第16話「無謀な依頼」

 入って来た男はちらりとフィオラを見たものの、すぐにその三白眼をアドラーへと向ける。不機嫌そうな顔は厳つく、左顎から斜めに口を絶つような傷跡が残っていた。


「さて、ノティアファミリーの者が僕に一体どんな御用かな?」

「単なる相談事だ。あんたの評判は聞いてるよ賢者さん。なぁに悪い話じゃない。解決してもらえれば謝礼もはずむぜ?」


 にやりと上げた口角が傷によって歪む。相変わらず男の眼は鋭く、自分に向けられていたわけでもないのに、それだけでフィオラは身がすくんでしまった。


「僕も忙しい身でね。すまないが茶をお出ししてゆっくり話しをうかがう、というわけにもいかない。用件は手短に。それと、お手柔らかにもね。先客のお嬢さんが怯えてしまっている」

「来客中とは。悪かったな嬢ちゃん。言ってくれりゃ待ったんだがな」


 話題に出たことで完全に目があってしまったフィオラは縮こまる。黙って立って居れば良いとアドラーには言われたが、無遠慮に上から下まで眺められて良い気持ちはしなかった。


「それで待ってくれるというのなら、僕もお茶くらい出せたかもしれないね。しかし事は急を要するようだし、時間がかかると見ればあなたは無理にでも扉を開けていた。扉の修繕費や、雇われメイドの子が怖い思いをしてはいけないからね」

「あんたが賢者さんって言われるのも、伊達じゃないってわけか。んじゃま、早速だが人捜しを頼みたい」


 男は入り口に立ったまま話を進める。茶や菓子もなく、お互いに立ったまま。来客用のローテーブルを縦に挟んでの距離は、何とも緊張感の漂う対話だ。


「長髪の女だ。髪は黒。ただし、若い頃の話だ」

「若い頃というと?」

「五十年ほど前の話なんだよ。賢者っていうくらいだ。もちろん探せるな?」

「さて、その条件だけで人を探そうというのは、あまりにも無謀というのではないかな。もう少し、知っていることを話して貰わなければ手のつけようがない。そもそも、その女性はご存命なのかね」


 五十年前の女性を捜せという依頼は、いくらこの人がルモニの賢者といえど難しいのではないだろうか。

 フィオラは話がこじれれば、何やら巻き込まれそうな気配を感じていた。どうにか上手くあしらうか解決して欲しい所だったが、向こうの要求が無理難題に見える。


「生きてるって話だ」

「その情報は何処から?」

「ボスだ。冒険者か何かで、おそろしく強かったらしい」

「五十年。そんなに経ってまで、どうしてその女性を?」


 アドラーの質問に、男が舌打ちを返した。


「おいおい。俺はあんたに今朝食べたメニューやボタンの数まで教えなきゃなんねぇのか? 俺が聞きたいのは、出来るか出来ないかだ」

「必要ならもちろん。あなたのその傷や、靴の磨き粉、髪の手入れ方法まで聞くとも。興味はないがね」

「なんだと?」


 男の凄味が増す。言いながら一歩踏み出した男はアドラーを睨みつけ、今にも飛び掛かりそうな勢いだ。

 対するアドラーは動じることもなく、正面から溜息をついて続ける。


「良いですか? 五十年前の情報しかない、最近の動向も所在も不明な相手を探そうというのなら。相応の情報量が必要だ。あなたが取るに足らないと思っている、あるいは僕に話す必要はないと思っている情報に手がかりがあるかもしれない。どうして探す事になったのか、あなたのボスはどういう表情で、どう語ったのか。些細なことが繋がる可能性だってある」


 アドラーがステッキで床を叩いた。


「本当に見つけたいのなら、順を追って経緯から話して貰いたい」

「それは駄目だ。いいか賢者さん。俺の出す情報が全てだ。五十年前、黒の長髪。凄腕の冒険者。あんた口は回るようだが、その分頭を回すんだな」

「なるほど。なら、ご依頼は丁重にお断りするとしよう」


 空気が凍る。それも、痛々しい凍り方だ。ただ居合わせただけのフィオラの方がぶるりと震えてしまう。

 まるで背中に氷でも放り込まれたかのような。手先の感覚がなくなって、自分が重い空気に押し付けられているような錯覚。


「……本気かい賢者さん」

「出来もしない依頼をその場の保身で受けないだけ有難く感じて欲しいものだ。僕がそうやって時間稼ぎをする方が、あなたにとって不利益では?」

「そうだとしても。この街で不可能を可能にする人捜しなんざ、お前にしか出来ないんでな」


「やれやれ。結局、出来るか出来ないかではなく。あなたが迫っていたのは、自発的にやるか強制されてやるかの二択というわけだ」

「賢者のくせに今頃気付いたのかよ」

「いいや、気付いていたからこそ次の一手を仕込んであるのさ」


 男がその言葉に反応するより早く、アドラーは動いた。ステッキから床を伝った何かが、動こうとした男の真下から襲い掛かる。

 吹き上げたのは風の塊。相手を吹き飛ばすほどの旋風に、男は身をひるがえし後退。不意の一撃に転倒すらしなかった男だが、その間にアドラーはフィオラを抱き寄せ、跳んだ。


「口は閉じておいた方が良い」

「え、ちょっと」


 同じように床から吹き上げる風に乗ったアドラーとフィオラの身は、合わせるように開いた窓から外へと運ばれる。

 放り出された先は二階の中空。準備の出来ていなかったフィオラは息を呑む。少しの浮遊感のあとは、ただ落下するだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る