消えた娘たち
第8話 服屋のリリィ
部屋の窓からすがすがしい白い光が入り込むと、アトイはロトルをたたき起こした。
「お前の服を買いに行く」
下がり目をこすりながら、ロトルは眠たそうに、何度か瞬きをした。
ロトルは昨夜貸したアトイの服を着ていた。
肩の幅が合わないせいで、丸い襟元から細いとがった肩をのぞかせていた。
ただでさえ少ない服をこのままずっと奪われるのはたまったものじゃない。
一刻も早く服を与える必要があった。
意識のはっきりしていないロトルに今日の行程について手短に伝えると、アトイはさっさと支度を終え、袋を背負って立ち上がった。
ロトルも慌てて目を覚まし、急いで大してない支度を終えると、アトイの背を追った。
「あら?お出かけですか?」
カラカラと扉の木の鐘がなると、外から声をかけられた。
女将が宿の前の鉢植えに、柄杓で水をやっていたのだ。
鉢植えには名もわからない花が咲き乱れている。
女将は水桶を地面に置くと、前掛けで軽く手をぬぐった。
「鍵、お預かりしましょうか?」
アトイは頭巾の先を少し引っ張ると、小さく頷き、差し出された女将の
女将の手は水やりをしていたせいか、氷のように冷たかった。
女将は鍵を握り、懐にしまい込むと微笑んだ。
「お気をつけて」
アトイは軽く
ロトルはアトイの背を追いかけたが、一瞬思い出したように立ち止まり、ペコリと頭を下げると、再び小走りでアトイの後をついてきた。
途中露店で朝食をすまし、そう歩かないうちに目的の場所についた。
屋根からは服の絵が描かれた看板がつるされている。
窓から店の中を覗き込むと、衣服や筒状の色とりどりの生地が店内に飾られていた。
扉を開くと、窓を
澄んだ鐘の音とともに店の中に入ると、奥から
「いらっしゃいませ」
女性は目盛りの振られた、年季の入った長く細い帯を首にかけていた。
アトイがロトルを親指でさす。
「こいつの服を何着か
店主はアトイの外套を、
「それでは丈夫なものを」
とニコリと笑った。
アトイは軽く会釈すると、ロトルを置いて店を出ていった。
「それではお客様はこちらへ」
おろおろとアトイの後ろ姿を見送っていたロトルに店主は声をかけ、丁寧に店の中へと招きいれた。
案内されながら、様々な形の衣服にロトルが見とれていると、「さぁ、こちらに」と店の突き当たりから横に抜けた、さらに奥にある部屋へと案内された。
靴を脱いで上がるように言われたので、ロトルは
店主はじっと靴とロトルの素足を見て、「
しかし、靴に手をかけたところで、奥から再び鐘の音が響いた。
店主は曲げていた腰を伸ばすと、ロトルの奥の方に声をかけた。
「リリィ!」
やがて、ぱたぱたと軽い足音が近づくと、桃色の衣に身を包み、
店主は「この方のことお願いね」と、首にかけてあった測定器をリリィと呼ばれた女の子の首にかけた。
その様子をロトルが静かに見つめていると、
「この子、測るの上手なんです」
と、店主が女の子の頭に手を置いて笑った。
女の子はあどけなくも誇らしげな顔をして、はにかんだ。
そのリリィと呼ばれた女の子にいくつか指示を出すと、「お待たせしました!」と
「……リリィです。よろしくお願いします」
リリィは控えめにぺこんと短くお辞儀をすると、ロトルの傍により、
「もう少し奥に行ってもらってもいいですか……?」
とロトルの手をひいた。
ロトルは、先ほど首にかけてもらった帯を引きずるリリィと共に、暖簾の直ぐ近くまで歩き、そこで立ち止まった。
リリィは細長い帯を首から外し、手に取った。
「あの……これでお身体を測りますので……」
興味深そうにジッとながめるロトルに、リリィは恥ずかしそうにもじもじしながら、か細い声で言った。
「それでは……外套を脱いでもらえますか?」
帯を手に持ち上目遣いにリリィは頼んだが、ロトルはいっこうに、外套を脱ごうとしなかった。
それどころか、ギュッと頭巾の端をつかみ、身を隠すようにそれを深くかぶった。
アトイの言いつけを破りたくなかった。
ギュッと身を縮こませていたが、なかなか脱ごうとしないロトルに、オロオロとしだしたリリィが気の毒になり、観念してロトルはバサリと頭巾を下ろした。
静電気で頭巾に張り付いた髪を、手で払い落とす。
リリィはその様子を呆けたように眺めていたが、ハッと我に返るとどこかへ行ってしまった。
ロトルが脱いだ外套と刀を床にそっとおくと、丸椅子を抱えてリリィが帰ってきた。
背中側に丸椅子を置くと、リリィはその上に立ち、ロトルの肩甲骨のあたりにそっと手を添えた。
突然触られて驚き、ロトルが背中を跳ねさせると、触れていた手がパッと離された。
「あ、すみません……
リリィが焦りを含んだ声色で尋ねると、ロトルは頷いた。
やがて、探るように再び手が添えられ、肩、背筋、腕、脚と、リリィはてきぱきと帯をあてていった。
ロトルもできる限り動かないよう気を配りながら、大人しくリリィの指示に従った。
一通り測り終わったのか、リリィは丸椅子から降りると、ロトルの目の前に立った。
そしてロトルの姿を下から上までじっくり観察すると、
「ちょっと待っていてください」
といってリリィはつっかけを履いて、どこかへ行ってしまった。
ぼうっとリリィのことを壁に寄りかかりながら待っていたが、なかなか帰ってこないので、ロトルはそのままずるずると腰を下ろした。
