カイホウ

「それであの場に居合わせたのか」


 俺と紙の向こうにいる少女はメイの話を静かに聞いていた。メイは神妙な面持ちのままその話を終えると、自身の裾をまくってこちらに見せる。露わになった彼女の身体には、数多くの傷が規則正しく付けられていた。


「22体、あたしが奪ってきた魂の数よ。勝手なのは承知してる、けどこの傷にかけて、あたしは君をここから出すわけにはいけないの」


 メイが牢のなかにいる俺へ炎術を発動しようとしている。腕が震えているものの、彼女の目は真っすぐとこちらを見つめる。


「すまないが、その要件を呑むことは出来ない」


 それならと、手のひらで燃える真赤が勢いを増す。


「だが、この格子は破壊しない」

「えっ……?」


 メイに背をむけて格子から離れると、反対側へと歩む。


「壊すのは、こっちだ」


 鈍色にびいろの壁の前で立ち止まる。紙の少女の話によると、この向こう側にアカリという人がいるはずだ。この壁をどうにかして取り払うことさえ出来れば、その人を助けられる。


「彼女を救出できたら、俺をここから解放してくれ」

「え、ええ……もちろん。でも、本当にいいの……」

「俺も一度はアンタに助けられたからな。それに、俺みたいな一介の人間が何かを理由に誰かを裁くべきでも許すべきでもない」


 去絶された者の家族であれば許さないだろう、メイの友人であれば擁護するだろう。判断から立場と主観は除くことは出来ず、最尤さいゆうの正義も振りかざさない限り存在しない。俺は二人の話を聞いて助けたいと思った、そこに事実の裁定はない。


 メイは面食らった表情のまま炎術を解除して、両腕を下ろす。


「紙の人、さっきのルーンでこの壁を壊すことは出来るか」

「可能ですが、魔術を安定させるために少しだけあなたの魔力をお借りします」

「ああ、問題ない」


 先と同じように、ルーンの書かれた紙を壁へと掲げる。


「すまない、勝手に面倒を増やしてしまって」

「構いません、これもわたしの仕事なので」


 そうかと少女に言葉を返すと、かざしている紙のルーンが強く輝き始めた。そして次の瞬間、爆裂音とともに黒煙が一気に立ちのぼる。煙は段々と晴れていき、崩れて穴の開いた壁が現れる。その大きく欠けた壁の向こう側には、横たわった女性が見えた。


「アカリっ!」


 メイが俺の入っている牢屋のカギを開けてアカリのもとへ駆け寄る。彼女の顔なら毎日のように見ていただろうが、格子を挟まずにその体に触れるのは久しいはずだ。


「…………メイ?」


 アカリは朦朧とした意識のなかでメイの顔を認める。メイは脱力している彼女の身体を強く抱き寄せた。アカリは震えるメイの肩に微笑んだ顔を乗せ、透けた手で彼女の頭をやさしく撫でた。暫くの後、メイが持ってきていた食料を彼女に手渡すと、それをアカリの口もとへ運んで食べさせた。するとアカリの身体は少しずつ実態を取り戻していった。


 そして、メイは俺の分だと食料の半分をとってこちらに差し出す。俺はまだメイから貰ったパンがあるから全部アカリへと断ると、彼女はお礼を言って頭を下げた。


「そこのお二方、再会したばかりのところ申し訳ありませんが脱出する準備をお願いします」

「外には誰もいないのか?」

「今のところは誰もいませんが、いつこの異変に気付いてやってくるかもわかりません」


 もう一枚の紙に書かれたルーンを光らせて少女は話す。


「あの男は檻を増やしてからは一度もここには訪れていないの。もしかしたらまだ近くにはいないかも」

「とはいえ、ここに長居するのは危険だ。早く場所を移すのが無難だろう」


 俺はメイと二人でアカリをおぶって牢屋の外へと移動し、牢屋のある部屋から脱出する。


 隣の部屋には大きなモニターのようなものとベッドだけが存在した。そこには誰かがいる気配もなく、画面から放たれる光が仄かに辺りを照らしている。


「そういえば、先ほどここで横になっていた方がいませんね」

「メガネをかけた人だったらあたしと入れ違いで小屋から出ていったよ。まあ彼女なら大丈夫。この現状を見てここに留まるほど頭の悪い人じゃないから」


 それらの横を通って地上へと続く階段に差し掛かる。


「それにしても、ユキト君はどうしてアカリのことが分かったの?」


 一段ずつ慎重に上りながら、メイはこちらに話しかけてくる。


「別に確信があったわけじゃない、ただの物書きとしての直感だ」


 決め手はやはりメイがこの仕事を手伝う理由だった。彼女は魔力収集自体にまるで関心が無いようであったが、私利私欲のためだけに協力しているようにも感じなかった。


 そう思っていたときにふと剣のことを思い出した。ただの剣をお守りとして持っておくことはあまり考えづらい。もしあの剣が別の人のものであるとして、その人がメイに近しい人だとしたら、その人は囮として捕まっていてメイは脅されており、あの牢もその一部として利用されているのではないかと。


「……といった感じで、推察というより憶測に近い、ただの妄想だ」


 実際、全然違う可能性だってあった。それなら心の内で顔を真っ赤にするだけだから問題ない。


「ごめん、君は色々考えてくれてたのにあたしは自分のことばっかり考えてて、さっきも君をどうやって檻に閉じ込めておくかとしか……」

「別にいい、今のメイさんは違うから」


 彼女の顔を見る。その表情は出会ったときの明るく柔らかなものに戻っていた。


「やっぱり君、優しいね」

「……ただ裏切られるのが怖いだけだ」


 木棚がスライドしてできた出口を通って小屋の内に出てくる。部屋にはやはり誰もいない。軋む床の上を足早に歩き、扉を開けて小屋から出る。


「――――――外――……」


 アカリが眩しそうに眼を細めて言葉をこぼし、その様子を見たメイはにこりと微笑む。


「そこを真っすぐ進んで森に入ってください。そこからはこちらで案内します」


 紙の少女は離れた場所の木陰で身を隠して待っているらしい。そこに向かうことさえ出来ればひとまず身の安全は保障される。


「外にも人はいないな。今なら何事もなく」

「いえ、待ってください。何か様子が変です……これは――」

「――――っ⁉」


 メイは急に立ち止まり、青ざめた顔で身体を硬直させている。


「ユキト君……あれ……っ」


 メイの眼前、そこには―――――















――――虚ろな目をしたメガネ少女の身体が転がっていた。

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