第26話 祝詞

 雪獣せつじゅうと<獣ノ番人ヴァン・カーイ>を途中で回収した一行は、祝詞のりとをささげに、<神ノ泉ウ・ラ>へと向かっていた。


 <神ノ泉ウ・ラ>までは、さすが歩き慣れているのか、手がほとんど加えられていない入り組んだ林の中でも、言ノ葉ノ王レウ・シュマリの足取りに迷いはなかった。


 ネロは言ノ葉ノ王レウ・シュマリの数歩後ろを歩きながら、視界に揺れる美しい金色を見つめていた。

 

 あの惨劇さんげきについて、出来得る限り、事細かく話したが、伝えていないことがあった。


 ——それはロトルのことだ。

 

 ロトルの存在については一切話していない。

 

 二匹のウェンも、全てネロ達<ホロケウ>が倒したこととし、言ノ葉ノ王レウ・シュマリにもそう伝えた。

 

 それは、何も手柄を独占したかったわけではない。


 ネロは、言ノ葉ノ王レウ・シュマリを守るように、ぴったりと一歩後ろを歩く、黒い影を一瞥いちべつした。

 

 雪原にむき出した土のように、手甲や足袋も含めて全身を黒い衣で包み、顔には動物をかたどった面をつけていた。


 狐や狼、犬に兎など、ひな型にした動物は様々だったが、どれもうるしで黒く塗られ、添えるように金や赤、白色の染料で特徴的な化粧が施されている。


 彼らは<刀と盾シ・カイン>。

 王直属の護衛人だ。


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリの影となり、時にはその命をもって主である王を護る。

 そのためだけに生きる武人。

 その生の終わりは安らかなものではなく、血と痛みに満ちた終わりだ。


 彼らの出自は、刀と盾シ・カインとなったその瞬間に全て消え去る。

 親も友人も彼ら自身も……彼らが生きてきた軌跡は全て無になり、唯一あるのは、王を護るという義務のみ。

 

 言ノ葉ノ王レウ・シュマリはウェンに狙われやすいと聞く。


 すべての<エピカ>の根源とされる<カルト>を紡げるのは、唯一言ノ葉ノ王レウ・シュマリのみである。

 その全てを照らす光に、ウェンも引き寄せられるかもしれない。

 

 言ノ葉ノ王レウ・シュマリを襲う脅威はウェンだけではない。

 信じがたいことではあるが、人もまたそうである。


 この世には、言ノ葉ノ王レウ・シュマリしいそうとする者が少なくない数いる。


 そのような輩は<狂人チュカ・エネ>と呼ばれた。


 貧しい出自が多い<狂人チュカ・エネ>は、自らの運命を嘆き、呪い、そして憎しみの矛先に言ノ葉ノ王レウ・シュマリを選んだ。


 彼らはこの世に貧しき者が多いのは、権力が言ノ葉ノ王レウ・シュマリに集中しているせいだと説く。

 言ノ葉ノ王レウ・シュマリが自分たちのような薄暗いものにふたをし、自らは<光ノ都カルト・ノア>という安寧の地に、真綿にくるまれるようにして暮らしているのはおかしいと。


 そうして、<狂人チュカ・エネ>はある一つの答えを作り出した。

 

 それは、ウェンが貧しさや苦しさから死んでいった人々の怨念おんねんであるというものだ。だから、言ノ葉ノ王レウ・シュマリを付け狙うのだと。

 

 ネロは彼らがそう考えてしまうのもわかるような気がしていた。

 孤児である自分も、育ての親であるグレゴに拾われなければ、彼らのようになっていたかもしれないのだ。

 

 実際に、神官たちの中には己の権力をひけらかし、臣民たちから搾取さくしゅする者もいる。

 

 そこはやはりまつりごと

 生臭さを完全に拭い去ることはできないのだろう。

 

 しかし、ネロはアトイのことを思うと、<狂人チュカ・エネ>のやり方は、何処まで行ってもやはり見当違いなのだと思わずにはいられない。

 

 この世には、生まれたそのときから信じられないような厄災を背負っている者もいるのだ。

 しかし、その者は、ただ己が何者であるのか知りたいと、その切なる願いから旅を続けている。

 

 <刀と盾シ・カイン>は、そういった数々の脅威から言ノ葉ノ王レウ・シュマリを護るためだけに存在を許された者たちだ。


 ロトルのことを話せば、どんな手を使ってでも、ロトルは確実に<刀と盾シ・カイン>として、言ノ葉ノ王レウ・シュマリに献上されることとなるだろう。

 

 大地を照らす、まばゆい神聖な光の影に、そういった芯まで凍り付かせるような冷たいものが潜んでいることを、ネロはわかっていた。

 

 あの純粋な瞳を濁したくはない。


 ロトルのためにも、アトイのためにも……


「何度来ようとも、ここの美しさは変わらないのですね」


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリの感嘆の声に、ネロの意識がぐいっと引き戻された。

 いつの間にか目的地に着いていたようだ。

 

「……ええ、ここはワッカが誇る穢れなき泉ですから」


 無理やり笑みを浮かべたネロの言葉に、言ノ葉ノ王レウ・シュマリは大きく頷いた。

 

 薄い雲が流れ、隠れていた太陽が顔をだすと、頭を撫でるような温かい陽光が泉に落ちた。


 柔らかい風が頬をかすめると、泉の周りに咲いた花々が一斉に歌い始め、弧を描いた波紋が光の粒をはじいた。


 <神ノ泉ウ・ラ>のなんと美しいことか……

 

