第53話 不審

 粗朶そだのはじける音と、なだらかな渓流の音とが混ざり合い、耳に心地よい音律を奏でていた。


 タジカは真紫に腫れあがった右足首を川の中につけ、流水で冷やしながら頭を下げた。


「本当にすまねぇなぁ……おぶって、ここまで連れてきてもらっちまって」


 焚火たきびの中の粗朶をつつきながら、アトイは頭巾の中で、無表情に淡々と答えた。


「いや、別にいい。俺たちも、こうしてあんたの干し肉をわけてもらってるしな」


 タジカは首を振った。


「いや、こんなんじゃ全然礼になんねぇ。それに、足がこんなになっちまったら、俺ももう帰るしかねぇしな……本当は、あと1週間ほど、この森にこもるつもりだったんだが……」


 ロトルは膝をかかえ、頭巾の中で首を傾げた。


「おじさんはこの森に用があったの?」


 タジカは頷いた。


「ああ、俺は薬草を取りに来たんだ」

「薬草?」

「この森は薬草の宝庫でな」


 アトイは首を傾げ、尋ねた。


「あんた、いったいどこからここまで来たんだ?

 ——彫りの深い面立ちから、あんた、ジスファの出身だろ?」


 タジカは少し驚いた様子で、目を見開いた。


「おお、よくわかったな。確かに俺の生まれはジスファの方さ」




 ジスファ地方は、<言ノ葉ノ国レウ・レリア>の最南端にある地方で、回りが海に囲まれた島国だ。

 漁業が盛んな地方で、脂の乗ったいい魚が採れる。


 アトイたちがいるイレス地方から随分と離れており、また、<光ノ都カルト・ノア>からも離れていることから、ジスファ地方では独自の文化が多くみられた。


 また、面立ちも、ここいらの人々とは異なっており、皆、眉が太く、彫りの深い面立ちをしている。




「ジスファを訪れたことがあるからな」

「そりゃ、随分と遠出したな」


 タジカは白い歯をむき出して笑った。


「ま、生まれはジスファなんだけどよ、今、住んでるのはこっちの方なのよ。

 ……アロルって街を知ってるか?」


 アトイは首を振った。


「いや、知らないな」


 タジカは微笑んだ。


「ま、そうだよな。街っていうか、集落って言った方がいいかもな。住んでるのは爺さんと婆さんだらけの、小さなところさ。俺はそこから来たんだ」


 そう言うと、タジカは森の奥を指さした。


「ザンガに行く道の途中で、右の方にそれるとアロルに着く。ぬかるんだ道を通るから、そっちに行かない奴が多くて、多分、知らない奴がほとんどなんだな」


 アトイは頭の中に地図をひろげ、あの道か、と頷いた。

 ロトルはタジカに尋ねた。


「おじさんはどうして住む場所を変えたの?」

「ん?ああ、俺は薬師でな。いろんな所を歩き回っていたが、その成り行きでアロルに住み着いたわけだ」


 アトイはタジカの側に置かれた、大きな背負い箱を見つめた。


「そういえば薬草を取りに来たって言ってたな……」


 タジカはニッと笑って、箱の頭をポンと叩いた。


「これが俺の相棒よ。薬師になってから、ずっとこいつと一緒に歩いてきたんだ」


 その木箱は随分と古びており、大きな前板には黒ずんだ金具が取り付けられ、扉のように開く仕掛けになっていた。


 不審そうにアトイが箱を眺めていると、その様子をみて、タジカがつぶやいた。


「珍しいか?」


 アトイが目線をタジカの顔に向けると、タジカは小さく微笑み、もう一度問うた。


「薬師が珍しいか?」


 アトイはタジカをまっすぐに見つめ、素直に頷いた。


「ああ、珍しいな」


 そう呟くと、二人の間に一瞬、沈黙が訪れた。





 <言ノ葉ノ国>レウ・レリアでは、薬師を生業とした者はほとんどいない。

 それは医術師がいるからだ。


 医術師たちは<ホロケウ>たちとは異なる特殊な<ソレイ>を手にし、<ユグレ>を読むことに長けているため、医術師が街にいれば、たいていの傷や病気は、すぐにいやすことができた。


