第9話 はじまり

 「残りの衣も出来上がったら、後日再度調整してお渡ししますね」

 

 店主の言葉にロトルは頷いた。

 本縫いを終えた真っ白な衣は、ロトルの腕で赤いラクラ( 彼岸花 )を咲かせていた。


 あのあと、リリィと共に2着の衣を選んだ。

 どれも白い衣だ。

 

 リリィがロトルの体に合わせて2着の衣に針を刺している間に、女将は最初の衣の本縫いを終えてしまった。

 さすがは職人と言ったところだ。

 

 刀をしっかりと帯の間にさすと、リリィが黒い外套をもってきた。

 美しい金色の刺繍が施されている。

 

 リリィは丸椅子の上に立つと、ロトルにその黒い外套を着せた。


 それを見た店主が、「あら……」とわずかに声を漏らした。

 

 最後に、しっかりとロトルに、外套に縫われた頭巾をかぶせると、リリィは丸椅子から降り、下から上までじっくりとロトルの姿を見て言った。


「よく似合っています」


 満足したようにリリィは頷き、会心の笑顔を見せた。

 

 ロトルも笑みを口角に浮かべると、腰をおり、リリィに顔を近づけた。


「ありがとう……」

 

 そうお礼をいうと、リリィは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 

 しかし、やがて、面を上げ、キュッとロトルの衣を軽く引くと、ロトルに顔を近づけるよう促した。

 

 ロトルがかがむと、リリィは耳に口を寄せて、こっそりとささやいた。


「お名前教えてもらってもいいですか?」

 

 リリィのくぐもった声と温度のある息が、言葉と一緒に耳の中にもぐりこんできた。

 ロトルはくすぐったそうに笑うと、同じようにリリィに耳に口を寄せて、


「ロトル」

 

 と小さくささやいた。

 

 実はアトイにつけてもらったこの名前を、早く誰かに呼んでもらいたくて、ずっとうずうずしていたのだ。

 

 リリィはパッと顔を輝かせた。

 

 長靴ちょうかをはいて、ロトルが奥の部屋からでると、扉の横でアトイが腕を組んで壁に寄りかかっているのが見えた。

 

 駆け寄ると、アトイが無表情で背中を壁から離した。


「終わったのか」


 ロトルは頷き、残りの衣は後日受け取ることを伝えると、アトイは「わかった」と頷いて、店主のいる帳場で会計をしはじめた。

 

 ロトルはその背を、申し訳ない気持ちでみつめた。

 

 会計を終えると、アトイは軽く店主に会釈し、扉を開けてさっさと店の外に行ってしまった。

 

 慌ててロトルがその後ろを追いかけていくと、


「ありがとうございました!」


 という、リリィの輝々ききとした声が背中にかかった。

 

 振り返って深く頭を下げると、澄んだ鐘を鳴らし、ロトルは白い衣を翻しながら店を後にした。



 日はいつの間にかずいぶんと高く昇り、何処からか花びらが迷い込んで、空をまっていた。

 

 先に出ていってしまったアトイに小走りで追いつくと、隣で速度を合わせながらロトルはアトイの顔を覗き込んだ。


「衣、買ってくれてありがとう……」

 

 アトイはちらりと薄目で見下ろすと、すぐに目線を前に戻し、「別にいい」と機嫌悪そうにつぶやいた。



 しばらく歩くと、商店街から離れた静かな場所にでた。

 

 どこに向かっているのかと、ロトルが首をひねっていると、狼が描かれた看板を掲げた店の前でアトイは立ち止まった。

 アトイの外套にしるされた狼と同じ狼だ。

 

 店には漆黒の暖簾のれんが下ろされていた。


「ようやく開いたか……」


 アトイは思わず舌打ちした。


 ——ロトルが衣を選んでいる間、用事を済ませようとここまで来たが、その時はまだ開いていなかったのだ。


 がらりと引き戸を開けると、受付に、茶色いくせ毛の短髪をもった、快活そうな褐色の女性が立っていた。


「よう、アトイ!久しぶりじゃないか!」


 ネロが片手をあげた

 

 店の中は相変わらず騒がしく、酒臭かった。


「……声がでかい」


 うんざりしたようにアトイが文句をいうと、ネロは、「悪い悪い」と笑いながら調子よくあやまってきた。


 やがて、隣にいるロトルに気が付いたのか、興味深そうに眉を上げた。


「アトイに連れなんて珍しいな」


 ぎゅっと黒い頭巾を深くかぶると、ロトルは隠れるようにアトイの後ろに身を潜めた。

 

 アトイは二人に一瞥いちべつもくれず、勘定台の上に拳半分ほどの大きな黒い結晶を転がした。

 それと一緒に乱雑に折り目のついた紙を出す。

 

 ネロは勘定台に頬杖をついてその結晶を手に取ると、サッと紙に目を通し、ニカっと白い歯をのぞかせた。


「インの森のウェンの討伐おめでとう!」

 

 そういうと、結晶をそのまま角灯かくとうの明かりに透かした。

 

 黒曜石こくようせきのようなウェンの結晶は、灯りを受けると、うっすら紫色に色づいた。


「これまたデカい結晶だね~」

 

 ネロが結晶を天秤の上にのせると、天秤が勢いよく傾いた。

 

 のせる順序が間違っていたが、いつものことなのでアトイは特に口出ししなかった。


「おお、重い重い……」

 

 ネロは重りを鑷子せっしでつまむと、次々と反対側の皿の上にのせていった。

 重りには数が記されており、こちらからも重さが確認できるようになっていた。

 

 水平になったところでネロは手を止め、帳簿に重量を記入した。

 さらさらと年季の入った万年筆が紙を滑っていく。

 

