第11話 忌み子

「私はネロっていうんだ。<ホロケウ>の受付と、この酒場の主人を兼任してる」

 

 目の前に女性の手が差し出された。傷はあるが、細い曲線が美しい女性の手だった。


 差し出された手をどうすればいいのか悩みつつ、そろそろとロトルも手をだした。

 

 突然その手をグッとつかまれ、驚いて漏らしそうになった声をこらえると、その手を上下に振られた。

 ——どうやらこれがあいさつの儀式らしい。

 

 自然とお互いに手を離すと、ネロは身を乗り出し、ロトルに顔を近づけた。


「で、なんでアトイと一緒にいるんだ!?」


 ネロの圧の強さにのけぞりながら、ロトルはつい一週間ほど前に起こった出来事を話した。


 アトイの夕餉ゆうげを盗もうとしたこと。

 アトイがその夕餉を恵んでくれたこと。

 一緒に来いと言ってくれたこと。


 ——ワッカにくるまでの出来事を、できる限り細かく、伝えられる範囲でネロに伝えた。

 

 しかし、記憶がないことに関してだけは、決して口に出さなかった。

 

 理由は簡単だった。

 エピカを知らないとアトイに言ったとき、アトイの空気が明らかに変わったからだ。

 

 ワッカの街までアトイと共に歩きながら、漠然ばくぜんと、あれは言ってはいけないことだったのだと、ロトルは後悔していた。

 

 アトイは自分の面倒を見てくれるが、ふとした時、自分に向けるその視線に鋭く、冷たいものを潜ませる。

 

 その視線を向けられるたびに、ロトルの胸はキュッと締め付けられ、紙で切ってしまった傷のように、小さくはあるが、鋭い、刺すような痛みを覚えていた。

 

 あの冷徹な視線を向けられるたびに、確かに少しずつ、ロトルは傷ついていたのだ。



 話を終えると、ロトルは黙り込み、顔を曇らせた。


(しまったなぁ)

 

 ネロはガシガシと頭をかいた。

 

 好奇心がうずいて、つい尋ねてしまったが、もしかするとロトルに何か辛い記憶を思い出させてしまったのかもしれない。


( 思ったことをすぐ口にしてしまうのは、あたしの悪い癖だな )

 

 これ以上、探るような真似はよした方がいいな、とネロは席に深く座りなおした。


 それにしても不思議な子だ。


 普通の暮らしをしていれば、誰しも一度は口にしているファカやコタンを知らないのもそうだが……

 

 ちらっと、ロトルの顔を盗み見た。


 まだ幼さの残る顔つきからして、十代後半くらいだろう。


 頭巾の隙間から白い髪の束が糸のように垂れ、伏せた瞳は血のように鮮やかだった。


 いまだかつて、こんな容姿の人間をネロは見たことがなかった。


 頭巾をとった姿は、おそらくこの世の人間とは思えないほど神秘的なのだろう。

 

 人嫌いのアトイがこの子と共にいることにひどく驚いたが、ロトルの容姿に気が付いたとき、何となくに落ちてしまった。


 ( まさか、出会いがそんな最近だとは思わなかったけどな )


 一週間前か……

 

 ロトルはアトイをずいぶんと信頼しているようだ。

 それに話を聞く限り、アトイもロトルを邪険にはしていない。

 

 ネロが思いを巡らせていると、突然肩に衝撃が走り、太い腕が回されていた。酔っぱらいが絡んできたのだ。


「なぁ!ネロ!」


 振り向くと、眉毛が太く濃い大柄の男が顔を真っ赤にし、酒臭い息を吐いていた。

 常連のジルだ。

 

 ジルは<ホロケウ>だが、放浪しているアトイとは異なり、ワッカに定住している。

 だから仕事はいつもネロの店で受けていた。


「さっきの話、聞こえちまってたんだがよぉ、アトイっていやぁ<忌み子イオ・ラマン>だろ?」


 いつの間にか気を取り直し、コタンをすすっていたロトルは、ジルの言葉にピクリと椀をもつ手を震わせた。


 ジルは酒臭い息をまき散らしながら、意気揚々と話し始めた。


「<ホロケウ>でも有名だぜぇ、不気味な真っ黒い髪に真っ黒い目をもった<忌み子イオ・ラマン>って。呪われてるってなぁ!あんな奴と話して、ネロも呪われたんじゃねぇの?」


 ネロは鋭くジルを睨みつけた。

 

 ぐつぐつと腹の底から、煮立った嫌悪感が沸き立つ。

 それを上から蓋で抑えつけながら、「ジル」と低く唸った。

 

 しかし、酔っぱらいはかまわず濁声だみで話し続けた。


「なんかでっかい結晶もってきてたけどよぉ、噂の呪われた力とかどうせ使ったんだろぅ。不気味だよなぁ、火のないところに煙はなんちゃら……実際、俺の知り合いもあいつが全種類の<エピカ>を使うところを見たってさぁ。そんな、いるはずねぇのになぁ」


 ガハハとジルは下品に笑い、手の酒をあおった。

 

