第18話「踊り子のララ」

 フィオラを担いだままアドラーが辿り着いたのは薄暗い劇場だった。広い空間にはいくつもの座席が弧を描くように並んでおり、その先には小さな照明に照らされたステージが見える。


「あら~先生。人攫いですか?」

「やぁララ。はじめから犯罪行為に限定して物事を見ようとするのはどうかと思うが、そう見えるかね」


 ステージに一人立っていた褐色肌の女性は、にこやかにアドラーに声をかけてきた。

 そのおっとりとした調子に少なからずアドラーはほっとしたようで、緊張が緩んだように女性へと笑い返す。


「それはも~う。若い女の子を担いで駆け込んでくるだなんて、誰にだってそう見えると思いますけど」

「なに、道中目立たぬよう細工はしてある。本人も暴れかねなかったので眠ってもらったし何も問題はないとも」

「なるほど~、巡邏の人を呼べば良いですか?」


 アドラーは担いでいたフィオラを席に座らせ、肩をほぐすように回していた。その様子を見て、ララと呼ばれた女性はステージから降りて二人の方へと向かう。


「さて、そんな事態になればやんちゃな依頼主と巡邏隊でここは戦場になってしまうだろうね。孫娘が攫われたとなっては領主も出張って来るかもしれない。とすれば、異国の姫が主演となる晴れの場は初日にして大盛り上がりになるわけだ。この日のために練習を続けた姫が望んだ形かは、僕にはわからないけどね」


「もちろん、賢者さんはわかるでしょ~う? 何せ相談者がただの小娘だった時から、その練習に付き合って来たのだから。それにしても、異国の姫なんて誰のことかしら」

「もうただの踊り子ではないだろう?」

「そうかもね~。それで、そんな大事な時に。賢者さんは領主の孫娘さんを連れて何を持ち込もうというのかしら」


 アドラーの隣まで来たララは長い黒髪を後ろにまとめながら、座らされているフィオラへ目を向けた。術の効果か、領主の孫娘は無防備に眠っていて穏やかな寝息をたてている。


「持ち込んで来たのはノティアファミリーでね。巻き込んでしまったお嬢さんを少し匿って欲しい」

「それはそれは。とりあえず、この娘を起こしましょうか先生」

「起こす? 僕としては出来ればこのまま事を終わらせたいところだ」


「いけませんよ先生。年頃の娘さんを捕まえて勝手に寝顔まで見て、起きる前に逃げようだなんて。それに、巻き込んだのならこの娘も当事者なんです。面倒だからと説明もせずに行っては恨まれますよ」

「恨まれた所で一向に構わないのだがね」


 肩を竦めるアドラーに、ララは何やら目を細めて冷たい視線を送って応えた。そのまま続いた沈黙の末に、アドラーは咳払いをしてフィオラに杖を向ける。


「やれやれ、眠っていた方がうまく運ぶだろうに」

「それは先生の都合でしょう?」

「まったく、敵わないな」


 ほどなく、フィオラの瞼が何度か震えたかと思うと、すんなりと開く。顔をあげたフィオラはぼんやりとしたまま周囲を見回して首を傾げた。


「ここ、は?」

「こんにちは~お嬢さん。ようこそノックストリート劇場へ。私はララ、南方ルテン出身の踊り子よ」


 戸惑った様子のフィオラに、ララは膝を曲げて優しく語りかける。見慣れない褐色肌の女性に、暗がりのホール。状況に追いつけないフィオラだったが、彷徨わせた視線がアドラーに向いて止まった。


「踊り子とは。彼女はこのノックストリートにおいて欠かせないほどの演者であり、今日から行われる演目では主演に抜擢された大物だとも」

「あ、あなた。二階からいきなり飛び降りるだなんて!」

「ああ、そこからか。なるほど」


 フィオラは一瞬声を荒げそうになったものの、隣でにこにこと笑っているララを見て少しだけ冷静になる。


「すみません取り乱しました。わたくしはフィオラ・リスレットと申します。アドラーおじ様ともきちんと挨拶をしていませんでしたね。とにかく、何がどうなったのでしょう」

「アドラー、おじ様?」

「……ひとまず悪漢どもから逃れて、ここノックストリート劇場へ避難して来たところだね。僕としては、顔の知られた君はここに隠れていて欲しい。それと、ララ。君は笑い過ぎだ」