 さらに、アトイのような<ホロケウ>でも、<ユグレ>を読むことができれば、己の傷は己で癒すことができるうえに、<狼>はたいてい、集団でウェンを狩りにいくため、万が一に備え、<木>を読める者を連れて行くのは鉄則だった。


 そのため、薬の需要は、<ソレイ>を持たない旅人や、<ユグレ>を読めない、流浪るろうの<ホロケウ>に限られた。





 ——やがて、タジカがふっと息を漏らした。


「まぁ、そんなに警戒しないでくれよ。例え、俺が悪い奴だったとしても、こんな足じゃ、何もできねぇ。それに、あんたらは命の恩人だ」


 そう言っても、いまだに疑いの視線を向けるアトイに、タジカは微笑んだ。


「ま、そう言っても無理だわな。そうやって知らない奴を警戒することはいいことだ。……でも、あんたも変な奴だな。そんな目を向けるのに、俺を助け、ここまで運んで、しかも面倒まで見て……」


 アトイはむっつりとむくれた顔でロトルに目線を送った。

 ロトルは揺れる焚火に眠たそうな細い目を落とし、ぼんやりと膝を抱え、何かを考えていた。


「……こいつに勝手な行動を取られるよりは、あんたと一緒にいた方がいい」


 アトイがそう言うと、ロトルは弾かれたようにぱっと顔を上げ、首を傾げ、大きな瞳をパチパチと瞬かせた。


 タジカは勢いよく吹き出すと、腹を抱えて笑った。


「そうか、そうか!」


 体を震わせひとしきり笑うと、ふぅと息をつき、タジカは穏やかな色を瞳に見せた。


「ま、男はそういう生き物さ、諦めな。

 ……ところで、あんたらの名をまだ聞いてなかったな。聞いてもいいか?」


 タジカがそう言うと、ロトルは腰をあげ、タジカの側ににじり寄り、手を差し出した。


「ロトルです」


 短くそう名を告げると、タジカは穏やかに目を細め、ロトルの手を握った。

 

 やがて、ゆっくりと手を離すと、二人はじっと、アトイを見つめた。

 何か言いたげな二人の視線に、アトイは眉をしかめ額をこすると、そのまま、はぁ、と大きくため息をついた。


 そして、口をへの字に曲げると、不機嫌に自分の名を口の中でつぶやいた。


「アトイだ」


 タジカは目元に苦笑を浮かべ、ニッと白い歯を見せた。


「ロトルとアトイか。よろしくな」


 そう言って大きく頷き、一息つくと、タジカは足を川につけたまま、ゴロンと仰向けになり、目を閉じた。


 ロトルとアトイがその様子を上からのぞき込んでいると、タジカは大きな欠伸あくびをして、目を閉じたまま呟いた。


「なぁ、今日はもう眠ろうや。詳しい話は明日、話すからよ」


 そう言ってしばらくすると、息が唇を破る破裂音がしだして、タジカは深い眠りについた。


 月の光をのせた渓流けいりゅうが、堰き止めたタジカの足をよけて、弧を描く。


 火の粉の爆ぜる音が森に木霊すると、ふいにロトルが口を開いた。


「アトイ」


 眠気をはらんだかすれた声が、アトイの鼓膜を叩く。


「タジカの足、直せないの?」




 ——ワッカでウェンによる傷を受けた時、宿で、アトイがロトルの傷を癒そうとしたことを、ロトルは覚えていた。


 その時は、すでにロトルの傷はかなり塞がっており、結局、アトイの出番は無かったのだが。





 ロトルが尋ねると、やがて、焚火に目を落としたまま、アトイは小さくつぶやいた。


「今は、まだ、な……しばらく、様子を見る」

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