第49話 晩春

 アトイはむっつりとした顔で言った。

 

「別に見送りなんてこなくていい……」


 ネロはケタケタと笑い、アトイの肩を小突いた。


「そんなこと言って、本当は見送りに来てくれるの、嬉しいくせに!」


 ネロが茶化すと、アトイはより一層むっつりと唇を結び、そっぽを向いてしまった。


 隣でロトルが微笑んだ。


「ネロ、ありがとう。その、色々と……」


 そう言ったロトルの背には、旅道具が一式そろっていた。

 ネロが餞別せんべつにと、買い与えたものだ。


「ああ、いや……」


 ネロは照れくさそうにポリポリと頬をかくと、ニッと笑った。


「いや、こっちこそお礼を言いたい。ありがとうロトル」


 そう言うと、ネロは手を差し出した。


 ロトルが首を傾げると、ネロはグッとロトルの手を掴み、その手を上下に振った。


 振られた手を見つめ、ロトルはつぶやいた。


「2回目だね」

「ん?ああ、そうだね」

「……これはどういう意味なの?」


 ロトルが尋ねても、ネロはもう、驚かなかった。


「これ?これはそうだな……『世話になったな』『ありがとう』『頑張れよ』『元気でな』『また顔見せに来いよ』『あんたに出会えてよかった』……とか?」


 ロトルはくすくすと笑った。


「そんなに意味があるの?」

「なんでもいいんだよ、意味なんて。したいときに、すればいい」


 そう言うと、ネロは組んだ手をしばらく見つめ、やがて、つぶやいた。


「いや、確かに、これじゃ足りないな」


 そう言うと、ロトルの手を引き寄せ、ギュッとロトルを抱きしめた。

 驚いて硬直するロトルの背をポンポンと撫でながら、ネロはロトルの耳元でささやいた。


「ロトル、本当にありがとう……あんたに出会えてよかった」


 硬直していたロトルの身体は、だんだんとほぐれ、やがて、ネロの背に、ロトルの手が回された。


「……ネロ、私もネロに出会えてよかった。ありがとう」


 ロトルはそう言うと、ネロの肩に、顔をうずめた。

 背と肩にのせられた温い体温に、愛しさがこみあげ、ネロは微笑んで、小さく頷いた。


 どちらかともなく、身体を離すと、ネロはロトルの耳元に口を寄せ、こっそりとささやいた。


「……ロトル、お願いしてもいいかい?」


 ロトルは首を傾げたが、こくりと頷いた。


「……どうか、アトイを一人にしないでやってくれ」


 ロトルはハッとすると、ネロの瞳を見つめた。


 ネロもまたロトルの瞳を見つめた。

 

 紅い瞳が燃え上がり、揺れている。

 はじめて出会ったあの時より、いっそう鮮明に見えた。


 ネロはロトルの瞳を見つめたまま、もう一度、低く囁いた。


「お願いだ、ロトル……」


 ——自分では、アトイのずっと心の奥底にある、深い洞のような冷たい孤独を、どうすることもできないことを知っていた。


 自分も同じような寂しさを抱えていると思っていた。

 

 しかし、アトイは、底が見えない、もっとずっと暗い孤独を抱えていた。


 そのことに気が付いたとき、勝手にアトイに親近感を感じていた己を恥じ、そして、どうにもならない無力感から逃げてしまった。


 聡いアトイは察しただろう。

 一度逃げてしまったら、もう駄目だった。


 ネロが懇願こんがんすると、ロトルは大きく頷いた。

 瞳を見据え、しっかりと。


 ネロは微笑むと、再び手を差し出した。

 今度はロトルも手を差し出し、互いにしっかりと握りあった。


「別れはすんだか?」

 

 蚊帳の外だったアトイは、不機嫌そうに尋ねた。


 ネロはケタケタと笑い、

「そう、拗ねるなよ、アトイ。ほら、あんたも!」

 と言うと、笑いながらアトイに抱き着いた。


「おい!暑苦しい!」


 眉をひそめ、ネロを引きはがそうと、アトイがもがくと、ネロは可笑しそうに笑った。


 ひとしきり笑うと、やがて身体を離し、背伸びをすると、アトイの頭の頭巾を、そっとおろした。


 アトイの身体が怯えたように硬直する。


 ネロはあらわになったアトイの黒髪を、微笑みながら、わしゃわしゃと撫で繰り回した。


「……アトイ、あんたも元気でな。また、顔、見せにこいよ」


 いろいろな思いを込め、ネロはそう言った。


 付き合いが長いからこそ、言えないこともある。


 アトイはふっと体の力を抜き、不機嫌そうに口の中でつぶやいた。


「……お前もな」


 ボサボサになったアトイの頭を見て、ふいにまた、胸に愛しさがこみあげ、ネロは微笑んだ。


 




 軽く別れを言うと、二人は旅立っていった。


 腕をネロに大きく振るロトルと、黙々と歩き続けるアトイの姿がだんだんと小さくなっていく。


 その姿を見送りながら、ネロは目を細めた。


( 見てるか、グレゴ )


 そう、問いかけると、小鳥がすぐ側にある木の梢にとまり、ピチピチと歌った。


 ネロは小鳥を見上げ、微笑んだ。


 再び顔を元の位置に戻し、二人の背を見つめた。


 晩春の白い光の中に、二つの人影が静かに溶けていく。

 

 一つの季節が、終わりを告げようとしていた。


( いつの間に、こんなに時がたっていたのだろう )


 あっという間だった。

 あっという間に時が過ぎてしまった。


 ふいに、ぽっかりと穴が開いたような寂しさが込み上げてきた。


 二人の旅路を見守り続けることはできない。

 二人はこれから、どう生きていくのだろう。


 ——自分はただ、二人の行く末に幸があることを、祈ることしかできない。


 ネロは、胸に針で突かれたような、鋭い痛みを覚えた。


 しかし、感じたのは痛みだけではない。


 期待のような、希望のような、——温かく柔らかいものもまた、胸の中に広がっていた。


 二人の姿はもう見えない。


 見えない二人の姿を追いながら、ネロはまばゆい光の中で、微笑んだ。


( あんたの息子は旅立っていったよ )


 一人じゃない。

 二人で。





【消えた娘たち】 完

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