刻筆師

 もう何時間経ったのだろう。この牢屋に閉じ込められてからというもの、ずっと布の上で横になっていた。時が過ぎるにつれて身体のダルさは増していったが、メイが置いていったパンを食べるとそれを軽減することはできた。目もようやく牢の暗さに慣れ、壁の灯りが眩しく感じるほどであった。


 それにしても、まさか本当に地下が存在するとは思わなかった。それも、食糧でなく人間を収めておく場所だなんて。どんな世界にも暗い場所というのは存在するらしい。


 ともかく早くここから出ていきたいところではあるが、俺には特殊能力もなければ剣すら持ち合わせていないため自力でここから脱出することはほぼ不可能である。先に少しだけ壁を触ってもみたが、特別な仕掛けなどはまったく見当たらなかった。この場で魔法でも使えるようになったら話は別だが、そんなことは万に一つも起こり得ないだろう。


「いっそのこと、あの格子に触れてみるか……?」


 メイには触れるなと言われたが、もしかしたら触れられては困る理由があるからあのような嘘を吐いたという可能性もないとは言い切れない。というより、もはやこれくらいしかできることがない。しかし、いきなり素手で触るのは抵抗がある。


「――――そうだ」


 ふと、半分残ったパンとそれを乗せた木皿が目に入る。人体だと危険だが、物体で試す分には問題ない。メイの言うことが本当ならば、これらを格子に当てると何かしらの変化が見られるはず。パンは魔力源であり少々躊躇ためらわれるため、俺は木皿を取って緑青色の棒に近づけた。



 …………………。



 しばらく当て続けたが、何も変化は見られない。やはりメイの言っていたことは嘘だったのだろうか。それとも、こういった無機物は魔力で形成されていないのか。とりあえず俺は木皿を格子から離して床に置き、念のためパンでも試してみようとする。


 その時だった。床に置いた木皿が一瞬にしてバラバラに砕けたのである。もちろん皿が壊れるような強い力で置いたわけではない。間違いなく、格子に当てたことに原因がある。どういった原理か検討もつかないが、もしこれが魔力喪失によるものであるならば、メイの言っていた通り格子に触れるのは危険である。


 だが、それならそれで気になるのは魔力収集の方法についてである。こんな牢屋を使用するよりも直接物体に当てた方が効率も良く簡単な方法である気がするのだが、メイはむしろそれを嫌ったように見えた。


「この檻、魔力を集めることだけが目的ではないのか……?」


 そもそもメイの様子からして、彼女の目的が魔力を収集することでないのは確かだ。正直、裏切られた今でさえ彼女がこのような非人道的な魔力収集に手を貸していることが信じられずにいる。メイが剣を撫でたときの、あの哀愁を含んだ顔を思い出すと、どうしても彼女がただの悪人であると断定できない自分がいた。この檻が持つ別の側面、そしてメイが魔力収集を手伝う理由、その疑問が己の頭を揺さぶる。


「……まあ、そこまで考えても仕方ないか」


 俺が今考えるべきはこの牢屋からどう脱出するかである。幸いまだ身体も透けてはいない上に、パンも半分は残っている。それなら焦らずに何か思いつくまでじっとしておくのが賢明だろう。俺は再び布の上で横になって、壁に移る自分の影を見つめながら脱出方法について考えを巡らせ始める。


「――――囚われている割に落ち着いていますね、もう諦めたのですか」


 突然、どこからか少女の声が聞こえてくる。起き上がって牢屋の外を確認するが、人影らしきものはどこにも見えない。


「外ではありません、牢のなかをよく見てください」


 牢屋の内側を見渡す。すると、床についた手の近くでひらひらと羽ばたく真っ白な蝶がいることに気が付く。


「もしかして、この蝶が喋っているのか?」

「はい、正確にはその蝶を通して離れた場所から話をしています」


 白い蝶はゆっくりと俺の目の前まで移動してくる。よく見ると紙のような質感で出来ている。


「わたしは刻筆師こくひつし、あなたを救出するためここに参りました」

「救出……なぜ?」

「それがわたしたち”左手の秤スケーラー”に課せられた役目だからです」


 少女の若くも凛々しい声が牢屋の内に響く。


「……そういって実は転生者狩りでした、なんてことはないよな」

「信用できないなら結構です。どうぞ、この陰気な場所で無事に一生を終えてください」

「冗談です、どうか力をお貸しください」


 牢屋の外へと向かって飛んでいく白い蝶へ頭を床にこすりつけて見せると、蝶は渋々身を翻してこちらに戻ってきてくれた。


「それで、俺はどうすればここから出られるんだ?」

「難しいことはありません。少々待っていてください」


 そういうと、白い蝶の身体は折りたたまれた紙が開かれていくようにして広がっていく。そして、その身体は何枚かの正方紙となって足元に落ちた。俺は一枚だけ手に取って観察すると、その真っ白な紙には黒字で”ᚨ”と書かれており、ほんの少し白く発光していた。


