第39話 終結

 直ぐそばに立つと、その人はロトルを見下ろした。

 冷たい翡翠の目が、闇の中で光っている。


 やがて、その人はゆっくりと口を開いた。

 男の声だった。


「……お前はまだ、死んではならぬ」


 男は淡々と、そう言った。

 ただそれだけ言うと、再び林の闇にまぎれ、男はふっと姿を消してしまった。


 ロトルは呆然と、男が残した暗い影を見つめた。


「ロトル!」


 アトイの喚声かんせいが聞こえ、ロトルの意識はグイッと引き戻された。

 パッと振り返ると、再び、触手がすぐそばまで己に差し迫っていた。


 地を渾身の力で踏んで跳びだし、触手を避ける。


 ざっと土煙をあげて転がり、勢いを殺すと、素早く立ち上がってロトルは再び刀を構えた。


 ——サーニャは怒り狂っていた。


 触手がヒュンヒュンと音を鳴らし、空をきる。

 ロトルは刀で触手をはじき、わずかにできた隙間を縫いながら、アトイの傍まで走った。


 少し遅れてネロが来る。


「無事か!?」


 アトイもまた、小刀と<エピカ>で、むちのようにしなる触手をはじいていた。

 ロトルがアトイの言葉に頷くと、少し息を吐き出して、アトイはそのまま言葉をつづけた。


「あいつは怒り狂った獣に成り下がった。もはやそこに意思はない。

 ……一気に片を付けよう」


 アトイはロトルを力強く見つめた。


「俺とネロがお前の道を作る。——お前はただ進んでいけ」


 ロトルはアトイの言葉にニッと笑うと、大きく頷いた。

 そして、白い残像を残し、凄まじい速さで駆け出した。


 アトイとネロは約束したように、必死に己とロトルに迫る触手をはじき、希望の道を作っていった。


 ロトルは徐々にサーニャとの距離をつめていく。


 頬や肩に触手がかすり、わずかな傷を残していったが、ロトルはかまわず走り続けた。痛みは感じない。


 ——ふいに、アトイとネロの視界からロトルが消えた。


 一瞬の静寂が訪れる。


 やがて、怪しい満月を背に、ロトルはサーニャの真上に、落ちてきた。

 月光をまとった白い刃が、暗然あんぜんたる闇夜を切り裂いていく。




 ——この少し前、アトイは駆けていくロトルの足元に、機を測り<キール>で柱を作り上げていた。

 

 不思議とロトルが自分の意図に気が付くことを、この時、確信していた。


 地から柱が勢いよく突き出し、ロトルはその柱の上に足をかけた。

 そして、その突き出す柱の勢いに乗り、ロトルは高く宙へと舞い上がった。


 空は静かだった。

 ただただ、月が美しかった。


 わずかな静寂に身を落とし、ロトルは刀を硬く握りこんだ。





 絶叫があたりに響いた。


 ずぶりと、肉に刃が深く刺さった嫌な手応えがあって、ロトルの肌が粟立った。


 血のにおいがする。赤い血のにおい。


 化物の姿をしていた殻は灰となって崩れ、さらさらと風にのって、どこかへと飛んでいった。


 ——そして、最後に残ったのは、刃に身を貫かれたサーニャの姿だった。


 赤い血が流れ、地面でよどんでいた。


 アトイとネロは高揚した気持ちのまま、ロトルのいる方へと駆けていった。


 ——しかし、途中でその足をピタリと止めた。


 足が動かなかった。

 これ以上進むことは、ためらわれた。


 刃をたて、ロトルはサーニャに覆いかぶさるように地に膝をつけていた。


 そこに、キラキラと光るものが見えた。

 それは雫となり、横たわるサーニャへと落ちていった。


 アトイは立ち止まり、落ちていく雫を茫洋と眺めた。


 ——ロトルは涙を流していた。


 鼻をすする音もなく、声もなく、ただ呆然と目を見開き、静かに涙を流していた。

 どうしようもない哀しみに押しつぶされ、どうして良いのか判らないようだった。


 その姿を目にし、胸に熱い濁流が押し寄せ、アトイの心ノ臓を飲み込んだ。


( お前はそうやって涙をながすのか…… )




 それはアトイが初めて目にした、ロトルの涙だった。




 そう思った時、自然と足が動いていた。

 ゆっくりと地を踏みしめていく。


 近づくと、ロトルの身体は小刻みに震えていた。

 ロトルの背の後ろで立ち止まり、アトイは手を伸ばした。

 



 そして、その手がロトルの肩に触れた時、鮮明な光景が視界に広がり、アトイを飲み込んだ……。

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