 ネロは体を震わせながら、「ジル」と、再びどすのきいた声でつぶやいた。


「あいつ、何人殺したんだ?」


 ネロは机を強く殴り立ち上がった。


 もうこれ以上は我慢ならなかった。


「ジル!」

 

 ガタンと椅子が床に倒れる音が、静まりかえった店内でやけに響いた。

 

 腹の底からうような、静かな熱のない声で、ネロはジルに問いかける。


「お前はあいつの何を知ってるんだ?……言ってみろ」

 

 ジルは、ネロの凍てついた声に息をのんだ。


 酔いもさめ、凄まじい殺気に思わず後退あとずさる。


 そして、ネロがただの酒場の主人ではないことに、今更ながら思い出した。

 ——ネロもまた<ホロケウ>の一人なのだと。


 ぴりぴりと肌を鋭く刺すネロの空気に、ジルはただただ圧倒されていた。


「あいつがでかい結晶をとってこれるのはあいつの実力だ……お前は昼間からここで飲んで、店にとってはいい客だ」

 

 ネロはジルの手元を指さした。酒器の中には並々と酒が入っている。


「……だけどな、悔しかったらその酒を置いて、さっさとウェンを狩りに行ってきたらどうだ?」


 ネロは静かに低く、たしなめるようにジルに言い放った。

 

 ジルは格の違いを感じさせるその殺気に体を震わせ、微動さえ起こさなかったが、次第に顔を真っ赤にすると、乱暴に酒器を机にたたきつけた。

 中の酒が放物線上に飛び散り、机を汚した。

 

 そして、そのまま憤然ふんぜんとしてその場を立ち去ると、乱暴に扉を閉め、店を出ていってしまった。


 店はしばらく二人のやり取りに聞き耳をたてるように静まり返っていたが、次第に何もなかったかのように再びにぎわい始めた。

 

 ネロはチっと舌打ちをした。


「あいつ……金も払わずに」


 倒れた椅子を元に戻すと、向かいではロトルが目をあふれんばかりに見開いてネロを見ていた。

 

 ネロは天井を振り仰ぎ、ため息をついた。

 ——頭に血が上って、すっかりロトルがいることを忘れていたのだ。


「ごめんよ……変なもの見せたな」

 

 ネロは謝りながら椅子をひき、ロトルの向かいに座りなおした。

 

 ロトルはふるふると細かく首を振ると、浮かない顔で何か言いたげにネロをうかがったが、やがて、囁くように尋ねた。


「……イオ・ラマンって?」


 ネロは閉口し、思わず顔を覆った。


 この子には、その言葉を言ってほしくはなかった。



 <忌み子イオ・ラマン>は<言ノ葉ノ国レウ・レリア>に古くから伝わる説話せつわに登場する、悪しき魂の名だ。

 

 人として生まれ落ちたが、その穢れた心から邪神に魅入られ、悪しき魂となり、地上に災いをもたらす魔として描かれている。

 

 <ホロケウ>たちは揶揄やゆするように、アトイのことを<忌み子イオ・ラマン>と呼んでいた。

 

 アトイの稀有けうな容姿と力、そして嫉妬の念がそう呼ばせていた。

 

 ネロはそれが悔しくて仕方なかった。


 アトイの力は、賞賛されるべきものであり、決して揶揄されるようなものではないはずなのだ。

 

 しかし、アトイの容姿がそれを許さない。

 

 それどころか、『人殺し』などと、いわれのない噂すらまかり通っている。

 

 人と大きな壁を隔て、己はその先に踏み入ってはならぬと、まるで己に言い聞かせるように生きるアトイを見るたびに、ネロの心ノ臓はじ切れそうになるのだ。



 しかし、ロトルの顔を見て、ネロは抱えていた頭をゆっくりともたげた。

 

 ロトルの目には、確かに、怒りの色が揺らめいていた。

 

 会話の内容はわからずとも、ジルがアトイのことをそしったことは理解したのだろう。

 

 静かに燃え、——けれど最も熱を、その身に宿した青い炎のように、ロトルは慨然がいぜんと目を揺らめかせていた。

 

 ロトルのその姿に、ネロの視界が歓喜でかすんだ。


( ああ……ようやく……)


 ようやくだ。

 

 ネロは震える息をこらえるように吐き出し、胸の奥底に残ったヘドロのようなものを徐々に取り除いていった。

 

 耳は蓋でふさがれたように薄い膜がはり、にぎわっていたはずの店内の蛮声ばんせいは、ぼんやりとしか聞こえなくなっていた。


( そうか、自分はこんなにもこの時を待っていたのか…… )


 そしてこの時、唐突に理解した。


 きっと自分は、アトイをずっと母のような気持ちで見守っていたのだろう。

 

 ようやく、ありのまま、このアトイを憂う心の内を、素直に見せれる相手に出会えた。


 なぜこれほどまでに時間がかかってしまったのだろう。

 



 そう思うと、この地に深く根をはった『差別』というものが徐々に見えてきた。


 


 視界が揺れ、滲み始めた。


 ネロは天井を仰ぎ、瞳を濡らしたものが流れ落ちぬよう、必死に瞬きをした。

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