「これは――――」

「ルーン文字、わたしの魔術に使用するものです」


 物語の素材として色々と調べものをしているときにチラッとだけ見たことがある。確か占いなどでもよく用いられる文字だったはずだが、種類や意味についてはほとんど知らない。


 床に散らばっている他の紙も拾う。それらにもルーン文字らしきものが達筆に描かれているが、先ほどの文字とは違って光ってはいない。その中に、何も書かれていないまっさらな紙が一枚だけ紛れていることにも気づく。


「白紙は蝶の姿を解除したときに文字が消えただけなので、気にしないで下さい。それよりも、その紙の中に文字が三つ書かれたものはないですか」


 白紙を折って後ろポケットに入れてから彼女に指定されたものを見つけると、光り輝く文字に対してそれを向ける。どうやらこのルーンを使用して格子を破壊するらしい。


「少し爆風が発生しますが、紙の表裏さえ間違えなければ怪我することはないので安心してください」

「格子を破壊した後はどうするんだ?」

「ひたすら走ってわたしのもとまで逃げて来てください。逃走経路についてこちらが説明しますので」

「本当にそれでいけるのか……?」

「問題ありません。何かあればわたしのルーンが力になります」


 おそらくは他の紙も同じ要領で魔術的なものが発動するのだろう。少なくとも獣人に襲われた時の俺よりは遥かに将来性のある話だ。


「だが、俺にはどのルーンが何なのかわからないぞ」

「その時は適当なものを前に突き出してください。効果がある場合のみわたしが発動しますので」

「要はこっちの運とそっちの匙加減ってことじゃ……」

「それは我慢してください」


 前言撤回、やはり彼女に身を任せるのは不安で仕方がない。


「とにかく、家にいた一人は先ほど外出して、もう一人が就寝中ですから、逃走するなら今のうちです。急いで脱出しましょう」


 俺は例の紙を持って牢屋の外に向かってに立ち、それを格子と直接触れないように前へとかざす。


 が、一瞬迷った後に紙を下ろした。


「ひとつだけ訊いてもいいか?」

「なんでしょう」

「アンタ、生命探知なんかは出来たりするか」

「可能ですけど、どうしてですか?」

「この牢屋周辺に人がいないか探知してほしい、少し気になることがあるんだ」


 紙の少女はその提案を了承すると、しばらくして別のルーン文字が輝き始めた。


「――――格子の反対側にある壁の向こうに、微弱ながら生命反応があります。種族は……ヒトのようです」

「……なるほど」


 頭の中でぼやけていた点がはっきりとその姿を見せ始める。


「それと、何者かが地上からこちらに――――」

「……止まって」


 牢屋の外側に姿を現したのは、食料を横に置いたメイだった。


「いつの間にそんなものを手に入れたのかは知らないけど、脱獄するつもりならあたしも容赦しないよ」


 メイは冷ややかな目でこちらを睨み、両手をこちら側に突き出す。こちらが下手に動こうものなら炎術を使用するつもりなのだ。


「(厄介なことになりましたが、このまま突っ切りますか)」

「(いや、大丈夫だ。むしろ都合がいい)」


 俺は手の持った紙束を床において、手を上げる。


「なら、無理に脱出はしない。その代わりに教えてくれ、この壁の向こう側にいる人間はいったい誰だ?」

「――! どうしてそれを……!」


 彼女の顔は驚嘆を抑えつつも、目に見えて動揺した様子を見せる。


「その人、もしかしてメイさんに関係のある人なんじゃないのか」

「それは――…………」


 前にかざした彼女の両手がゆっくりと力なくおろされていく。図星のようだ。


「話してくれないか、メイさんがこんなことをしなければならない理由わけを」


 彼女の愁いうれを帯びた顔が灯りによって照らされ、表出した点がようやく線となって顕れ始める。


「――――あの子は……アカリはあたしの姉妹なの」

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