床に置いた刀に手を伸ばして拾うと、ギュッとそれ抱えこみ、額を
しばらくそうして待っていると、リリィがなにやら、いくつか衣を腕に抱えて帰ってきた。
「ちょっとこれ着てみてください……」
リリィはかがんで腕を広げると、持ってきた衣を敷物の上に広げた。
下着と首元まで隠れる黒い袖のない肌着。腰から膝まで横に切り込みの入った黒い筒袴。
真っ黒な帯とそれを締める赤い帯締め。
そして、袖に朱いラクラ(
下着はロトル自身で身に着けると、リリィは再び丸椅子に立ち、持ってきた衣をロトルに着せていった。
そして、余った布を手繰り寄せると、腕につけた針刺しから針を抜き取り、身体に合うよう器用に針を刺していった。
針が肌を刺しそうで、ロトルは体をこわばらせたが、リリィはロトルの体を傷つけることなく、上手に布同士を針でつなぎ合わせていくので、次第に体の力を抜いていった。
調製を終え、リリィが椅子から降りると、ちょうど店主が様子を見に帰ってきた。
「あら、リリィ。お客さんの衣も選んで調整してくれたのかい?」
少し照れたように頬を赤らめ、リリィは小さく頷いた。
店主が微笑み、リリィの柔らかそうな麦藁色の髪をそっと撫でると、ロトルの衣を触り、最終確認を行った。
手を添え、時々衣の位置を調整しながら、下から上まで針の場所を確認していく。
肩に手を添えたところで、店主の手が止まった。
しげしげとロトルを見つめる。
やがて、店主は驚嘆の声を漏らした。
「あら……お客さんの髪真っ白なんですねぇ!いろんなお客さんを見てるけど、お客さんのような髪は初めて見ました!」
ロトルはきまり悪そうに首をすくめた。
その様子を見たリリィが、店主の裾をつまみ、軽く引っ張った。
「お母さん、私ちゃんとできてた?」
店主はハッとしたように我に返ると、
「ああ、ちゃんとできているよ」
とリリィの頭を優しくなでた。
そして、すっと真顔に戻ると、店主はロトルの肩に手を添えた。
「
店主の手も借りながらロトルはゆっくりと衣を脱いでいった。
そして、衣を全て脱ぎ終わり、ロトルが下着姿になると、店主は衣をもってどこかへ行ってしまった。
リリィが寒くないようにと毛布を貸してくれたので、それを羽織り、再び刀を抱えてゆっくりと床に座った。
ふぅっと長く息を大きくはく。
体を色々と触られたせいか、肩が張り、少し体が重かった。
リリィはしばらく気まずそうにソワソワとしていたが、
「あの……」
とささやくようにつぶやき、ロトルの前に腰をおろした。
「私が勝手に衣のお色を見繕ってしまったんですが、大丈夫でしたか……?すぐにご
リリィにそう尋ねられ、ロトルはアトイの姿を瞼の裏に映した。
髪と同じ黒い衣に身を包み込んだアトイ。
その隣に、あの白い衣を着た自分が立った姿は、不思議となじみ、想像に
ロトルは微笑んだ。
「あの色がよかった……ありがとう」
ぽかんと口を開けていたが、やがて、リリィは花が開いたように嬉しそうに笑った。
そして、ぴょんと年相応に跳ね上がると、
「他にもお持ちしますね!」
と、つっかけを履いてまたどこかへ行ってしまった。
しばらくすると、再び腕いっぱいに衣をもち、ロトルの目の前にそれを広げた。
ロトルはそれを覗き込むと、かがみこみ、リリィと頭を合わせるようにして、自分に似合う衣をその中から選んでいった。
( なんて綺麗な髪……それと瞳もリンゴみたいに紅いのね )
膝を床にこすりながら、リリィ目の前の客の髪を、上目で盗み見た。
同じ寺小屋の子だってこんな髪をもった子なんていない。
自分一人だけ秘密を手に入れたように、リリィは少し胸がはずんだ。
( 私のくすんだ麦藁帽子みたいな髪の毛とは大違い )
垂れた自分の御下げ髪をつまんだ。
寺小屋の男の子は嫌いだ。
子供っぽいし、いつも私のことを『
一瞬だけ気持ちが沈んだが、すぐに元気を取り戻した。
何故なら今日は特別な日になったからだ。
初めて自分一人で採寸し、針を入れてお客さんの衣まで選ぶことができた。
いつもてきぱきと仕事をこなし、店を切り盛りする母の姿が誇らしかった。
自分も少しだけその姿に近づくことが出来たような気がして、思わずニンマリとしてしまう。
それも、自分の初めての客となったのは、おとぎ話の住人のようなこの人なのだ。
ちらりと客の脇にあるものに目をやった。
自分の身長と同じくらい長い刀が、そこに横たわっていた。
それを眺めながら、リリィはぼんやりと、ある物語に思いをはせた。
——記憶がないくらい小さな頃に、誰かから聞いた物語だ。
その物語には、まさにこんな美しい白髪をなびかせた人が登場するのだ。
( もしかして私は今、物語の住人と会っているのかも )
そう思うと、どんどんと心ノ臓が胸を打ちはじめ、リリィは小さな薄い唇をギュッと堅く結んだ。
そうしないと、興奮で声を漏らしてしまいそうだったのだ。
( お母さんが、たぶんこの人は旅人さんだって言ってた )
この人はこれからどんな旅に出るんだろう。
あの物語のように、美しい旅をするのだろうか?
そこに自分が立っているなんて、何て誇らしいことなんだろう
まだ幼い仕立て屋は、その小さな手をギュッと力強く握った。
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