第7話「苦いコーヒー」

 翌日、フィオラは再びアドラーの事務所を訪れた。いつものようにサディに案内され、アドラーの事務所へと入る。


「こんにちはアドラーさん。あの、私あれから考えたのですけれど……」

「やぁお嬢さん、リオ・コデン氏は自白したそうだよ。紛れて仕入れてしまったレア素材に目がくらんだらしい。裏組織と取引しようとして社長に見つかったのだとか。もめた結果の事故で、帳簿がポトリ。それを見て欲目もポロリ」

「まぁ、裏組織というとあの?」


 フィオラはつい先日アドラー経由で関わったある組織を思い浮かべていた。あの時も随分肝を冷やしたものだが、あれこそ自分がアドラーに踏み込んだきっかけでもある。

 アドラーは巡邏隊から渡された資料に目を通しているのか、フィオラに目も向けずにやにやと笑みを浮かべていた。


「さて、巡邏隊はそこまで教えてくれなかったし、何処でも良い話ではある。傑作なのが、社員に迫られて体面上探していますと示すために僕の所に来たという話だ」

「ルモニの賢者を随分安く見たのですね」

「まぁ、そんな事だろうと思ったから僕も少し意地になってしまったが。ところで、その鞄は?」


 紙束から顔をあげたアドラーは、そこで初めてフィオラが何やら革製の肩掛け鞄を手にしていることに気が付く。形状は細長く、フィオラの腕の長さほどあるだろうか。


「魔術授業用に杖を用意してきましたの」

「君も懲りないな。昨日の今日で何とまぁ」


 アドラーは眠そうな眼をしばたいて、ズレた銀縁眼鏡ごしにやる気に溢れたフィオラを見やる。


「あら、私は助手の仕事をこなしましたわ。今度はアドラーさんが授業をする番でしょう?」

「まぁそうだろうね。ごらんサディ、現代人はアンデッドの浄化方法もまともに知らないが、学ぶ意思はあるようだよ」


「旦那様、フィオラお嬢様は上に立つお方です。私が昨夜したのは市井の話です。わずか五百年前、どれほどのアンデッドがここを埋め尽くしたか」

「それをきちんと覚えているのは君くらいのものだろう」


 フィオラを案内してきたサディは肩をすくめ、一礼して部屋を出て行った。おそらくお茶の支度をしに出たのだろう。


「んん、ところで君が入るなり言いかけたのは何だったかな」

「それですアドラーさん。私考えたのですけれど、両替商との何度かの取引がどう相場の解明に繋がるのかわからなくて」


「なに、簡単なことだよ。最初君は言い値で文句なく取引しただろう?」

「そういう指示でしたから」

「そんな素直で、高貴な見た目をしたお嬢さんは彼らにとってはカモなわけだ」

「確かに、軽く見られていた感じはしましたね。どんどん預かった銀貨が少なくなるので、正直不安でしたわ」


 アドラーは奥の椅子から立ち上がり、机をまわりながらいつものように歩き出した。


「そうだろうね。それも、短時間で何度か同じ交換をするわけだ。それからお昼休憩に入る。彼らも、お昼前は交換時だから遅い昼食だ」

「私も急ぎでまわったのでそうでした」


「さて、そうなると。君みたいな世間知らずそうなお嬢さんがおかしな取引をしていれば、どうしたって話題に出るわけだ。情報交換だったか、ただの世間話かは知らないがね」


 アドラーはステッキをつきながら歩き、楽しそうに語る。


「そこで、サディの出番だ」

「サディの?」

「そう。彼女が、どう切り出したのかまではわからないが言うわけだ。あれは領主様のお孫さんだと。するとどうなると思う?」


 その言に、フィオラは目を吊り上げた。


「何かの調査に違いない。あるいは、ただの好奇心の取引だとしても。あくどい利益を出していたとなれば、当然厳しい君のお爺さんは黙っていない。そう彼らは考える」

「……だから昼食後の取引はいやに丁寧だったわけですね。それが適正価格だったと」

「その通り。相場に変動がないという確認が取れた」


 アドラーのにこやかな解答に、フィオラは我慢できずに走り出す。その胸にあるのは怒りなのか何なのか、自分でもわからなかったし止められなかった。


「あなたは! 私の領主の孫という立場を、利用したのですか!」

「そうとも」


 悪びれないアドラーの態度に、フィオラはますます抑えがきかなくなってしまう。指をつきつけ、唇を噛みしめて。


「失望しましたアドラーさん」

「それは結構。お嬢さん、君は自分を優秀だと自負しているようだ。だが、僕は君のことをほとんど知らない。知らないものは計算には入れられないのでね」


 アドラーは臆することなく正面からフィオラを見据えている。その眼は鋭く、銀縁眼鏡もあってかとても冷たくフィオラには見えた。


「現時点で知っていて、最大限有効活用できる君の立場を使ったまでだ。君がそれを不服というのなら、それこそ。その有能性をルモニの賢者に一から示してもらわないと、わかりようがない」

「それは……」


「君の容姿も、立場も、場合によっては優れた武器だ。別に色仕掛けをしろというわけじゃなく、純粋に物事を有利に進められる要素だろう。君が助手として僕を手伝うというのなら、そうした君を構成する要素を貶めるつもりは一切ない。フラットな立場で計算に入れさせてもらうとも。それが嫌なら止めたまえ」


 アドラーから言われた言葉は、フィオラの胸へと突き刺さる。自身を構成する要素。これまで領主の孫娘という立場を利用されたり、揶揄されたりすることは何度もあった。

 それが嫌で仕方がなかった。自身の能力と価値を誰かに見てもらいたかった。ここでならと思っていた所もあった。


 それら全てをアドラーに見透かされているようで、フィオラは逃げ出したくなってしまう。それでも。


「助手は続けます。アドラーさん、あなたのおかげで一つ目標が出来ましたわ。いつか私を、立場や容姿だけでなく能力でその計算に組み込ませてみせます」

「ほう、流石はかの英雄アトラ・リスレットの姪というところかな?」

「何とでもお言いなさい。そのためにも、まずは魔術の授業をしっかりとお願いしますわ」


 途中で涙まで浮かべていたというのに、あまりの強気の発言にアドラーは溜息をついた。面倒な助手を追い払うつもりが大失敗である。

 未だ守護精霊も授かっていないフィオラの気概は、齢三十にもなろうというアドラーの大人気ない態度を見事に蹴り飛ばしたのだった。


 この後サディが運んで来るコーヒーは、昨日と同じく苦いものになりそうだとアドラーは一人苦笑する。騒がしい日々は今しばらく続きそうだった。



【~消えた帳簿と失踪人~】了

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