第2話「ちょっとしたこと」
コーヒーを何口か口にしてから、覚悟を決めたのかアドラーはカップを脇へと退けた。フィオラもその気配を察してカップを少し横へとずらす。メイドのサディは家事仕事があるのか、今は退室していた。
「ではお嬢さん。そうと決まればいくつかやってもらおう」
「助手の仕事を、でしょうか?」
「違うよ。君が何をどう教わって来たかすら僕は知らないんだ。魔力を確認するところからなのか、それともある程度の術は使えるのか。それらが僕の扱う術と形態が似たものなのか違うのか。それらを一つずつ聞いていては効率も悪いからね」
そう言って、アドラーは胸元から一本のペンを取り出した。ペンは木の軸に、先がほんの少し鉤爪のように曲がった金属板がついており、その接合部には小さな赤い石が埋め込まれている。
「これを使って何か書いてみて欲しい」
「熱ペンですか」
「そうとも」
アドラーはペンをフィオラに渡し、テーブルの引き出しから紙を一枚出して机を滑らせた。依頼主によく書き物をさせるのか自分がメモを取るためか、こちらの方にも常備しているらしい。
熱ペンは魔石に火属性の精霊が付与を行った簡易な魔道具で、少量の魔力を通して金属の先端を熱し、紙に焼き入れるように文字を描くためのものだ。
一応紙を燃やさない程度に調整はされているが、微量の魔力コントロールが求められる少々癖のある道具である。
フィオラは自身の魔力を指先に集中させ、一定の速度で受け取ったペンへと流し込んだ。ペン先にほんのり赤みがさしたところで、紙へと向かう。
熱されたペン先は筆圧に少したわみながらも、淀みなく紙へフィオラ・リスレットという文字を焼きつけた。
「これで良いでしょうか」
「綺麗なものだ。流石リスレット家だね。いや失礼。最近は守護精霊に制御を丸投げして、魔力すら理解していない子も増えていてね。ダンジョンがないとはいえ、いやないからこそ戦う準備はしておくべきだというのに」
受け取った紙を眺め、アドラーは目を細める。熱ペンは便利だが、ちょっとペン先を止めるだけで焦がしをつくってしまうし、加減の難しい道具だ。
フィオラの書いた文字は綺麗にくっきりと描かれている。魔力による熱量にムラがない証拠だ。
「丸投げですか?」
「聖王国民なら誰しもが精霊の加護を受け、守護精霊がつく。それは共により大きな成果を出すためであって、人間側が精霊を道具のように扱って怠けるためのものじゃない。その点、君はしっかりしていそうで何よりだ。流石英雄志望」
アドラーは紙を折りたたみ、ペンを胸元に仕舞って立ち上がった。そのまま紙を持つのとは逆の手で、腰にベルトで固定されていた魔術杖を引き抜く。
短めだった杖はアドラーの一振りで金属音を立てて伸び、持ち手の湾曲部のせいもあってか老紳士の持つステッキのようにも見えた。
フィオラは何度目かになるアドラーの魔術杖を、不思議そうに見やる。軍仕込みの戦闘職ならば杖はバトルスタッフのように棒術をかねるか、武骨な近接武器のようなものになるそうだ。
あるいは、かつて伯母から聞いたような照準器がつくものもあるらしい。
それに対し、アドラーの持つ杖は金属製とはいえ細身で、一見ただのステッキにしか見えなかった。
「あら、その言い方だとまるで精霊至上主義者ですわ」
「一緒にしないでくれ。奴らの目的は隷属化による精霊界への一体化であって、責務と発展の放棄だろう。さて、優秀な生徒を前にして残念なことだが来客のようだ」
アドラーがステッキをついて扉に顔を向けると、部屋にノックの音が響く。
「旦那様、お客様がお見えです」
「ありがとう。入ってもらってくれ」
サディが一言断って室内へ招き入れたのは、疲れ切った顔の若い男性だった。目に力なく、クマも出来ていて何処か覚束ない足取りで入って来た男は、ソファに座るフィオラと立ったままのアドラーを交互に見て歩みを止める。
