~最初の事件~

第15話「おじ様」


 はじめの事件、ですか。はい。あれは忘れようとしても忘れられません。

 ルモニの賢者という名前は以前からお爺様、えぇ。領主のフェイゼン・リスレットより聞いておりました。


 「何かあったら頼れ」と。


 だから、あの夜私を助けてくれた方がその人だと知った時は、何だか運命的なものを感じて。今だと笑ってしまうようなお話ですが。


 ですから、はじめて事務所に訪れる時はとても緊張して。

 そこから巻き込まれた事件の間も、ずっとドキドキが止まらなかったのを覚えています。


          ~ルモニ領主フェイゼンの孫娘フィオラ・リスレット~



~~~~~~~~~~

【~最初の事件~】聖王暦816年、第9周期。火の週、森の日。



 ジャン・アドラーの事務所は街の北部、歓楽街を横切る交通水路から二ブロックほど入った大通りに存在していた。

 領主の居る南や、行政のある中央や東からは少し距離があり、かつ西の下町や北東の歓楽街とは水路で区切られた好立地で静かな場所である。


 商売をしている通りも多い地区だというのに、その中で空白地のように。そうした人々の住居が集まったような場所に、ひっそりとその事務所はあった。


「こちらへどうぞフィオラお嬢様」

「どうもありがとう。ええっと」

「メイドのサディ・ルグと申します」


 訪れたフィオラは、応対してくれた黒髪のメイドに案内されるまま中へと入る。

 玄関を入ってすぐに階段があり、ホールから登っていった先に目当ての事務所があるようだった。


「サディさんはどうしてわたくしの名を?」

「お嬢様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私はフィオラお嬢様が五つの頃までリスレット家におりましたので」

「まぁ!」


 階段を上がったところで、サディの言葉に驚いたフィオラは振り返る。雇われである以上、そういう偶然もあるのかもしれない。


 それにしても自分が五歳の頃、となると彼女は一体いくつなのだろうか。

 小柄で表情があまり動かない彼女はまだまだ年若そうに見える。失礼ながら自分より年下のように感じていたフィオラは、何となく申し訳なく感じてしまった。


「ごめんなさいサディさん。私ったら覚えていなくて」

「構いませんお嬢様。私はフェイゼン様の傍にありましたので無理もありません。それと、私の事はどうかサディと」


「わかりました。サディ、それで。アドラーおじ様はこちらに?」

「いいえお嬢様。旦那様は調査に出ておいでです。宜しければこちらで少しお待ち頂ければ、そう遅くはならないはずです」


 言いながらサディは前に出ると、向かって左の扉を開く。中には来客用のソファとローテーブル、その奥に少し大きめの机と革ばりの椅子があるのが見えた。


「わかりました。良かったら、あなたの話を聞かせて頂けませんか? リスレット家には長く?」

「はい。宜しければ紅茶かコーヒーをお淹れしますが、どちらをお好みですか?」

「そうですね。では、紅茶を貰おうかしら」


 フィオラがすすめられるまま来客用ソファに座り、サディが一礼して去ろうとしたところで、一階から扉を開け閉めする大きな音が鳴り響く。

 随分乱暴な、と思う暇もなくドタバタと足音高らかに駆け上がって来る誰か。帽子をおさえながら部屋へと飛び込んで来たのは、銀縁眼鏡をした男性だった。


「サディ、まずい事になった」

「お帰りなさいませ旦那様」

「ああ、挨拶は良い。それより……ん、君は?」

「え、ええっと。あの」


 サディに旦那様と呼ばれた男性、ジャン・アドラーはルモニの賢者という通り名とは思えないほど慌てた様子である。


「いや、誰でも良い。今すぐここから出て行きなさい」

「そ、そういうわけには。私はフィオラ・リスレットといいます。先日の件で……」


「リスレット? フェイゼン爺さんの関係者が何用かは知らんがね。今は少々まずい。サディ、君もだ。影の祠にでも引っ込んだ方が安全かもしれない」

「私もですか?」

「も、というより君が、だね」

「旦那様」


 サディの返答に、アドラーの動きが止まった。すっと、腰に吊るされていた棒状の何かを掴み、取り外してサディへ問いかける。


「どうやら遅かったようだね?」

「お客様がお見えです」

「ありがとうサディ。入ってもらって。それから君はお茶の準備に行って、そのまま。それと、お嬢さん。君はこちらに。立って、どうか静かにしていて欲しい」


 アドラーは短めの棒を一振りした。その勢いで棒は金属音をあげて伸び、老紳士の持つステッキのような形状になる。

 一体何が起こっているのだろうか。フィオラにはわけがわからなかったが、何やら真剣なルモニの賢者を前に、とりあえず言う事を聞いた。


「あの、アドラーおじ様。私、一体何が」

「良いから。こうなってしまっては仕方がない。全く、君は運がない。それと、おじ様と呼ぶのはやめて欲しい。もう三十とは言え、その呼称は、些かまだ早いと思うのだが」


「わかりました。アドラー様、私はどうすれば」

「その様付けもだ。ひとまず、黙って立っていてくれれば問題ない」


 アドラーはステッキを床につけ、立ったまま部屋の入口へと視線を飛ばす。フィオラにはわからなかったが、その来客が扉の前まで来たようだ。


 ゴンゴンと無遠慮なノックが響く。


「どうぞ、入りたまえ」

「邪魔するぜ賢者さん」


 入って来たのは四アミル(アミル。長さを示す単位。およそ肘から指先までの事。この場合、約二メートル)はある、顔に傷のついた大男だった。

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