 記入を終えると、ネロは帳場後ろの暖簾をくぐり、すぐに小袋を持って帰ってきた。

 

 ズシリと重みのあるそれをネロがアトイに渡すと、袋の中から金属がこすれあう音が、鈍く鳴った。


「ほい、それじゃあ重量分のお金、しっかり渡したからな!」


 ウェンの結晶の重量に比例した報酬金額が書かれた表を、ネロはアトイの目の前にズイッと出した。

 

 アトイが袋の中身を確認すると、重量分の金額がきちんとそろって入っていた。


「確かに受け取った」


 背負っていた袋に、受け取った小袋を底の方に収めた。

 これでまた、当分金に困ることはないだろう。


 特に近頃は予想外の出費をしているので、アトイは内心、胸をなでおろした。

 

 元凶は隣で、パチパチとこぼれそうな大きな瞳を瞬かせている。

 

 ネロは手の脂が付かないように、重りを鑷子せっしで箱の中に戻しながら、


「何か新しく仕事受けていかないか?」

 

 とアトイに尋ねた。


「そうだな…」


 アトイは袋を背負いなおし、壁一面に貼られた、無数の紙へと目を向けていく。

 ロトルもつられて、特に目的もなく、キョロキョロと紙を眺めはじめた。


『ザガンの岬で多数の死体が見つかる。ウェンの喰い跡』

『カシイの森の中にてウェンが目撃される』

『エソンの森の中で死体。ウェンの喰い跡』


 他の紙にも同じように『死体』『喰い跡』『ウェン』などの単語が書かれた物騒な記事が書かれている。

 

 もう見慣れてしまったが、<ホロケウ>になりたての頃は面食らったものだ。


 隣に目を向けたが、ロトルは特に表情を変えることもなく、あっけらかんと壁の記事をながめていた。

 

 アトイは視線を記事へともどした。


( どうせなら、ワッカから近いところだとちょうどいい )


 顎に手を添え、アトイが熟考していると、ネロが急に真剣な声でアトイに問いかけてきた。


「アトイ……お前すぐこの街を出なきゃいけないのか?」

 

 添えた手をゆっくりと放し、アトイは首を振った。


「……いや、特に急いでワッカを出る予定はないが」


「そうか……」

 

 ネロはうつむきがちに言うか言うまいかしばらく悩んでいたが、やがて、意を決したように顔を上げた。


「実はお前に確かめてもらいたいことがあるんだ……」


 ネロは少しロトルに目配せしたが、アトイは話の続きを促した


「かまわないから話せ」


 了承したようにうなずくと、ネロはゆっくりと口を開き、低くかすれた声で話し始めた。


「最近、ワッカで小さな女の子だけが消えていくんだ……もう3人もいなくなってる。

 親は全員殺されて家の中に放置されていた。親の死体はあっても子供の死体はどこにもないんだ。

 どれも街の中心部から離れた場所で起きていて……住人達は今度こそ自分たちがって怯えてるよ」

 

 ネロは顔をしかめた。


「これだけでも十分痛ましいが、もっと最悪なのは中心部までこうなっちまうことだ。そうなったらおしまいだ……あっという間にワッカは死の街になっちまう。

 これは……そういう状況なんだと私は思う」

 

 ネロはアトイをまっすぐに見つめた。


「お前に、——お前だからこそ、この件を調べてもらいたい」


 アトイは黙りこんだが、やがて、唸るように口を開いた。


「俺は<ホロケウ>だ。それは<ホロケウ>の仕事じゃない」

 

 アトイがそういうと、ネロは首を横に振った。


「いや……あたしはウェンの仕業なんじゃないかと疑ってる」


 アトイはに落ちず、眉をひそめた。


「なぜだ?ウェンは無差別だ。特定の何かを狙うなんて真似はしない……お前もわかってるだろ」


「ああ、もちろんだ」


 ネロはゆっくりと大きく頷いた。


 一体、何を言いたいんだ?とアトイが目顔めがおで問いかけると、ネロは、


「まぁ、話を聞いてくれ」


 とアトイをなだめた。


「お前の言う通り、一見ウェンの仕業じゃないように見える。だから、<ホロケウ>に調査、討伐依頼は来てない……いくらあたしが訴えようともな」

 

 ネロは伏し目がちに弱弱しく笑ったが、すぐに、真顔に戻った。


「だけど、襲われた家の状態と、見せてもらった死体の傷を見ると、あたしにはとても人間の仕業に見えないんだ。

 すげぇ力で引っ張られたように腕はもげて、腹には向こう側が見えちまうような大きな穴が開いて、中の臓器はなくなってた。

 でも……獣に喰われたような傷はなかった」

 

 妙な話だ、とアトイも首を傾げた。

 

 ウェンは人間を喰う。喰うために人間を襲っているといってもいい。だから必ず喰った跡を残すはずなのだ。

 

 しかし、実際に見たわけじゃないが、ネロの言っていることが本当ならば、普通の人間にそんな大きな傷をつけることは不可能だろう。

 

 ウェンか、もしくはそれ以外の化け物か……

 

 アトイは隣にいるロトルをチラリと見下ろした。


「なぁ……あたしは嫌な予感がするんだ」


 ネロが重々しく口を開いた。


「あたしたちの知らないうちに何かが起こってる……一刻も早く確かめないと、ただでさえ最悪な今がもっと最悪になっちまうような気がするんだ」

 

 ネロはそう言うと、かげった瞳を伏せ、やがて、ぽつりとつぶやいた。



「いや……もしかするともう、取り返しのつかないことになっちまってるのかもしれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る