第44話 サーニャ 最終編

 幸か不幸か、目を覚ましたリリィには、私に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 心理的なものらしい。


 そして、リリィはそのまま、本当に驚くほどすんなりと、ユシパの娘となった。


 私はこれでよかったのだと、安心した。


( 私が捨てたと、リリィにそう思われなくてよかった )


 リリィを手放して、この時残っていたのは、ただただ安堵あんどだった。


 あの子を殺さなくてよかった。

 私ももう苦しまなくていい。

 そして……。


( あの人に……ロウに、こんな醜い私を見られなくてよかった )


 そんな、浅ましさだった。




 しかし、私は次第に苦しむようになっていった。




 リリィに顔を合わせないように、とにかく気を配って生活した。


 顔を合わせてしまえば、あの子に記憶を思い出させてしまう可能性があった。

 そのせいで、自然とユシパとも疎遠になっていった。


 ——孤独。


 凄絶せいぜつな孤独が私を襲った。


 そして、やりきれなさと、自分への憎悪。

 なぜ、娘がこんなに近くにいるのに、その娘と共に暮らせないのかと。


 あまりの孤独に自分を抱きしめ、一日中泣くこともあった。


 そんな時は、ロウとリリィの、どこか似ている二人の笑顔を脳裏に浮かべる。

 そうすると、少しだけ心がなぐさめられた。


 毎日毎日、細い刃で刺されたような、そんな鋭い痛みが胸に走り続けた。


 孤独と己への嫌悪感。


 それらがどんどんと積もっていき、心ノ臓は傷だらけになった。




 だから、魅入られてしまったのかもしれない。

 悪しき魂に。




 気が付けば、私は化け物になっていた。


 街から見知らぬ娘たちをさらい、おびえ恐怖する娘たちと疑似生活を試みるようになっていた。

 リリィと、再び共に暮らすための練習を。


 しかし、なかなか上手くいかなかった。


 当たり前だ。


 攫った娘が私に抱いている感情は、恐れしかないのだから。


「殺さないで!」

「家に帰して!」

「嫌だ!嫌だ!」

「お願いお願い!」


 そんな言葉ばかり放つ娘たちに、私はいらつき、すぐに殺してしまった。


 殺してしまった後、床に転がる娘たちの死骸を見て、愕然がくぜんとした。


 とんでもないことをしてしまったと。


 それでも、止まらなかった。

 己を制御することが出来なかった。


 次第に、私はウェンも従わせることが出来るようになった。


 犬に芸を覚えさせるように、訓練すれば、ウェンは私の言うことを聞いてくれるようになった。


 そして、そんなウェンと共にいることが、次第に私に安らぎを与えてくれるようになった。


 もう、私はおかしくなっていた。




 けれど、転機が訪れた。


 そう、あなたです。




 あなたは、リリィを宿につれてきた。


 宿で見たのは、別れてしまってから、初めて目にしたリリィの姿でした。


 リリィは本当に、信じられないくらい大きくなっていた。

 立派な職人になっていた。

 あの人の面影を、確かにその姿に受け継いでいた。


 私はあの日、確かに救われました。


 あの時、私がリリィを手放したことは、決して間違いではなかったのだと。


 あの人との間にできた子は、確かに成長していた。


( いったい、何にこだわっていたんだろう…… )


 私は生き物として、とうとく、素晴らしい仕事を成し遂げたじゃないか。

 愛した人と自分の子孫を、この世に残し、受け継ぐという。

 そのための選択として、あの決断は下したのは、間違いではなかったのだと。


 自分の決して許されない罪も忘れて、そんなことを思いました。


( もう終わりにしよう )


 あの日から、制御できない自分の中に、そんな思いが芽生え始めました。


 けれど、自ら命を絶つことは、もう一人の、黒い私が許しませんでした。

 きっと、まだ少しだけ、リリィと共にいたいという夢が、諦めきれていなかったのでしょう。


 だからロトルさん。

 これで良かったのです。

 私は誰かに、自分を止めてほしかったのです。

 これ以上、罪を重ねたくなかった。


 つぐなうことはできない。

 きっと私は常春の地へは行けないでしょう。

 もしかすると、そんなもの、そもそも無いのかもしれない。


 ただ、今、思い浮かぶのは、


 あの人の麦藁色の猫っ毛と、少し照れたようにはにかんだ笑顔。

 リリィの麦藁色の髪の毛と、少し照れたようにはにかんだ笑顔。


 それだけです。


 それだけが今ここにあります。


 それだけで十分。


 最後の最後まで、付き合わせてしまい本当にごめんなさい。



 私を救ってくださり、ありがとうございました。

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