第38話 謎の男

 ロトルはアトイの言葉に力強く頷いた。


「それならあたしたちは、ばかすか<エピカ>を紡いで、奴を混乱させればいいんだな」


「まぁ、そうなるな……ただ、俺たちも奴の『間合い』とやらを見定めていく必要がある」


 そう言って、アトイが<キール>を紡ぐと、地面から小石が沸き上がってきた。


「警戒しておけ」

 

 そう二人に忠告すると、アトイは小石を手に取り、<レミラ>で飛ばした。


 小石はアトイたちから、すぐ近くに落ちた。


 サーニャは気が付いていない。


 アトイは再び<レミラ>を紡ぎ、正確に距離を測りながら、次々と小石を飛ばしていった。

 

 ——あるところで、小石が落ちた地点にサーニャの触手が伸ばされた。


「あそこが奴の間合いの限界か……」


 アトイはつぶやきながら、内心、汗をながしていた。


 その境界線は、アトイが思っていたよりも、ずっと自分たちの近くにあった。

 サーニャの間合いは恐ろしく広かったのだ。


 アトイはしばし考え、口を開いた。


「ネロ。お前は奴の間合いの中に火柱を建てていけ」

「火柱?」


 ネロの言葉に頷くと、アトイはロトルの方を向いた。


「俺が<エピカ>で奴の気をそらしていくから、お前は機をみて、火柱に身を隠しながら奴に近づいていけ。

 ……奴の耳がどこまでいいのかはわからんが、もしかすると、炎の爆ぜる音でお前の気配を消せるかもしれない」


「わかった」


「……とにかくやってみるしかない」


 そう言うと、アトイはネロに尋ねた。


「……火柱を維持するのに、お前の行動はどれだけ制限される?」

 

 ネロは苦笑しながら答えた。


「結構な集中力を使うだろうから、<アーイ>を紡いでる間は確実に動けないだろうね」


「そうか……お前はできる限り奴から離れたところにいろ。

 でも、いいか、常に気をはって油断だけはするな。

 とにかく自分の命を守ることを優先しろ」


 ネロは笑って頷いた。


「わかってるよ。あたしもまだ死にたくないしね。

 いざとなったらちゃんと逃げるから安心しろ」


 アトイが頷くと、ネロは歩き出し、サーニャから十分に距離をとったところで立ち止まった。


 ——やがて、どん、と鈍い音と共に、地面から火柱が吹きあがり、闇空にいくつも穴をあけた。


 サーニャは火柱に向かって触手をむちのようにぎ払ったが、炎は一瞬勢いを失っただけで、ごうごうと音を鳴らし続けた。


 それを見るや否や、アトイは小刀を抜き出すと、駆け出し、サーニャの間合いの中へと<エピカ>を次々につむいでいった。


 地鳴りと共に木の根が地からはい出し、その鋭い先端がサーニャへと向かっていく。

 炎がとぐろを巻いて球となり、その火球がサーニャへと放たれた。


 サーニャは<エピカ>に反応し、触手を伸ばし、ばしりとそれを払った。


 木の根は崩れくずとなり、火は掻き消えていく。


 ——そうやってアトイがサーニャの気を引き付けている間に、ロトルは着実にサーニャとの距離を縮めていた。


 アトイの目論んだ通り、爆ぜる火柱がロトルの気配を消してくれているようだった。


 そして、サーニャの懐にもぐりこむと、ロトルは刀を強く握りこんだ。


 ——しかし、あと少しで刃が届く、というところで、ヒュンと空を切って、触手がロトルを襲い、それを何とか刀ではじいたが、力をいなしきれず、ロトルは吹っ飛んでいった。


 宙で身をひるがえし、態勢を立て直したロトルを見て、アトイは<キール>を紡いで土の壁を作った。


「ロトル!」


 アトイが叫ぶと、ロトルはその壁に足をつけ、膝を曲げて力を足先に集めると、思い切り壁を踏んで、再びサーニャに向かって凄まじい速さで跳んでいった。


 刀を振る遠心力でロトルが一回転すると、弧を描いた白い残光と共に、どさりという音がして、サーニャの触手が地に落ちた。


 ロトルは素早く後退し、サーニャの間合いから外れると、アトイの直ぐ傍まで戻ってきた。


 アトイとロトルは互いに顔を見合わせ、口の端をあげた。


 ぶわりと、言い表せない快感が身を包み、アトイの肌は粟立っていた。


 今、互いに何かを感じ取った。

 一瞬、糸でつながったように、相手が何をするのか手に取るように読み取ることが出来た。

 

 ロトルも高揚しているようで、頬を上気させ、息を切らしながら口を開いた。


「今、サーニャの触手を切った時に、サーニャの胸のあたりに、なんか光るものが見えた」


「光るもの?」


「獣を狩った時に落ちる、あの黒い結晶に似ていた気がする」


 アトイに稲妻が落ちた。


「……!それが『核』だ!」

「核?」


 アトイは頷いた。


「ウェンは『核』を傷つけることで、ようやく倒すことが出来る。

 ——そうか、ウェンと同じならば、その核を傷つければ、奴も倒すことが出来るはずだ」


 アトイはロトルを見た。


「その黒い結晶を囲んでいる肉が『核』だ。

 ——奴を倒すことが出来るぞ」


 ロトルはしばし目を瞬かせていたが、やがてニッと笑みを浮かべると、アトイの言葉に頷いた。

 

「わかった。それなら、あの核を狙ってみる」


 そう言うと、鞭に打たれるように駆け出し、ロトルは火柱に身を潜めながら、再びサーニャとの距離をつめ始めた。


 アトイも<エピカ>を紡ぎ、サーニャの気をそらしていく。


 ロトルがサーニャの懐にもぐりこむと、ロトルは地を蹴り、刀を構えて跳ね上がった。


 ヒュンヒュンと触手が伸び、そのたびにロトルは吹っ飛ばされるが、その足が地に着くことはなかった。


 ロトルはくるりと宙で翻りながら、アトイが紡いだ<キール>の壁を踏み台に、目に見えぬ速さで刀を振り、核に向かって息もつがせぬ猛攻をくりだした。


 凄まじい争いに、火花が舞う。


 アトイも<エピカ>を紡ぎ、ロトルに向かっていく触手をはじいて、必死にロトルを守った。


 ロトルは宙で一回転し、ふっと地に降りると、タタタ……と静かに駆けだして、再び火柱の後ろに身を潜めながらサーニャの隙を狙った。


 <エピカ>を繰り出し、アトイはサーニャの気を引くことで、その隙を作ろうとした。


 ——そして、一瞬、一瞬だけ、わずかに隙が出来た。


 ロトルはそれを見逃さなかった。


 火柱から勢いよく飛び出すと、刃を振り抜き、残像だけを宙に残した。


 ——大気を震わすような、凄まじい叫び声が上がった。


 本当にわずかではあるが、ついにサーニャの核にロトルの刃がかすり、小さな傷をつけることが出来た。


 ロトルは己が飛び出した勢いで地に横転したが、獣のように手足で土を削って勢いを殺すと、息を整えながら後退した。


 サーニャにできた小さな傷口からは、体液がしたたり落ちていた。

 どろどろとした、真っ黒い液体だ。


「ロトル、やったな!」


 ネロは興奮が隠し切れない様子で、すぐ傍で立ち止まったロトルに呼びかけた。


 息を切らし、ロトルが頷こうとしたその瞬間、

 ——黒いものが、凄まじい勢いでロトルの視界を通り過ぎた。


「ネロ!」


 アトイは目をつりあげ叫んだ。


 核を傷つけたことにより、サーニャの中の何かを呼び覚ましてしまったのかもしれない。

 間合いの外にいるはずのネロに、サーニャの触手が伸びていた。


 このままだと、ネロの腹に、あの触手が突き刺さってしまう。

 だがもはや、この僅かな時に、アトイに出来得ることは何もなかった。

 

 ネロを失うと悟った時、その恐怖にアトイの全身の毛が逆立った。


 何も考えることはできず、ただ、記憶の底にある、凄惨なの光景が思い出され、アトイの視界を埋め尽くした。



 ——アトイ。



 ……耳の底から声がした。


 その声が針金のように心ノ臓に巻き付き、硬く縛った。


 身体が動かない……。


 足が地に縫われてしまったように、アトイはその場で立ち尽くした。


 ——しかし、触手の軌道は逸れ、ネロを貫くことはなかった。

 正確にいうのならば、ネロが触手の軌道からそれた。


 ロトルが勢いよく飛び出し、肩でネロの身体を吹っ飛ばしたのだ。


 ネロが地へと倒れていく。


 二人の一つ一つの動きが、まるで時が止まってしまったかのように、アトイの目に焼き付いていった。


 死がうなり声をあげ、ロトルへと差し迫る。


 ロトルが己の死を予感したその時、

 ——メリメリと音を立て、目の前に巨木がたった。


 それはアトイの<ユグレ>によるものではなかった。


 触手は巨木に突き刺さり、ロトルは飛び出した勢いで、土煙をあげて地を滑った。


 サッと起き上がると、ロトルは触手に貫かれた巨木を、なかば口を開けて見上げた。


 ——ふいに、背後に気配がした。


 ぱっと振り向くと、闇の中から、見知らぬ人がにじみ出るように現れた。



 その人は、黒い外套で身を包み、その外套の隙間からは、月の光をはじいた、金色に輝く髪の束がのぞいていた。

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