第22話「その後の事務所にて」
「結局のところ、あれがノティア・ガイストを受け継いだ男の敬意の表し方だったのだろうね」
「敬意、ですか」
「そう、敬意だ。そういう事にしておくのが一番だろう」
翌日、フィオラは再びアドラーの事務所を訪れていた。当初の目的であるお礼をしそびれてしまっていたというのが理由のひとつ。
もうひとつは、アドラーが口にした約束事を確認するためだ。
「そもそも、どうしてノティアさんはあんな無茶な依頼をしたのでしょう」
「無茶と言うと、わざわざ五十年前の女性を捜すよう部下に命じた事かね」
「そうです。知っていたのならあんなに回りくどい事をしなくても。そのおかげで色々と大変な目に合ってしまいましたわ」
フィオラは来客用のソファに座り、アドラーもその向かいに座っている。二人ともサディの用意した紅茶と、フィオラが持ち込んだお礼の菓子を前に寛いでいた。
「さて、彼はどうも記憶の継承のせいか影の王を崇拝している所があるからね。畏れ多いと感じたのかもしれないし、ただ単に自らが手掛けた演目をモデル元に観てもらうのが気恥ずかしかったのかもしれない」
「もう、はぐらかさないで下さいアドラーさん。ノティアさんに獲物がどうのとおっしゃっていたではないですか」
「なかなかに耳聡い。なに、簡単な事だとも。とはいえ、僕は先に情報を持っていた。それなくしてわからないのも無理はない。最近この街ではノティアファミリーに対立する動きがあるらしくてね。おっと、ありがとうサディ」
メイドのサディは話には加わらず、フィオラの持ってきた焼き菓子を切り分けて給仕に徹している。
正体を知ったフィオラとしては、伝説の影の王が菓子を切り分けているというのは何とも不思議な感覚だった。
「対立する者が居たとして。ボスが並々ならぬ想いを寄せる存在が居ると知ればどう動くか。ちょっと目立ってでも確保に走るだろう?」
「ではまさかあの大男が」
「いやいや。彼は額面通りにそれを受け取って、僕のところに何も知らずに来ただけさ。戦闘力はあっても少し考え足らずだね。ボスの念願かなった劇場を危うく潰すところだったわけだし、きっと今頃お説教だ」
お説教と聞いて、フィオラの脳裏にはあの厳つい大男が縮こまってノティアに怒られている姿が浮かぶ。
まさかそんな微笑ましい叱り方ではないだろうけれど、昨日必死に道路を直している姿を見たせいでそんなイメージが浮かんでいた。
「ではその者の炙り出しのためだけに?」
「もちろん違う。本命はデートの誘いで、釣りはついでの事だろうね。そのついでであれだけの事が起こるというのが、何ともノティアファミリーらしい」
「振り回された身としては、何だか釈然としませんが……」
「その件については申し訳ない。だというのにそちらから菓子まで頂いてしまって、どうしたものかな」
アドラーは言いながら切り分けられた焼き菓子にフォークを入れる。さくりと軽い手応えで突き刺し、持ち上げるとそのまま齧りついていた。
フィオラは少しだけ驚きつつ、自分はまず菓子を倒してからナイフを入れ、細かく分けてから口へと運ぶ。
中央通りにある評判の菓子屋で焼かれたミルフィーユだ。何層にもなった生地がさくさくで香ばしく、風味も良い。中のクリームは甘さ控えめでコクがあり、上掛けの糖衣には細かくした栗がまぶしてあった。
「クリームにも栗が使ってあるのかなこれは」
「ええ。ああ、サディも座って食べて。口に合うと良いのですが」
「私もですか?」
「当然よ。ねぇアドラーさん」
「そうだね。君は対外的にメイドという事で普段は遠慮してしまうが、ここにはリスレットとアドラーの者しか居ないわけだし問題ないだろう」
「わかりました。失礼させて頂きます」
サディは少し迷った素振りを見せるも、フィオラの横に腰を下ろして自分用の紅茶を用意し始める。
その動作は長年の蓄積なのか、あるいは元となった人間のものなのか、とても自然で、昨晩ララが演じていた主人公には見えなかった。
長い黒髪をたなびかせ、颯爽と魔物を倒していく孤独な戦士。踊り子としての身体能力と、普段の会話からは想像もつかない凛とした声色。ララの魅せた影の王は格好良く、そして哀しかった。
「昨日のララさん、素敵でしたわ。ねぇサディ?」
「はいお嬢様。題材となった当時の私はあまりに受動的でしたから、魔を狩るだけで周囲の事など見ていませんでしたが。それが、ああして語り継がれるというのは悪くないものですね」
「無関心に魔を颯爽と狩るからこそ、人々は憧れるのかもしれないね。まぁ賢者しかり英雄しかり、周囲の人間ほど勝手な幻想を抱くものなのだろう」
アドラーはさっさと食べ終え、立ち上がる。せっかくサディが座ったというのに。けれど、今の言葉はフィオラに響いていた。
「……周囲の人間ほど勝手な幻想を抱く、ですか。そうなのかもしれませんね。
フィオラが独り言のように呟いていると、顔に影がかかったのがわかる。何事かと見上げれば、アドラーが白い帽子を差し出して立っていた。
「君の帽子だろう? 今度は忘れないようにしたまえ」
「あ、はい。ってあら?」
どうしてこのタイミングでと思いながら受け取ったつば広の帽子は、何故か頂点部分が破れかけている。この帽子は確か、昨日サディに渡してそのままだったはずだ。
「流石、野蛮な下っ端だ。借り物の品質管理も出来ないらしい」
「えっと、どういうことでしょう」
「君は守護精霊の特性について知っているかい?」
「それは、基本となる属性に関する魔術を意識せず使う事が出来て。元となった動物の特徴を持っていると聞いています」
「その通り。中庭で相対した中に犬型の守護精霊を連れているのが居たのでね」
「まさか、昨日彼らが追って来られたのは……」
「そうとも」
フィオラは先ほど口にした幸福が逃げるような気がしてしまった。お気に入りの帽子だったというのに、今は何処か獣の臭いがする気もしてくる。
「やはりアドラーさんは凄いですね。あの一瞬で、そのことに思い至って戦う準備を始めてしまうなんて」
「さっきの話を覚えているかな? 一定の努力をしているのは認めるが、周囲の賢者などという幻想には辟易していてね」
「それでも。それでも私はあなたに実戦的な魔術について教わりたいのです」
「実戦的な魔術?」
「はい。昨日、アドラーさんが約束してくださいました」
フィオラの真剣な眼差しに、アドラーの動きが止まった。思い当たる事があったのだろうか、珍しく目が泳ぎ後ずさる。
「その、何だね。あれは言葉の綾と言うか」
「早速授業をお願いします先生」
「やめたまえ、君まで。先生などというのは劇場の子たちだけで十分だ」
「では何時頃なら可能でしょうか」
フィオラが立ち上がり、ぐいぐいとアドラーに詰め寄った。アドラーの方は更に二歩下がり、視線を逸らす。
「わかった。二週間後も君がそのつもりで居たのなら軽く教えるくらいは請け負おう。今回の件では迷惑をかけた事だしね」
「まぁ、ありがとうございます。二週間後、必ずですよアドラーさん!」
押し負けたアドラーは、抱えて飛び降りたことはこれで帳消しなどと言い訳のように言い募っており、何とも情けなかった。
温かい日差しの入る事務所には、そんな家主と。満足そうに笑みを浮かべるフィオラに、黙々とミルフィーユを食べるサディの姿があったのだった。
【~最初の事件~】了
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