第21話「黒髪の女性」

 薄暗いノックストリート劇場の客席から、アドラーとフィオラは演目のリハーサルを眺めていた。舞台にはララが黒い長髪を振り回し、動きの確認を行いながら照明の調整を行っている。


 飛び交う精霊が光や、時に炎をあげて。あるいは昼間に見た土壁のようなものを粘土のように変形させて演出を連携させていた。


 そんなアドラーたちのもとへ、一人の老紳士が近寄って来る。白の短髪にまぶたに傷跡のある老人は、黒ぶちの眼鏡から二人に目礼してアドラーの隣へと座った。


「四年ぶりかな若き大空の眼よ」

「もう若くはありませんよ、灼石のノティア・ガイスト」

「何を言うまだひよっこだろう」

「あなたから見ればそうでしょうとも」


 人の良さそうな笑顔を見せる老人は、軽く笑ってリハーサルへと目を向ける。


「若いのが迷惑かけたと聞いた」

「やんちゃな相談者でしたよ。ああでも、教育はほどほどに」


「で、探し人は見つけてくれたのかね?」

「人が悪い。かつて領主不在の中アンデッドたちを討伐した北の亡霊が、影の王を知らないはずがないでしょう」


 フィオラはまたも置いていかれていた。いきなりやってきた老人ではあったが、会話から察するに気軽に話しかけて良い相手ではなさそうである。


「君なら彼女に話を通してくれると思ってね」

「相応しい使いを出すべきですね。事情も知らない乱暴者が来たら、僕としては対処せざるを得ない。それで、良い獲物は釣れたのですか?」

「上々だ。奴らは西の王を名乗っているらしい」

「それは何とも畏れ多い」


 そこで初めて老紳士ノティアはフィオラに視線を向けた。印象は優しそうではあるのに、あの身も竦むような大男に連なる人物だと思うと、フィオラの身はどうしても硬くなってしまう。


「さて、挨拶が遅れたねリスレット家の娘よ。私はノティア・ガイストという。ノティアファミリーのボスをやっている」

「は、はじめまして。フィオラ・リスレットと申します」

「緊張するような事はないぞ。今日は私の願った演目がついに実現する日でね。機嫌は良いんだ。是非見て行ってくれ」


 言われて舞台に視線を向けたフィオラだったが、どうしても気になる事があった。


「あの、五十年前の女性を捜してくれという依頼はどうなったのでしょう」

「気になるかね」

「はい。その、よくわからない依頼に振り回されて。何だかよくわからない大冒険になってしまいましたから」

「大冒険、か」


 怒られるかもと思ったが、意外にもノティアの声色は優しい。もしかしたら引退間際で荒事から離れている人なのかもしれない、とフィオラは勝手に思うことにした。そうしなければ話をするのも難しそうである。


「五十年前、まだまだ若造だった私はね。彼女に命を救われたんだ。影の王について、お爺さんから何か聞いているかね?」

「かつてこの地に在り、この地を守った大精霊のひとつと」

「何だいあいつ、そんな大事な事も教えてないのか。いや、お嬢さんはまだ成人前か。それにしてもなぁ」


「あの、わたくしは無知かもしれません。それを笑って頂いても構いません。ですが、知りたいのです。お爺様は私を守るためなのか、あまりそうしたお話をして下さいませんでした」

「それを何だ、敵対に近い私から話しては、あいつも立つ瀬がないだろう?」

「良いのです。秘密にしているお爺様が悪いのですから」


 そのフィオラの拗ねたような言い分に、ノティアは悪戯好きそうに皺を歪めて笑い、心底楽しそうにクックックとしゃくり上げるような声を漏らした。


「無知は、嫌なのです。せめて知って居れば、選ぶ事が出来ます」

「知識だけじゃ選べないぞお嬢さん。知がなければ選択肢も見えず、力がなければ見えていても選べはしない」

「それは、おいおい身につけます。約束も取れましたし、あてがあります」


「ふむ。影の王については伝説の十傑でも触れられてはいるが。事この地、ルモニにおいて重要なのは五百年前の事だ」

「聖王暦三百十年のダンジョン崩壊、ですか。確か影の王の力で事をおさめた大事件で、その後の魔術師運用やダンジョン管理、ひいてはツェルル地区奪還に繋がる契機になったと学んでおります」


 フィオラは授業で習ったことを話す。それしか自分の中にないからだ。

 その時リスレット家は西の戦いに多くの兵を率いて遠征しており、この地を守る兵力は居らず。王都から運用経験のない魔術師がはじめて実戦投入されたらしい。


「教科書的だな。良いかいお嬢さん。ダンジョンが崩壊し、魔が溢れた時。この地にあったのは只の人間たちだった。事件じゃなく、惨劇さ。自分たちを守るはずの領主ははるか西。この地はたちまち地獄となり、その後新たな異界となった」


「異界、ですか」

「それもアンデッドの支配する地獄だ。そこまで行ってやっと影の王は目覚めた。それまで残った生存者たちを束ね、武力で何とか持たせたのは我々だ。私はその記憶と技を継いでいる。それが北の亡霊ノティアファミリーだ」


 あの無茶な依頼主のせいか、ノティアファミリーを危ない集団くらいにしか認識していなかったフィオラにとって、その話は衝撃的だった。


「とはいえ、事を何とかしたのは間違いなく影の王だ。そして影の王は今もこの地を守っておられる。夜警として、この地に溢れ出る呪いと魔を狩り続けているのだよ」


 もしそれが事実なら、あのお爺様が知らないはずはない。ずっと隠されて来たのだろうか、それとも。そもそもフィオラにはこの話が本当のことかもわからない。

 フィオラは助けを求めて間に座っていたアドラーの方を見るも、銀縁眼鏡の彼はただ目を閉じてじっとしているだけで何も読み取らせてはくれなかった。


「信じられないかね。私も当時、それを信じられなくてね。夜に馬鹿をやって、その伝説に助けられたのさ。綺麗な黒髪をした一人の女性だった」

「影の王は女性だったのですか?」


「いやいや。影の王に性別なんてものはないよ。ただ単に、人の世を知らなかったから。支障がないよう、かつて捧げられた供物の中から活動用の分霊を用意しただけさ」

「供物……」

「想像通りだお嬢さん。そんな野蛮な時代から、影の王はこの地に在ったのだ。さて、通しリハーサルの時間だ。そろそろ、出て来てくれても良いのではないかな?」


 ノティアがそう言うと、それまで誰も居なかった座席の合間から影が盛り上がるようにして現れる。

 暗がりの中、更に黒く塗りつぶされていた影はやがて人型になり。そして、フィオラが事務所で出会った黒髪のメイド、サディへと姿を変えた。

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