第10話 白

「……わかった、俺も少し気になる。調べさせてもらう」


 アトイがうなずくと、「本当か!?」とネロは身を乗り出し、顔を上気させた。


「お前が調べてくれたらきっとすぐに真実がわかる……ありがとう」


 安心したように礼を言うネロに、アトイは決まり悪そうに目を伏せた。

 


 別にワッカをうれいて頼みを聞いたわけではなかった。

 それどころか、話を詳しく聞いたとき、喜悦きえつ小波さざなみが胸の中でかすかに息を漏らしていた。

 

 ようやく何かに近づけそうな、そんな手掛かりを見つけたような気がしていた。それがいったい何なのかはわからない。

 

 それでも、闇に沈んだ部屋に一瞬だけ灯がついたような、そんな感覚にとらわれて仕方なかった。

 


 ネロに対する気まずさと、歓喜に沸き立つ脚から、一刻も早くこの場から去ってしまいたかった。


「襲われた家屋の場所を教えてくれないか」


 アトイが尋ねると、ネロはかがんで、帳場台からワッカの地図を取り出すと、迷いのない手でサッと三か所丸を付け、その地図をアトイに向けた。

 

 覗き込むと、確かにどの円も、中心部から離れた場所にポツンポツンと刻まれていた。


「……あえて近い家を狙っていないように見えるな」


 ネロは力強く頷いた。


「ああ、あたしもそう感じた。どこか意図的なものを感じるよな」


 アトイはしばらく地図を眺めると、その地図を小さく折りたたみふところにしまった。

 

 ネロに背を向け、扉に手を添えたとき、その背を引き留めるように声がかけられた。


「なぁ!」


 アトイは顔だけ振り返った。


「あたしの飯、食っていかないか」


 親指で店の奥を指すネロに、アトイはため息をついた。

 こうして声を掛けられるのも、もう何度目だろうか。

 

 いつもそうしているようにその声を無視し、店を出ようとすると、ロトルが後ろ髪をひかれるように店の奥とアトイを交互にちらちら見ながらついてきていた。


 そういえば、もうそろそろ昼餉ひるげの時間だ。


「……お前だけ食ってけ」

 

 それだけ言うとアトイは店を後にした。




 アトイの連れは、アトイを追いかけるべきか言う通りにすべきかわからずオロオロしていた。


「おいてかれちゃったね」

 

 ネロは短くため息をついた。こうやって断られるのも、もう何度目だろうか。


( あの根暗がいつかこの店で私の飯を食べてくれる日はくるんだろうかねぇ…… )


 アトイにこの店で料理をふるまうことが、ネロが死ぬまでにしたいことの一つだった。

 

 もし、その日が来たら、たとえアトイが食べきれないと文句を言っても、机いっぱいに自慢の料理をふるまうつもりだ。


「お連れさんだけでも食べていってよ」

 

 切なさを込めて笑うと、ネロはアトイの連れを奥の自分の酒場へと案内した。

 


 まだ日が高いにも関わらず、店の中では客たちが下品に笑い、樽状の酒器を打ち鳴らしていた。

 

 まったく昼から飲んでちゃんと働いているのかね、と思いつつ、店にお金を落としていってくれるので、特に文句もなかった。

 

 店の端から端まで続く長机を、客たちは派手に汚しながら自由に行き来し、どこもかしこも木が鈍くぶつかり会う音であふれている。

 

 なかなかの繁盛っぷりに、ネロは満足したようにうなずいた。

 

 その様子をアトイの連れが興味深そうに観察しながら、後をついてきていた。


「ここ座って」


 席に案内すると、うろうろさせていた目をネロに定め、アトイの連れはうなずいて、おとなしく席に座った。

 こうゆう店は初めてなのか、少しソワソワしているようだ。


「それじゃあ、今からうまいもん食わせてやっから。待ってな」


 ネロは片目をつぶると厨房へと向かった。



 しばらく待っていると、「おまたせ」と言って女性が料理をもって戻ってきた。


 アトイはそっけない態度をとりつつも、この女性には親しそうにしていた。

 

 古くからこの女性とアトイは知り合いなのだろか?

 

 そんなことをぼんやり思っていたロトルの目の前に、どんと料理がおかれた。

 表面が網目状の大皿いっぱいに広がった、丸い食べ物。

 

 表面はつやつやに輝き、こんがりと焼けた生地は芳ばしい香りがして、口に含んだらさくさくと口当たりがよさそうだ。

 

 それに加えて、ふわりと出汁が香る汁物も横に置かれた。


 女性がロトルに手を向ける。


「ほい、召し上がれ」

 

 ロトルはさっそく、一口大に切られた未知の食べ物を手でつかんだ。

 指先で薄い生地がパリパリと気持ちのいい音ではじける。


 切り口を見ると、薄い生地が何層にも重なり、中にはかれた肉がつまっていた。

 

 あっと、口を限界まで広げ、ロトルは口いっぱいにその芳ばしい食べ物を頬張った。

 

 口の中でサクサクとした生地と、素材の味を壊さない絶妙に味付けされた肉とが混ざり合い、舌の上で芳醇に広がる。

 

 五感全てを使い、恍惚こうこつと料理を頬張るロトルの様子を、いつの間にか向かいに座っていた女性が、頬杖をついて幸せそうに見つめていた。


「気に入ってくれたようでよかった」


 ロトルは自分が食べている、頬が落ちるほどおいしいこの料理が一体何なのか気になった。


「これ、なんてご飯……ですか?」

 

 咀嚼そしゃくしながら首をかしげるロトルに、女性は驚いたように目を丸くしたが、すぐに名前を教えてくれた。


「それはファカ(羊肉のミートパイ)だよ。すごくおいしいだろ?」

 

 ロトルが力強くうなずくと、女性は、


「私の得意料理なんだ」


 とニカっと白い歯を見せた。


 「ファカは伝統的な家庭料理だ。小麦をひいて粉にしたものと牛酪ぎゅうらく(バター)を練って、それを薄く引き伸ばしたら、いくつも重ねて生地にするんだ。

 その中に好きに味付けした羊肉をつめて、生地で網目状に蓋をすればファカの完成!けっこう手間がかかってるだろ?だから愛情のつまった料理なのさ」

 

 ネロはそう言うと、湯気が漂う汁物を指さした。


「ちなみに、その汁物はコタン(魚介で出汁をとった味噌汁)。

 魚でとった出汁に発酵させた大豆を溶かして、あとは好きな具材を入れるんだ。ご飯には欠かせないものだね」

 

 ロトルはコクコクとうなずきながら、教えてもらった名前をしっかりと頭に刻み込んだ。

 空っぽの自分に、少しずつだが知識がつまっていくことが嬉しかった。

 

 女性は笑いながら、ロトルに穏やかに尋ねた。


「なぁ、あんたの名を教えてくれないか?」

 

 口の中の塊を飲み込むと、ロトルは小さく、


「ロトルです」


 とつぶやいた。


 女性はぱちぱちと何度か瞬きし、やがて微笑んで、ゆっくりと頷いた。


「<ロトル>か……いい名じゃないか」

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