第34話 満月の宵

 アトイとロトル、そしてネロの三人は、闇の中、廃屋の裏で、じっと人を待っていた。

 

 風が吹くと、林がさかんに騒ぎはじめ、アトイの心ノ臓を揺さぶった。


 ちらりと、アトイは背を付けた壁の裏側へと意識を向けた。

 中には未だ、惨い少女たちの遺体が、累々と転がったままだ。


 ロトルに案内され、扉を開けた先にあったのは、凄絶な景色だった。


 死とは、これほどありふれたものであったのかと、アトイは息をのんだ。

 人はこれほど早くに命を散らしてしまうのかと。


「アトイ……」


 ロトルがアトイの名を呼んだ。

 アトイははっと我に返り、声の主を見ると、ロトルはアトイの裾を引っ張り、遠くの林を指さしていた。


 眉をひそめ、目を凝らす。

 すると、ぼんやりと、闇の中に人影が浮かび始めた。


『におい』はしない。


 心ノ臓が激しく脈打ち、耳の奥で血流がごうごうと音を立てていた。


 人影は徐々に線を成し始め、——ピタリと立ち止まった。

 そして、凄まじい勢いで踵を返し、闇の中へと紛れ込んだ。


「アトイ!ロトル!追うぞ!」


 ネロは叫び、弾かれるように走り始めた。


 頷くと同時に、突然、堰を切ったように、『におい』がアトイの身体を押し包んだ。

 身体にあたるこずえも気にせず、三人は林の中を夢中で駆け抜けた。




 月の光をはじく黒い網の下を、黙々と走っていくと、ふいに視界が開け、さぁっと風が吹いた。


 澄んだ夜気に誘われ、白い花びらが、夢のようにの白く、宙を踊っている。


 ハッとするような澄んだ空気に、躍動していた心ノ臓が息をひそめると、静寂が訪れた。


 満開のサニアの花が、風に吹かれ、さらさらと擦れ合う音だけがそこに残っていた。


 美しい湖面に月がうつっている。満月だ。

 湖面が揺れると、黒い水の上に、きらきらと金箔が舞い散った。


 浅く息をしながら、アトイは茫洋と景色を眺めた。


 人影はすぐそばにいた。

 <神ノ泉>の前で立ちどまっていた。


 身を覆う、黒いもやの中で、風にさらわれた長い髪を押さえている。


 隣でロトルがひゅっと息を吸った。

 それをしばし肺の中にためると、やがて、ロトルはささやくように呟いた。


「サーニャ……」


 サーニャは、深いまどろみから覚めたような顔をすると、ひどく哀しげに微笑んだ。

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