕が芽を潰し、夜は出てしまった魔を彼女が潰す。そういうわけで、結局のところ君のお爺さんの財布だ。気にすることはない」


 そうだとしても、自分用の資金から出すのが筋ではないだろうか。

 フィオラは誤魔化されているようで釈然としなかったが、アドラーはこの話は終わりとばかりに手を叩いた。


「さ、コーヒーを飲んだら早速中庭へ行こう」

「わかりました」


 話を逸らされたような気がするフィオラだったが、授業に入ってくれるというのなら望むところである。


~~~~~


 中庭に出ると、ほっそりとした年配の女性がブラシとバケツを手に立っていた。仁王立ちである。

 中心にある井戸から水を汲んだのか、バケツにはたっぷりの水が入っていて、所々移動によって零れた水滴が地面を濡らしていた。


「おはようございますマダム」

「おはようございますユーさん」

「おはよー。一ヶ月も経つのにアドラーさんがしないので、私がすることにします」


 言うなりマダムはブラシを掲げ、こちらに背を向ける。向かう先には焦げ付いた土壁が見えた。

 あれはいつかの襲撃者が放った火矢の跡である。魔術授業のたびに中庭に出て、もはや風景と化していた汚れだったが、それを掃除するようだ。


 口ぶりからするに、そもそもはアドラーさんが掃除する約束だったのだろうか。


「あれから一ヶ月も経っていませんよマダム。たったの三週間です」

「細かいわー。ま、気になったし。やれる時にやれば良いんだって。そっちはフィオラ様の特訓?」

「はい。頼んでいた杖が仕上がったので、扱い方についてアドラーさんに指導して頂こうと。あの、その汚れはアドラーさんが掃除する約束なのですか?」


「んー、約束というと違うけど。原則、この寮だと汚れの原因になった人が掃除とか修繕をする事になっててね」

「寮ですか?」

「そうそう。ここ、アドラーさんとこは違うけど。こっち側はね、ほとんどノックストリート劇場の寮で、私が寮母さん。今はシチューを仕込みながら、ちょっとお掃除」


 マダムが屈んでブラシを構えると、そのブラシの先が霞がかったかのようにぼやけていった。あれは先日煙突掃除人が見せた霧の技だろうか。

 魔術を掃除に使うだなんて。ほとんどの人は魔道具か、それこそ守護精霊の単一的な力を頼るものだ。


 それだけに、どういった術なのかが気になったフィオラである。

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