第28話 先行きの不安

 ロトルは部屋の窓から、明らかに人通りの少なくなった街を見下ろしていた。


 <言ノ葉ノ王レウ・シュマリ>の行幸ぎょうこうに一時は活気を取り戻した街も、新たな犠牲者の知らせに、再び静けさをまとった。


 皆、先行きの不安から虚ろな目をしている。

 

 こうして街をのぞいていても、脳裏に映るのは、息絶えたあの二人の姿だ。

 

 あれから幾日か過ぎたが、こびり付いた景色はなかなか消えてくれなかった。


 頭の奥底の箱を開けては引っ張り出し、顔を背けながら……しかし、目ではしっかりとそれを捕らえ、眺めてしまう。

 決して良い記憶ではないはずなのに、不思議とそうしてしまうのだ。


 がらんと空っぽの部屋が背中をさすり、ロトルの胸の内をいっそう荒涼こうりょうなものとした。


 ここ数日、アトイと共にいることが多かったため、こうして一人で部屋にいるのは久しぶりだった。


 あの夜から、アトイはロトルを探索に連れて行ってくれるようになった。


 馬に揺られ、互いに押し黙り、アトイの背中にしがみついていたあの日の帰り、思い切って自分も連れて歩いてほしいと頼んでみたのだ。

 

 その時、アトイはロトルを一瞥いちべつしただけで何も言わなかったが、翌日、外出前にロトルに一声かけたくれた。


 それから、アトイと共に行動するようになった。

 

 そして、夜明けとともに宿を出て、深夜に戻るという、いかにも体を壊しそうな生活を、アトイは改めた。


 窓から差し込む白い光と花の実を摘む鳥の声で目を覚まし、ゆっくりと茶を飲んでから朝を過ごす。そして、人通りの少ない街をぶらつき、ネロから受け取った昼餉を、山や花々を眺めながら食べると、再び街をぶらつきはじめる。日が暮れれば宿に戻り、サーニャが用意した夕餉を、アトイもロトルと一緒に食べるようになった。

 

 ここ数日はそのように過ごした。


 夢なのでは?と疑ってしまうほど穏やかな日々だ。

 

 アトイと一緒にいるからといって、別段、会話が増えるわけではない。サーニャやリリィと共にいるときの方が、よっぽど話をしているだろう。


 会話の数で言えば、こうして一人で過ごす時とさほど変わらない。

 

 それでも、何も話さなくとも、風がさらさらと草をでる音や、小鳥のさえずりを、アトイと共に聞くだけで嬉しかった。


 —— ロトルがこのように思うのは、雛が卵からかえったときのような、一種のり込みなのかもしれない。

 

 そのアトイはというと、今日はネロと何やら話すことがあるそうで留守にしている。


 朝出かける前に、夕餉ゆうげも済ませてくると言っていたので、今日一日はずっといないのだろう。


 ロトルは長くため息をつき、窓枠から離れた。ずっと腕に頬をのせていたせいか、歯茎がずんと重くなっている。

 

 ふと、リリィのことが頭に浮かんだ。


 あれから時々、リリィの様子を見に、ロトルは服屋を訪れるようになっていた。リリィのことが心配だったのだ。


 まだワッカに来たばかりのころ、ネロは、この街から娘ばかりが消えていると話していた。

 

 リリィはまだ、年端も行かない娘だ。


 ロトルは唇を強く結んだ。


 あの、花が咲くような笑顔を、永遠に見れなくなってしまうと思うと、ひどく恐ろしい……。


 ロトルは窓枠を押し出し、腰をあげると、そっと部屋を後にした。






 札のかかった扉を軽く叩くと、店の窓からリリィが見えた。こちらを覗き込んでいる。


 ぱたぱたと軽い床を打つ音がすると、扉が開いた。


「ロトルさん!」


 リリィの笑顔がそこにあることをこの目でみて、ロトルは胸をなでおろした。


 いつものように暖簾のれんの奥へと案内される。


 階段を上がり、居間の畳に腰を下ろすと、リリィがお盆の上に湯呑ゆのみをのせてやってきた。。


「お母さん、寝込んじゃったんです……」


 膝をたて、湯呑の一つをロトルに渡しながらリリィはつぶやいた。


「怪我もしていたのに……色んなことが起こって、限界が来ちゃったのかも」


 そう言うと、リリィもまたうつろな目を伏せ、黙り込んだ。


 茶をすする音だけが、静けさの満ちた部屋に響く。


 やがて、壁を隔てて、こもった咳の音が聞こえた。


 ぱっとリリィが立ち上がり、居間の障子をひくと、背を丸め激しく咳き込むユシパが立っていた。


「お母さん!」


 リリィが慌てて母の背をさする。


 ユシパは「ありがとう」とリリィに微笑むと、ロトルに視線を向けた。


「ロトルさん……せっかく来てくださったのに、なんのお構いもできずにすみません」


 ぱっと立ち上がると、ロトルは激しく首を横にふった。


「ごめんなさい。こんな時に来ちゃって……」


 申し訳なさでいっぱいになり、顔を伏せた。


「いいえ、リリィの様子を見に来てくれたのでしょう?ありがとうございます」


 顔を上げると、ユシパは笑みを浮かべていた。

 そして、リリィに向き直ると、かがんで、言い聞かせるように、リリィにささいた。


「リリィ……ロトルさんと一緒にどこか遊びに行きなさい」


「え、でも……」


「あなた、ずっとお母さんの看病しかしていないじゃない……寺小屋も今は開いていないし、こんなんじゃ、今度はリリィがおかしくなってしまうわ。それに……」


 ユシパはちらりとロトルに視線を送った。


「それに、ロトルさんと一緒なら、今こんな状況の街でも安心だわ。とっても強かったんでしょう?」


 ユシパが尋ねると、リリィはこくりと頷いた。


「でしょう?それなら遊びに行って、ついでに夕飯もロトルさんと一緒にどこかで食べてきなさい。お金は渡しておくから」


「……お母さんは大丈夫なの?」


 ユシパはふっと微笑んだ。


「お母さんは家にいても寝ているだけだし、大丈夫……あ、!帰りにお母さんの分の夕餉を、どこかで買ってきてもらえると助かるわ」


 ユシパがそう頼むと、リリィは嬉しそうに頷いた。


「わかった!お母さん、ご飯はどんなのがいい?」


「そうねぇ……温かくて、消化がよさそうで、栄養がありそうな汁物だと嬉しいわ」


「温かくて、消化がよさそうで、栄養がありそうな汁物ね!」


 リリィが復唱すると、ユシパは柔らかく笑って、リリィの頭を撫でた。

 そして、ゆっくり体をもたげると、ロトルに顔を向けた。


 「すみません……どうか、リリィのこと、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げたユシパに、ロトルはしっかりと頷いた。

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