第5話「天の眼」

「さて、残念ながら秘術なんてものはない。だから、件の社長がご存命なのかどうか僕にはわからない。しかし幸いな事に、僕には天の眼がある。数ある荒唐無稽な噂話の中でも、それは本当の事なのさ」


 アドラーがステッキをつくと、金の眼をした白い梟が一羽、彼の肩へと顕れた。それこそがアドラーの守護精霊、天の眼アウラである。


「では出発だ」


 窓から守護精霊アウラを放ち、アドラーは軽い足取りで出口へと向かう。窓の外は既に日も落ち、夜の時間へと踏み込んでいた。



~~~~~



「結局、両替商との取引は何だったのですか?」


 水路をゆっくりと進む船の中、フィオラはアドラーに声をかけた。飛んで行った守護精霊と繋がっているアドラーは、その片目を輝かせ梟アウラの視点を得ている。


 アドラーの操作で進む船は中央広場へと入っていた。広場中心には整備された池があり、そこを中心に各方面に水路が伸びている。

 広場の街灯に照らされて見えるのは、通路に面した家々や酒場からテーブルや椅子が持ち出され、多くの人がのんびりと杯を片手に語らっている様子だ。


「簡単な事だよ。帳簿を持って消えるとしたら、その貨幣を動かさなければならない。君のお爺さんは厳しい方だ。その管轄内で逃げ回るのは難しい。もたもたしていたら口座も止められる」


 進む船の横を、水面を滑るように妖精タイプの守護精霊たちが踊りながら駆け抜ける。

 近くのテラスでは精霊の主だろう女性たちが楽しそうにお喋りをしているのが見え、それぞれが思い思いに過ごす憩いの場は、とても素敵なものに見えた。


「別の地域に出るため両替をしたと。ルーン銀貨というと北方ルンヘルトでしょうか」


 フィオラとしてはそうした夜の雰囲気に興味がないわけでもなかったが、それ以上に自分がやらされたお使いがどういう意味だったのかを理解したかった。


「三日で露見したことから、社長が逃げたのだとしても計画的なことではない。両替をここで行うかはともかく、貨幣を引き出せば結構な数の銀貨が動く。ただ銀行はその情報を簡単には漏らさない。それこそ僕ですら調査するのが難しいほどに」


 ルモニの主な交易相手は北方ルンヘルトである。今回関わったヴィーメン社も主にそちらと取引をしていたはずだ。


「両替商は貨幣の変動に敏感だ。これから支払いや給与と硬貨が動く段階で、銀行から多くの銀貨が出て行ったのなら、利に敏く嗅ぎ付け高値で取引する。そんな彼らの手腕を使わない手はないだろう」


 街中に張り巡らされた水路を巡り、船は人気のない倉庫街へと進んで行く。

水路の壁には光る術式が描かれた魔石が一定間隔で埋め込まれており、揺れる水面がそれらを反射してはきらめいていた。


「ルンヘルトに逃げるつもりなら、ルーン銀貨の変動が。王都や西に行くのなら単にトルツ銀貨の流出が起きているはずだ。そして、両替商にとってその情報は商売の種なわけだから聞いて答えてくれるはずもない」


「それであんな複雑な手順を。それにしてもトルツ銀貨四枚も取られるだなんて」

「一般的な日当の二日分に近いね。なに、それだけの価値があったということさ。おかげで社長は逃げていないという確信を持って問答が出来た」


 昼間は荷運びの人員が怒号と共に動き回り、精霊が飛び交う倉庫街も夜は静けさを保っている。船はその中を迷いなく進んで行き、やがて止まった。

 船を降りたアドラーに促され、フィオラは黙って、そしてなるべく足音を立てないようにその後ろをついていく。


 やがて、金属で補強された煉瓦建築の倉庫に辿り着いた。倉庫として使われている二階建てほどもある大きな建物は街灯だけでなく、その金属部分が光を放っている。


 アドラーは迷いなく、少しだけ開いていた扉に身を滑らせた。フィオラも少し躊躇したものの、見失わないうちに後を追う。

 物資が並ぶ通路奥からは、備え付けの魔石による光とは違った揺らめく明かりが壁に反射しているのが見えた。


「さて、やはりここでしたかコデンさん」


 床に直置きされたランプ、その揺れる火に照らされて。そこにはリオ・コデンがウォッシャーを両手に持って立っていた。


「こ、これは。アドラーさん、一体何の用ですか」

「知っているでしょうコデンさん。我々は、アンデッド化を阻止しに来たんです」


 アドラーが視線を向ける先、コデンの向こう側には倒れ伏した男性の姿が見える。うつ伏せでこちらに足を向けているため、その状態はわからないものの、ここまでのやり取りとコデンの持つウォッシャーを見れば察しはついた。


 フィオラは思わずハンカチを取り出して口元を覆う。少し、嫌な臭いがした。


「……いやビックリしましたよアドラーさん。倉庫の確認をと思ったら、まさか社長がこんなところで倒れているだなんて。慌てて商品を使って浄化を試そうとしていたところです。それにしても、どうしてここに。これも秘術によるものでしょうか」


「それなんですがねコデンさん。実は秘術なんてものはないんですよ。アドラー家の大鷲グリフォンを僕は授かっていません」


 どうにか言い繕うとするコデンに対し、アドラーは淡々と話しを進めていく。


「となると魂の状態を知る秘術は?」

「そんなものはありません。僕にあるのは、あとにも先にも」


 音もなく倉庫の梁から一羽の白い梟が降りて来てアドラーの肩にとまった。


「この、隠密偵察に特化した守護精霊アウラだけです」

「一体、どういうことですか。どうしてわざわざそんな嘘を」


 たじろぐコデンを無視し、アドラーは倒れている男の状態を確認しようと近寄ったが、コデンが手にしていたウォッシャーを向けてその動きを制した。

 水球を維持しているウォッシャーはただの掃除道具に過ぎないが、それでも下手に刺激しない方が良いと判断したのかアドラーは止まる。


「もちろん初めからあなたを疑っていたわけではありません。他の可能性も調べました。まず三日というのが早過ぎる。その時点で計画的なものでないと判断しています。そのうえで両替商から相場の変動がない事を確認して、突発にしても逃亡はしていないと踏みました。そちらの社長がご存命でも、ね」


 この場にはコデンとアドラー、フィオラの三人と倒れている男性しかいない。アドラーは既にこうなると予想して巡邏隊に連絡を入れてはいたが、その時はまだ場所が確定していなかった。


「ただ、あなたは熱ペンに戸惑うことなく文字を書いた。メモ書きならともかく、正式な書面で熱ペンは使われません。なのに、あなたは慣れていた。まずそこにひっかかった」

「そんなもの、現場に出ていれば慣れるものでしょう?」


「ええ、そうですとも。それから商社に立ち寄って聞き込みを行いました。あなたは素材のチェックも担当していた。そして、今回の失踪にいち早くテキパキと動き、その割に巡邏隊に行かないので僕のことを社員からすすめられた。そうですね?」

「ええ、その通りです」


 コデンは話していて落ち着いてきたのか、遭遇した直後のような強張りは消えて、ウォッシャーを武器のように構えてアドラーたちへと向けている。その表情には余裕すら見えた。


 その事に、フィオラは少なからず恐怖を感じてしまう。まだ自供はしていないとはいえ、事態を起こした本人が何食わぬ顔で社長を探して欲しいと相談に来ていたのだ。

 これまで出会ったことのない、底知れないものを覗いたかのような怖さを感じてしまう。


「素材のチェック、主に北方のダンジョンや魔物からの素材をチェックするには魔力の操作に長けていなければ、状態を見て魔力を通すことが出来ませんから納得です。なるほど熱ペンくらい簡単でしょう。ですが、そうなると今度は不思議なことが起こります」

「不思議なこと?」


 アドラーはステッキで周囲を示す。


「この倉庫のことです。教えて頂いた倉庫番号に、ここは含まれていませんね? あなたが素材チェック担当だった以上、冒険者組合の素材を扱うここを忘れるわけがありません。何故ここを隠したかったんでしょうか。奥で倒れている人物を発見して欲しくなかったからでは?」


「言いがかりは止めて頂きたい。アドラーさん、あなたは知らないかもしれませんが素材流通は出入りが少ないんですよ。基本的にはあちらの管轄ですし、加工屋にまわす時くらいで。そのため、うっかり忘れていたのです」


 コデンの言に、アドラーはステッキを強めに床に打ち付けて応えた。銀縁眼鏡の奥で双眸は薄められていく。


「魔物の素材というものは生活必需品にも使われますが。多くは魔道具や守護精霊のためのもの。それはイコールで、武器や兵器に繋がるものです。なるほど、確かに普段は冒険者組合の管轄でしょう。しかし、ここルモニでは違う」


 アドラーの弁が強くなるのに呼応して、肩の守護精霊アウラが甲高く鳴いた。コデンがその声にびくりと震える。

 フィオラは助手として、また一人の人間として、ことの顛末全てを見届けようと二人のやり取りを黙って見守っていた。


「砦として発展したここでは武器に繋がるものの管理はひときわ厳しく、保管はこうした術式の付与された特殊な倉庫が使われます。それだけに、ここの開閉には鍵と手続きが必要なはずです。そしてその許可が、こんな時間に通ることはまずありません」


 アドラーが一歩踏み込み、コデンは一歩下がる。


「あなたはどうしてこんな時間に、この倉庫を開けなければならなかったんですか。そんな一歩間違えれば捕縛されるような危険をおかしてまで、一体何をしにこの倉庫に。手続きを無視し、素材倉庫にないはずのウォッシャーを両手に持って。一体何の確認に来たんですかコデンさん」


 問い詰められたコデンは、その手にしていたウォッシャーをアドラーに向けるのをやめ、そっと床へと置いた。フィオラがその動作に少しだけ安堵するも。


「追い詰められたあなたの行動はよく視える。だから、その考えは止めた方が良い」


 続くアドラーの警告から事態は一気に動いた。

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