第19話「再戦」

 腕を掴まれたフィオラも、それを見ていたララも動きが止まり、不思議そうにアドラーを見上げている。


「先生?」

「すぐにここを出るぞお嬢さん」

「え、ここに隠れているというお話では」


「その予定だったのだがね。すまないララ、僕のミスだ。ああいや、どうにも今日は後手後手だな。遅かったようだ」

「どういう事ですか先生」


 アドラーの謝罪に、ララは紅茶の用意をやめて真剣な表情となって向き合った。相変わらずフィオラには何がなんだかわからなかったが、口を挟める雰囲気でもなく、当事者のはずなのに見守るしかない。


「痕跡は消して来たのでしょう?」

「もちろんそうだとも。だからまぁ、これは仕方のない事だ」

「そう。でも先生、さっきの謝罪は受け取れないわ」

「わかっているさ。なに、問題はない。すまないがお嬢さん、一緒に来てもらうよ」

「は、はい」


 アドラーは掴んだままの手を引いてフィオラを立たせると、ステッキをつきながら優雅にエスコートを開始した。向かう先は劇場の出入り口。


「お嬢さん。君はただ巻き込まれてしまっただけの立場だが、どうか僕を信じて任せて欲しい。君も、多少は僕の評判を知っているのだろう?」

「それは、はい。お爺様にも何かあったら頼るよう言われていますので」

「領主様がそこまで僕を評価していたとは驚きだね。だがまぁ、その期待に応える程度には働くとしよう」


 何かが起こる、のだとすれば先ほどみたいな事になるのだろうか。フィオラとしては何の心構えもなく落下するような展開だけはやめて欲しかった。


「また二階から飛び降りるような事になるのでしょうか」

「ここは半地下だからそんな事にはならないさ。ただ既に包囲されかけている。僕の守護精霊によれば、前方にあの男たち。後方にも何人か」


「それは、大丈夫なのでしょうか」

「大丈夫だとも。僕は歩きながら、あるいは立ちながら術を使う。今もこうやって入口までの何か所かに基点をつくっているわけだ。事務所でもそうだったように、用意周到なのさ」


 そう言われて、フィオラはあの時の感覚を思い出す。あの危険そうな男が飛ばされかけ、急にふわりと身体が浮いて。あっと言う間に外へと放り出されていた。

 これまで体験してきた日用的な魔術や、授業で扱って来た初歩的な動作とは全く違うもの。これこそ自分が求めていたものではないだろうか。


 フィオラは自分でも気づかない部分で高揚を感じていた。知らずアドラーが引いていた手を握り返してしまう。


「あの時と同じだ。黙って立っていてくれれば問題ない」

「わかりましたアドラーさん」


 無人の受付を通り過ぎ、両開きの扉から出た先であの男が待っていた。劇場前の少しだけ開けた煉瓦敷の大通りで、仁王立ちした男は不機嫌そうにアドラーたちを睨んでいる。


「よぉ賢者さん。何処に逃げたかと思えば、こんなところに居たとはな」

「ふむ。ノティアファミリーはここを襲う意味をわかっているのかな?」

「意味? 意味だと? そんなの知らねぇな。俺はただ噂の賢者に仕事を頼みたいだけだぜ。その過程で何かあっても、知ったこっちゃねぇよなぁ?」


 男が挑発するように片手をあげると、アドラーたちの横手にあった縁石が飛び上がった。隆起した土に弾かれたブロック状の石は回転しながら劇場の壁へと突き刺さる。


「中に居る女も捕まえろ。きっと奴の縁者だ。さて、さっきみたいに逃げたいなら逃げても良いんだぜ賢者さん」

「逃げる? 逃げるだって? それは君たちにこそおすすめしよう。まぁ、もはや逃がしはしないがね」


 中に入ろうというのか、左右を固めていた男の部下たちが前に出た。その数四人。全員中庭でも見せた短剣のような杖を構え、アドラーへと向けている。また火矢を放とうというのだろうか。


「懲りないな。事務所でも同じようにして、それは成功したかな」


 アドラーが裏手にまわしていた守護精霊に働きかけ、術を発動させる。その瞬間、裏口から侵入しようとしていた二人の男はいきなり劇場内部へと吸い込まれた。


 内部では先程仕込んだ基点を繋ぐように空気の渦が巻き起こる。ララ確保を目論んでいた二人は、わけもわからぬまま高速で劇場内部を突っ切って。劇場正面、アドラーたちの横へ放り出されるように転がっていった。


「い、いてぇっ!?」

「ひぃぃ!」


 結構な速度で道端へと突っ込んだ男たちは、咄嗟に身を庇うように手を伸ばした結果。片や腕が折れ、片や肉が削げるような傷を負ってのたうち回っていた。血をまき散らす暴れぶりにフィオラは思わず目を逸らす。


「てめぇ!」

「君らはどうも弱者をいたぶるような心構えだったようだが。それはアドラー家を甘く見過ぎだと言えるだろう。追放されたとは言え、これでも始まりの十人が末。ただで済むとは思わない方が良い」


 劇場から出てきた梟の守護精霊アウラがアドラーの肩へと止まった。後ろの憂いを絶ち、かつ注意を自分に向ける。

 嫌がらせで劇場自体を攻撃されたら防ぎ切れない。ヘイト誘導はうまくいった。


 ただ――。


 隣でさっきまで青い顔をしていた金髪のお嬢さんからの。更なる尊敬が込められた視線だけがアドラーの想定外であった。

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