 おじ様と聞いたララはお腹を抱えて堪えるように笑っていた。くっくっと漏れる息と震える肩を見て、アドラーは眉間に皺を寄せる。


「あはは、もうだめ~。先生そんな呼ばせ方してるんですか~?」

「僕の発案のように言わないでくれ。この娘とは初対面だし、勝手に言っているだけだ。それに、その呼び方は止めるよう言ったと思うがねお嬢さん?」

「ああ、そうでした。色々あって、つい」


「そもそも君はどんな用件で事務所に? 領主様の指示かな」

「いえ、そういうわけでは。というか、初対面ではありませんわ。アドラー、さんは覚えていないかもしれませんが」

「ほう?」


 フィオラは何だか言いにくそうに頭の上に手をやり、そこにあったはずのものを掴み損ねて手を戻した。


「ふむ。君は帽子をしていたのかね。もしかして白くてつばの広い?」

「ええ、そうです」

「となると。先日、夜歩きして絡まれていた娘だね」

「はい。そのお礼のために事務所へ伺ったのですが」

「それで巻き込まれた、か。災難だったね」


 一人納得して頷いているアドラーの脇腹に、ララの手が伸びる。指先でつつくような動作で、それでいてぶすりと刺さった指にアドラーが身をよじった。

 無表情のまま身をくねらせるアドラーの様子に、賢者と呼ばれるほどの尊厳はない。フィオラはそんな二人を見て少しだけ肩の力が抜けた。


「先生~、私も何があったか知りたいわ。先生は、いつも多くを語るくせに、それが誰かのために向いていた事がないんだもの」

「何も特別なことはないよ。我儘な相談者が人捜しを頼みに来て、僕が断ったら逆上しただけさ」


「私もその場に居ましたが、その人は五十年前の人物を長い黒髪と強い冒険者という条件だけで捜すよう強要したのです」

「ふむふむ。先生が~、ノティアファミリーが来るというのに事前に察知出来なかったなんてこと、あるんですか?」


 言われてフィオラは、事務所に入って来たアドラーの慌てぶりを思い出す。あの大男が来た時も、そういえば扉がノックされるより前にわかっていたようだった。


「アドラーさんはわかっていたのですね。あの人たちが来ることが。流石ルモニの賢者と呼ばれる人」


 フィオラから注がれる、何やらキラキラとした視線にアドラーの動きが止まる。その様子をララは楽しそうに、露骨なにやけ顔で眺めていた。

 アドラーは苦々しくララを睨みつけ、大きな声で咳払いを挟む。


「ともかく、君は顔を見られているし奴らは利用しようとするだろう」

「それは、困りました。お爺様に連絡した方が良いのでしょうか」

「止めておいた方が良い。それこそ、ここを戦場にしてしまうだろう。何、心配せずとも僕が何とかするさ。それまでここでララと茶飲み話でもしていてくれ」


「五十年前の冒険者を捜すのですか?」

「いいや。何事も、そうだとも。思い悩み、何かを求めたのなら。その発端、本人すら気付いていない内を見通さなければならない」


 ステッキをつき、帽子をおさえたアドラーは大袈裟な動作をつけて風を起こした。ここに飛び込んだ時から屋根へと配置していた、天の眼アウラがそれに呼応して飛び立つ。

 フィオラにその動作が持つ意味は読み取れなかったが、ただただ凄い人というような視線がアドラーには痛かった。


「まぁまぁ~、先生も。一旦お茶でも飲んで休憩しましょうか」

「ありがとうございますララさん」

「ララでいいわよ~フィオラちゃん」

「そんな」


 いつの間にか居なくなっていたララがお盆を手に戻って来る。提案に恥ずかしがったのか、フィオラはまたも手を上にあげかけた。


「まずい」


 それを見ていたアドラーは言うなりフィオラに駆け寄って、下げかけの手を乱暴に掴んでいた。

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