第33話 夜明け

 部屋の窓の隙間から、微かに漂ってきた『におい』に、アトイははっと目を覚ました。夜はまだ明けていないが、月の光で部屋は妙に明るかった。


 掛布団を勢いよくはいで、身を起こし、床に手をつくと、薄青い闇の中に、白い夜具が浮かび上がっていた。

 しかし、そこにロトルの姿はない。


 ( どこに行ったんだ? )


 皺のついた敷布に、そっと手を当てると、乾いた冷たさが皮膚をなぞった。

 どうやらずいぶんと前に、この部屋を後にしたらしい。

 

 寝ている自分を起こさずに、ロトルが部屋を後にしたことに、アトイはさして驚かなかった。あの女は、そういうことが出来てしまう者なのだ。


 ——しかしこのとき、ロトルが二度と部屋に戻らぬかもしれぬ、という危惧にも近い念は、アトイの脳裏には無かった。

 そしてそのことに、アトイも気が付いてはいなかった。

 

 壁にかけてあった外套をさっと取ると、アトイは部屋を後にした。

 


 群青色だった天が、薄い紫色へと変わっていた。

 もうすぐ夜明けだ。


 目覚め切っていない重い体を振り、アトイは街の中を駆けていた。


 ふいに静まり返った街の中で、遠くに白い点が見えた。向かいからこちらへと歩いてくる。


 近づくと、点は人の形を成し始めた。

 見覚えのある人影だ。

 

 足を止め、あがった息をこらえながら、アトイはその人影に呼びかけた。


「おい、お前どこに行って……」


 しかし、そこでアトイの言葉が途切れた。


 地と天の狭間に、ふいに薄い黄色が滲むと、天が強烈な光をまとった日をはらんだ。

 さあっと空が明るくなっていく。

 夜明けだ。


 ぼんやりとしか見えなかったロトルの面立ちが、徐々に形を作りはじめ、そして、はっきりと見えた。


 ——アトイが思わず口を閉じたのは、そのロトルの顔が、あまりにもうつろだったからだった。


「……何があった?」


 声が聞こえたのか、ピクリと体を震わせると、ロトルは面をゆっくり上げ、アトイの顔を見た。


 ロトルの顔がくしゃりと一瞬ゆがんだ。


「アトイ……」


 絞り出すような声だった。


 ロトルは手を伸ばすと、アトイの外套にしがみつき、うつむいた。


 しばらくそうやって地を見つめていたが、やがて、ロトルはぽつぽつと平淡な声で語りだした。


 そしてロトルが全てを語り終えたあと、二人は口を閉じ、互いに黙り込んだ。


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