第30話 はじめまして

 カラカラと乾いた木の音が鳴ると、帳場の奥から、サーニャが暖簾のれんをくぐってきた。

 

「あ、ロトルさんお帰りで……」


 そこで、言葉が途切れ、サーニャの顔に驚愕きょうがくの色が走った。

 足をとめ、目を見開き、ロトルの後ろを凝視している。

 

「あの……お邪魔します」

 

 ロトルの背から、ひょっこりとリリィが顔をのぞかせ、ぺこんと頭を下げた。


 凍りついたようにリリィを見つめ、サーニャは沈黙した。


 裾を引っ張り、リリィは背伸びをすると、ロトルの耳に唇を寄せた。


「ロトルさん。やっぱりいきなり来ちゃ、まずかったんじゃないですかね?」


 ロトルもリリィの小さな耳に、囁き返した。


「そんなことないと思うけど……もしかしてリリィとサーニャ、知り合いだったりする?」


 目を細め、リリィは呆然と立ち尽くしたサーニャの顔を眺めたが、やがて、ふるふると首を横に振った。

 

「うーん……私は知らないけどなぁ」

「そっか……」

 

 いったいサーニャはどうしてしまったのだろうか?

 純粋な驚きの他に、その顔には苦痛の色が滲んでいた。


 今まで見たこともない表情を浮かべるサーニャに、だんだんと心配になってきて、ロトルはサーニャに呼びかけた。


「サーニャ……?」


 返事がないため、近づき顔を覗き込みながら、もう一度名を呼んだ。


「サーニャ!」


 びくりとサーニャの肩が揺れる。

 いまだ目を見開いたまま、サーニャは我に返ったように呟いた。


「あ……すみません。ぼーっとしてしまって……」


 息を吐き出すと、じっとリリィを見つめた。


「ロトルさんの……お客さんですか?」


 ロトルは頷いた。


 とたとたと、リリィがロトルの隣にやってきて、再びぺこりと深く頭を下げた。


「あの、初めまして!リリィと申します」


 その言葉を聞くと、サーニャはひどく顔をゆがませ、胸を強く押さえつけた。

 痛みに耐えるように、背中を震わせ、身を縮める。

 しかしやがて、深く息を吐き出すと、面をあげ、作ったような笑みを顔に浮かべた。


「そう……初めまして。私はサーニャと申します。礼儀正しい子ね……本当に」


 ちらりと、作った笑みのまま、サーニャはロトルに視線を向けた。


「ロトルさんにお客様なんて珍しいですね」


 いつもと様子が異なるサーニャに、ロトルは顔をこわばらせ、恐る恐る尋ねた。


「えと……リリィがね、宿に泊まったことがないみたいだから連れてきたの……迷惑だった?」


 はっと息を飲み込むと、サーニャは勢いよく首を横に振った。

「いいえ、いいえ!そんなことないです。大歓迎です」


 ようやく普段の表情に戻ったサーニャに、胸をなでおろすと、ロトルは本来の目的を話した。


「リリィと一緒に宿をいろいろ見て回りたいんだけど、いいかな?邪魔じゃない?」


 サーニャは頷いた。


「ええ、是非見ていってください」


 微笑みながらサーニャがそう言うと、ロトルは「ありがとう」とお礼を言い、そして首をすくめた。


「それと……」


 ちらりと上目でサーニャの顔を見る。


「リリィはね、服屋さんで衣を縫ってるんだけど……サーニャの作品を見せてもらってもいいかな?一緒に」


 サーニャは再び、ピタリと凍り付いた。

 そして、一音一音確かめるように、ロトルに尋ねた。


「この子も、針と糸を、手にもっているの?」


 リリィが大きく頷いた。


「はい!私、服屋の娘なんですけど、是非サーニャさんの作品を見てみたいなって」


 そこで言葉を切り、ロトルと顔を見合わせ、そしてリリィは誇らしげに笑った。


「実はロトルさんの外套の刺繍を施したの、私なんです」


 サーニャは心底驚いた顔をした。


「え……この刺繍をしたのはあなたなの?」


 リリィが大きく頷くと、サーニャはへにゃりと眉を下げた。


 しばし、そうして口を閉じていると、やがて、唇を震わせ、絞り出すような声でつぶやいた。


「そう……本当に上手だわ。私が見た中で一番上手……たくさん、たくさん時間をかけて縫ったのでしょう?」


 リリィが首をすくめて、はにかみながら、小さく頷くと、サーニャはありったけの優しさを込めた微笑みを浮かべ、囁くように言った。


「本当に凄いわ……本当に。きっと、あなたのお母さんは、誰よりもあなたのことを誇りに思っているわ……」


 目を細め、じっとリリィを見つめると、やがて、ふっと息をつき、

「さ、私がこれ以上引き留めてしまっては、お二人に悪いですね。存分に宿を見ていってください」

 と言って、サーニャはにこりと笑った。

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