「どうぞこちらへお座りください。彼女は私の助手ですからお気になさらず。失礼、申し遅れました。僕がここの主であるジャン・アドラーです」
「あ、はい。私はヴィーメン社の会計リオ・コデンと申します」
男はぼんやりと答えて先ほどアドラーが座っていたソファへと身を沈めた。対面となってしまったフィオラは一瞬どうしたものか思案したものの、すぐにコーヒーを戻して一口啜る。
「ああ失礼。そこのコーヒーは私のでね。サディ、お客様に温かいお茶を」
「かしこまりました」
「そんな、お構いなく」
「いえお客人、あなたはどうも憔悴したご様子。一度温かいお茶でも飲んで落ち着いた方が良い。話はそれからでも結構」
ほどなく、サディがカップにお茶のポッドを運び込み、男が二口ほど飲むのを待ってから相談事が始まった。
「立ったままで失礼。僕はこっちの方が頭が働くのでね。歩き回っていても気にしないで欲しい。それで、今日はどんなご用件で?」
アドラーは自分のコーヒーカップを奥の机に置いて、訪問者の様子をうかがう。男は両手でカップを包み、二度ほど座りをなおし、手元を見つめながら口を開いた。
「実は、うちの社長がここ数日姿を見せませんで困っております」
「ふむ。つまり失踪だと?」
「はい。うちは自分らで言うのも何ですが小さな商社で、北方ルンヘルトからの素材流通の一部を商っているんですが。その売り上げ帳簿と共に社長が消えたんです」
それを聞いたアドラーは奥の机の前で歩きまわり、手にしていたステッキで床を二度ほど叩く。そして背を向けたまま訪問者へとたずねた。
「巡邏隊への連絡は?」
「そこなんですよアドラーさん。社長がどういう思惑で消えたかはわかりませんが、巡邏に任せるとどうしたって日数がかかる。見つかったとしても資金を捜査でおさえられては今周期の支払いが出来ず二十人をこえる従業員と家族が食うに困ることになってしまう」
「つまり連絡していないと。わかりました。そのお気持ちはわかります。では、いくつか質問しても?」
「もちろんですとも。手がかりになるのなら何でも聞いてください」
アドラーは再びゆっくりと机の前で歩き回り始める。男はその動きが気になるのか、見てはいけないと思っているのか、視線をあちこちへ彷徨わせていた。
「まず、ヴィーメン社の社長が姿を消したというのは具体的にいつ頃になりますか?」
「先週末に会ったのが最後だったはずです」
「正確には?」
「水の週、灰の日に普通に退社したのが最後で。今週に入ってからは見ていません」
「つまり異変に気付いたのは今週の頭。そこから三日でこちらに?」
「はい。そうなります」
「商社によって違いはありますが、トップなんてものはたまにしか現場に顔を出さないとも聞きます。社長は普段からたまにしか来ないなんてことは?」
その問いに男は大きく頷く。
「そうなんです。おっしゃる通り、うちの社長もあちこち飛び回る人でしたから最初は気にしなかったんですよ。ただ、第三週でしょう? 来週には支払いを出さなきゃならんので」
「なるほど。明細を出すために帳簿を探したら消えていて、いよいよ怪しくなったと」
「はい。帳簿ごととなるとその。社長を信じていないわけじゃないんですが、何かあるとしか思えませんで、こちらに」
「なるほどなるほど。早めに解決しなければならないと。わかりました。確約は出来ませんが僕の方で調べてみましょう。ああ、それと」
アドラーは振り返って胸元からペンを取り出すと、座っていた男へと差し出した。先ほどフィオラが使った熱ペンである。
「こちらで商社の住所と、借りている倉庫の番号を書いて頂きたい。ああ、紙は机の引き出しにあるので使ってください」
「は、はぁ。いえ、調査に必要でしたら喜んで」
男はいきなりの申し出に驚いていたものの、すぐに引き出しから用紙を取り出すとペンを手に淀みなく言われた内容を書き記し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます