纏字

「やはり来たか、刻筆師の娘」


 男は黒羽織の少女へ身体を向ける。


「その方々を解放してください」

「そのつもりはない、お前も魔術師なら力でその意を示してみろ」


 再度地中から何十もの黒骸の群れが呼び出されると、すぐ少女へと走り出す。すると、少女は黒羽檻の内側からあの正方紙を取り出して、所持する筆で即座に何か書き入れる。


イサハガラズ、氷柱は蓮を想いて瓦解する」


 少女が言を放つと、彼女の上空に先の鋭い氷塊が形作られ黒骸に落下していく。衝突した骸は氷柱とともに砕け散る。真後から襲い掛かる黒骸にも、あらかじめ用意していた紙を無詠唱のままかざすだけで火炎が骨を粉砕した。


「――――――‼」


 突如として、少女のすぐ傍の地面から取り囲むようにして多くの黒骸が飛び出す。地は勢いで盛り上がり、黒骸の突出とともに土が飛散する。


スリザスライドハガラズ、砦は主を囲いて自壊する」


 少女が隆起した地に包まれ、全方位からの攻撃を土壁が阻む。そして、壁は外側の黒骸に向かって炸裂した。


「さすがは刻筆師、ルーンの力は伊達でないか」

「骸を生成する程度の野良魔法にルーンは決して敗れはしません」

「それくらいわかっている、だからこいつを使う」


 そういって男は懐から掌ほどの細い棒を取り出す。


「ここには民がための奴隷ドロップ・メイカーで収集された魔力が込められている。こいつを、こう、だっ!」


 男は己の胸にその銀棒を強く突き刺した。苦痛に耐える雄叫びが狭きに響き渡り、辺り一面が紅黎あかぐろく濁り始める。気付くとこの敷地の上空は真赤に染まっていた。


「部分的とはいえ緋霄ひしょうを誘起するとは、いったいどれ程の魔力をため込んだのか、考えたくもありませんね」

「力のためならやるさ、何でもな」


 紅天の下で男の背中から半身の黒骸が抜き出てくる。浮遊する骸の身体は男の数十倍もある。咆哮は地を割くほどに大きく、見えない圧が身体を波打つ。周りの空気が皮膚を抜けて心臓の一点を圧迫する。


「―――さあ、やるか」


 反響する重低音が骸の声を作り出す。男の身体は魂が抜けたように地に伏している。


 巨骸はその図体からは考えられないほどの速度で対する少女に接近する。彼女は自身を引掻こうとする手骨から逃れるため、行く手を阻む多くの黒骸を破壊しながら跳んで回避する。時折巨骸に攻撃を仕掛けるが、一部砕ける箇所があるものの一瞬で痕が治癒してしまう。


「っ!」


 黒羽檻の少女はじりじりと距離を詰められ、ついに巨大な手によって捕縛されてしまう。


 巨骸は彼女を捕まえた手を自身の顔の前に近づけて、しげしげと彼女の顔を見つめる。大きく長い骨の先端が少女の身体へ徐々に食い込んでいく。それでも少女は暴れることなくじっと巨骸に目をやる。


「反撃しないか、ならこのまま圧殺する」


 巨骸がもう一方の手を添えてさらに力をいれたときだった。


ベルカナハガラズ老獪ろうかい朽ちて塵と化せ」


 少女が正方紙を巨骸の手に張り付ける。すると巨骸の身体はみるみるうちに粉塵となって消えていく。


「なっ、これは……」

「身体が大きいだけの相手ならいくらでもいました、あなたもそのうちの一人に過ぎません。――――散れ、名も知らぬ愚者よ」


 巨骸は何を言う間もなく完全に消失し、少女は両足で地に着地する。


「ご無事ですか、みなさん」


 少女は何事もなかったかのようにゆっくりと歩いてこちらに来る。


「あんたが、紙の人なのか……?」

「いかにもです」


 目の前で立ち止まる少女を座ったまま見上げる。凛々しい表情をしているがその顔は幼く、背丈も俺よりもうんと低い。外見だけを見ると俺と同じか少し下くらいの歳に見える。


 メイの方に目を向ける。彼女は怪我を負っているものの傷は浅いようで、身体を起こして刻筆師の方に顔を上げている。アカリも無事なようだ。


「あの男はもう倒したのか?」

「大きな骸は跡形もなく消え去りましたから、大丈夫でしょう」


 少女は地面でうつ伏せになったまま動かない男を見て話す。あまりに早くあっけのない結末だったが、終わったのならそれに越したことはない。


「ん、なんだ……?」


 立ち上がろうと手を地面についたとき、接触した部分が妙にグラついた。ふと地に目線を下げた瞬間、思わず唖然とした。それは土や草とは違う、黒く硬い髑髏どくろであった。それも一つや二つではない。気付けば周りの地面が黒骸の身体で埋め尽くされていたのだ。


「――――やはり、詰めが甘いな」


 倒れた男の上に、消滅したはずの巨骸が再び姿を現す。部位の損傷はどこにも見られず、まったくの無傷である。


「何やら倒す条件は他にあるようです――――っ!?」


 少女が羽織の内側に手をかけたときにそれは起こった。彼女の足元にいる黒骸が一気に動き出し、少女を地中に引きずり込もうとしたのだ。


 俺は足を取られ身体の半分まで沈んだ少女の手をとって、力一杯に引き上げる。彼女が足をバタつかせて脚を掴む手が離すと、身体は骸の海から脱する。黒羽織は一部破れてしまったが、黒骸の群に呑まれることから回避することはできた。


 少女はこちらに軽く礼を言うと、黒羽織から正方紙を取り出そうとする。しかし、少し様子がおかしい。先ほどから怪訝な顔をして羽織の内を探っている。


「まさか、紙がないのか?」


 振り向いた俺に対して少女が静かに頷く。彼女が引きずり込まれたときに羽織と一緒に裂かれてしまったみたいなのだ。


 巨骸はゆっくりと俺たちのほうに向かって近づいて来る。動こうにも群がる骸に足を強く掴まれているため逃げられない。少女が羽織を脱いでそこにルーンを書き込むが、放たれた炎は巨骸に到達する前に消えてしまう。


「ルーンは書き手と素材を選ぶ、紙を失ったお前はもはやそこの奴らと変わらん」


 そうこうしている間にも巨骸との距離は縮まっていく。


「なあ、アンタ。ヒトの身体は媒体になりえるのか」


 少女が驚いた顔でこちらを見たが、すぐにいつもの顔に戻って俯く。


「無理です、生命体の身体に書いてもルーンの効果が発現することはほとんどありません」

「ないってわけじゃないんだろ、なら俺は一か八かに賭ける!」


 少女の瞳を直視しながら彼女にむかって腕を差し出す。。今は迷っている暇などない、例え意味がないとしても何もやらなければここにいる全員に危険が及ぶ。それならはったりでも悪足掻きでもやらないよりマシだ。


 少女はつと顔を上げてやけ気味に俺の手の甲に文字を書く。


「どうあがこうと無駄だ」


 前方を向き直すと紅く照らされた巨骸がすぐ目の前にまで近づいていた。


「刻筆師共々、去絶しろっ!」


 巨骸の手が思い切り横に振られる。俺はルーンの書かれた手を構え、地を踏み抜かんばかりの力を足にいれた。


「ぐっっっっ!!」


 腕に異常なまでの強烈な力が腕にかかる。しかし俺の想定していた状況は現実と大きく離れたものだった。


「なっ―――!」


 細く凡庸な左腕が数十倍もある右手を防いでいるのだ。その手の甲に記されたルーンは煌々と輝いていた。


「ルーンの効力が……発現している……!」


 左腕に添えた右手にさらに力を加え、耐え切ろうと必死になって歯を食いしばる。


「少し失礼します!」


 一瞬間の驚愕の後、少女は衝突の勢いで裾が捲れ上がり露わになった俺の後ろポケットから何かを取り出す。それは牢の中で一枚だけ別に仕舞っておいた白紙の紙だった。


カノナウシズ、火煙は悪しき眼に月を映す!」


 火球は巨骸に衝突して大量の煙を発生させる。骸は攻撃する手を緩めて後退する。


「先ほどあの骸と男の間にうっすらとですが鎖のようなものが見えました。それを断ち切ることが出来たら倒せるかもしれません」


 少女が俺の脚にルーンを書き加えながらそう話す。


「断ち切ると言うがどうやって……」

「ユキト君っ、これっ!」


 メイの方向から飛ばされてきたのはアカリの剣だった。その柄を掴んで、強く握りしめる。


「あとは、お頼みします」


 俺は少女の言葉に背中を押されるようにして、黒骸の捕縛から離れて跳ぶように駆けだす。黒煙を抜けると巨骸の後ろ側に出てくる。そこには少女の言う通り、半透明の鎖のようなものが骸と男を繋いでいた。


 勢いのままにその鎖へ切りかかると、刃が鎖に触れる。俺は両手にあらん限りの力をいれて剣を押し付けると、鎖の押し返す力が一瞬で消え、鎖は真っ二つに分断された。


「ぐああああぁぁあああっっ!」


 巨骸は叫喚し、浮いた身体がバラバラに砕けて地に落ち消滅していった。


「勝ったのか……?」


 あの驚くほどに大きな骸の姿はもう無い。地を埋め尽くしていた黒骸も消えて土草に戻っていき、空も次第に青さを取り戻す。その様子を見て、ようやくこの戦いを終えることが出来たのだという実感が心のうちに湧き出た。メイたちは胸をなでおろしており、少女も呆然と前を向いているようだった。


 緊張の糸が一気に緩み、息をついて全身の力を抜こうとする。そのとき、視界に違和感を覚えた。俺は平和になった周りを見渡す。


 その正体はもういるはずのない一体の黒骸だった。その黒骸の手には細長い何かが握られていて、向く先には少女の姿があった。


 その棒は、今にも投擲とうてきされようとしていた。


「危ないっ―――」


 思うより先に身体が動いていた。意識が追い付いたときには己の身体は少女の前にあった。次の瞬間、腹部を中心として全身が大きく揺れる。俺はゆっくりと目線を下におろす。眼下には朱く塗れた棒が身体を貫通していた。


 目前が一瞬にして真黒に塗りたくられ、足から力が抜けて身体が横に倒れる。耳が音を次第に通さなくなる。痛みがじわじわと広がり、追うように感覚が麻痺していく。


 異世界での人生の終わりを感じる。こっちでも何も残せなかったが、こんな自分でも最期に誰かを助けることは出来た。前世の死因も結局判らなかったが、きっと似たような死に方をしたのだろう。


 視界が消える瞬間の、こちらを見る少女の沈痛な面持ちが意識がなくなる寸前まで脳裏に焼き付いた。その表情に、不思議と懐かしさを覚えた。

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