第3話「行動開始」
男が帰ったあと、すぐにアドラーは動き出した。銀縁眼鏡を右手でなおし、いつの間にか傍に寄っていたサディへ走り書きを渡す。サディは頷くと静かに退室していった。
「さて助手君。授業が中断となって申し訳ないんだが、初仕事だ」
「それは構いませんが、本当に巡邏には知らせないのですか? お爺様が知ったら何て言うでしょう」
「君のお爺さんは厳しい人だからね。とはいえ状況次第だ。今はまだ、数日顔を見せない一人と、うっかり消えた帳簿だけに過ぎない」
アドラーはステッキを短く握り直し、フィオラへ熱ペンと新たな紙を数枚手渡す。
「事件性があるかはこれからさ」
「それは、そうかもしれませんが」
「では早速、君には両替商のもとへ行って欲しい」
「……両替商?」
フィオラは紙とペンに向いていた視線を上げた。一体両替商に何の用があるというのだろうか。
少し考えてみたものの、フィオラには見当がつかなかった。とはいえ助手として動けというのだから調査の一環ではあるのだろう、と続くアドラーの指示を待つ。
「トルツ銀貨を十枚渡すから、急ぎ三人の両替商と取引して欲しい。まずはルーン銀貨が二枚欲しいと申し出てくれ。次はルーン銀貨二枚をトルツ銀貨にしたいと言い、その次はまたルーン銀貨二枚へ。それから昼食のあと、少し時間を置いて新たな両替商にあたって、ルーン銀貨二枚をトルツ銀貨にして戻ってきて欲しい」
一気に告げられたアドラーの指示に、フィオラは眉根を寄せた。四人の両替商にあたって、トルツ銀貨をわざわざトルツ銀貨に戻して来る事にどんな意味があるのか。
「私の交渉力でも見ようと?」
「いいや、交渉は一切しなくて良い。必ず向こうの言い値で取引して、その言い値をそれぞれメモしてきて欲しい」
それは果たして自分である必要があるのだろうか。しかし他ならぬルモニの賢者からの指示だ。フィオラはその意図にも興味があったので、ひとまず言われた通りにしようと決める。
「わかりました」
「フィオラお嬢様、こちらを」
戻って来たサディから銀貨の入っただろう革袋を受け取り、フィオラは立ち上がった。昼食までに三人と取引しないといけないのなら、あまり時間はない。
ただでさえアドラーを起こした段階で昼時だったので、フィオラはアドラーの指示を定食屋のランチタイムが終わるまでにという意味だろうと解釈した。とにかく三人は早めに、残り一人は時間を空けて。
「両替商の場所はわかるね?」
「そのくらいわかります。それで、アドラーさんはどちらへ?」
「僕は倉庫と、商社へ行ってみようと思う。色々とやることがあるからね。そこまで時間をかけるつもりはないが、サディと待っていて欲しい」
手早くステッキと鞄を手にしたアドラーがフィオラの隣へと並んだ。
「では、行動開始といこう」
サディに渡された中折れ帽を被り、不敵に笑うアドラーは自信に満ち溢れているように見える。フィオラは同じようにサディから渡された白い帽子を手に、この相談事の顛末を楽しみに感じ始めていた。
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事務所へと戻ったフィオラは再び応接用ソファに座り、カップを手にアドラーを待っていた。その向かいにはメイドのサディが座っている。
「そういえば先ほどのコーヒーは何処のものなのでしょう」
「西のイクザーム産のものです」
「何と言えば良いのでしょう。軽い口当たりで、とても良い香りでしたわ。うちで使っているものより好みかもしれません」
後ろに立っていたサディに会話しづらいからと座らせたのはフィオラだ。今回は紅茶を淹れてもらい二人で飲んでいる。
「フェイゼン様は昔からドラルケ連合のものをお好みでしたから」
「確かに、あちらも甘さとコクがあって良いのですが。少しその」
「酸味ですか?」
「ええ。悪くはないのですが」
言い淀むフィオラに、サディは紅茶を一口飲んでから珍しく微笑みかけた。フィオラはその様子に少しだけ驚く。
「人の好みはそれぞれですお嬢様。宜しければお分けしますが、連合のものより安い品ですので、フェイゼン様には見つかりませんように」
「あら、嬉しいわ。今度売っているお店も教えて頂戴な」
「はいお嬢様」
サディは言うなり、立ち上がって自分のカップを片付け始めた。それを見たフィオラが疑問を口にする前に、事務所の扉が開く。
「楽しいお喋りを中断して申し訳ないが。助手君、早速例のメモを」
「おかえりなさいアドラーさん。随分急いでいるようですね」
「ああ、何。解決は見えたからね」
小さな鞄から折りたたまれた紙を取り出していたフィオラの手が止まった。アドラーはフィオラの反応を気にせず、差し出されかけていた紙をひったくって奥へと進む。
「最初は七枚で。次が四枚、その次が六枚。最後が、五枚ね。なるほど」
「あの、アドラーさん。説明して頂けませんか?」
「それは構わないが、来客のあとにして欲しい」
「来客?」
アドラーは用紙を元のように折りたたんで奥の机に置き、テキパキと動いていたサディから紅茶の入ったカップを受け取った。
「さて、これから来客に対し一芝居しなければならない。そこで、君には合図をしたら浄化方法について僕に訪ねて欲しい」
「浄化方法?」
「そうだ。それと、少し荒唐無稽な誇張をするが笑わないで流して欲しい」
アドラーが片目をつむり、爽やかに笑うのに対し、フィオラはわざとらしく溜息をついてみせる。
「アドラーさんが何をどう考えているのか私には見えませんが。良いでしょう。助手として協力は惜しみませんとも」
軽い打ち合わせのあと、ほどなくして客人。昼に帰ったばかりの相談者リオ・コデンが再び現れた。
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