 言ノ葉ノ王レウ・シュマリは穏やかにぐ泉を、まぶしそうに目を細めながら見つめていた。


 やがて、ゆっくり後ろを振り返ると、綺麗に整列する神官たちに向かって、天へと大きく腕を広げた。


 「さぁ、祝詞のりとをささげましょう!」


 高らかに声をあげた言ノ葉ノ王レウ・シュマリに、神官たちは一斉に頭を下げた。


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリは再び泉へ向き直ると、腰から扇を抜き取り、泉を覆うように開いた。


 そして、厳かな鳳笙ほうしょうの音が透き通るように伸びると、それが合図かのように、鈴と金色の扇を手にした巫女たちが泉へと、ゆっくりと歩きだした。


 横笛のかすれた和音が音を紡ぎだし、巫女たちは一斉に神楽を舞い始めた。


 しゃんしゃん……と清白な鈴の音にのせるように、言ノ葉ノ王レウ・シュマリは混じりけのない声で祝詞をささげた。

 

 この世の穢れや災厄を払う祝詞だ。


 ネロはわずかな呼吸をしながら、この美しく清らかな儀式を見つめていた。

 膜を張ったように、澄んだ声と音が遠くから聞こえる。


 自分の体が宙に浮き、足先から溶けていくような錯覚を覚えた。

 意識だけがぼつんとここに留まっている。


( いつかこの祝詞が、本当に神のもとに届けばいい…… )


 そして、神が願いを聞きとげ、ウェンによる惨禍さんかがいっさいなくなればいい。

 

 そう願い、もう、わからなくなった瞼を、ネロはそっと閉じた。






 林に落ちる陰にまぎれ、アトイもまた祝詞をささげる言ノ葉ノ王レウ・シュマリの姿を見ていた。

 

 金色の長髪があふれんばかりの光を受け、美しく輝いている。

 

 こうして祝詞をささげる儀式をみるのは初めてだった。


 透き通るように木霊する声を聴きながら、アトイは太い木の幹に手を添え、隣に立つロトルに目を向けた。


 黒い頭巾に隠れ、表情は上からだとよく見えないが、祝詞の儀式に見入っていることは感じられる。


 アトイの裾を掴むロトルの右腕に、もう傷はない。

 破れた衣も縫ってもらったようだ。


 ネロからロトルが右腕を負傷していると聞き、宿に帰ってロトルの傷を<ユグレ>で治療しようとしたが、傷にはもう薄っすらと瘡蓋かさぶたが張っていた。


 傷から手先にかけて、パリパリとした赤黒い血の膜がびっしりと腕に張り付いていたので、それなりに深い傷だったのだろう。


 しかし、アトイが傷を見せろと言った時も、本人はあっけらかんとしており、そういえばと、アトイに木の枝を渡すように己の右腕を差し出した。


 傷の治りの早さもそうだが、痛みに対する鈍さにも目を見張るものがある。


( ウェンを刀で切る、か…… )


 ロトルの腕を見て、改めてあの時の光景を思い出した。


 あの後、ロトルに頼んで刀を借り、それを手にもってよく観察してみた。


 反りのある大きな太刀で、背筋をぞわつかせるような妖艶ようえんな輝きを放つが、すらりとしたその見た目からは想像がつかないほど、確かな重量があった。

 あの刀を振り回すには、相当の筋力が必要だろう。  


 しかし、長い時をかけて観察してわかったのは、おそらく名刀であるということだけで、特に奇妙なものは見つからなかった。

 <エピカ>が込められている様子もない。


 ネロはロトルの姿が見えなくなった後、その場にいた<ホロケウ>たちに、今見た光景は口にせず、心に留めておくように頼んだ。


 ウェンは物理的に倒せる、という流言がはやるのを避けたい気持ちもあったと思うが、やはり一番は、ロトルのことを大事にしたくない気持ちがあったのだろう。


 意外にも<ホロケウ>たちはあっさりと頷いた。

 実際に己の目に映った異様な光景に、<ホロケウ>たちも何か思うところがあったのかもしれない。



 まるで雪が解けていくかのように、ロトルの異質さが徐々に明らかとなっていく。



 異質と言えば、街を襲ったウェンもそうである。ウェンが複数現れたという話は聞いたことがない。

 

 そして、やはりあの出来事と、——娘たちが消えたことと無関係と考えるのは、無理があるだろう。


 体の底から、自分でもよくわからない震えが湧いて出てくる。


 耳にささやき声がまとわりついていた。

 お前は今、岐路に立っているのだと。お前の運命を変える、大きな曲がり角に立っているのだと。


 気がつけば、ぞろぞろと神官たちが林の方へと向かってきていた。

 祝詞をささげ終わったのだろう。


「……行くぞ」


 隣で呆けたように立つロトルに声をかける。

 しかし、ロトルはアトイの袖をつかんだまま動こうとしなかった。


 訝しんでロトルの視線を辿ると、ロトルはじっと言ノ葉ノ王レウ・シュマリのことを見つめていた。


「おい」


 再びアトイが声をかけると、ロトルは目が覚めたようにアトイを見上げた。


「行くぞ」


 アトイがそう言うと、ロトルはこくんと頷き、そっと掴んでいた裾を離した。






 街へと踵を返したアトイの背を追いながら、ロトルは後ろ髪を引かれるように、ちらりと振り向いた。


 目に映るのは、風になびく黄金の髪……

 

( なんだろう……? )


 ロトルは小首を傾げた。

 あの髪を見つめていると、言いようのない懐かしさが胸にこみあげてくる。

 

 しかし、いったい何が埋もれているのかと、退けても掻き退けても、とうとうその正体を見つけることは叶わなかった。


 ロトルは再びアトイに向き直った。

 胸に淀んだその感情には気が付かないふりをした。


 脳裏に少しだけ色が灯る。


 どこか遠い記憶の彼方で、さらさらと花びらと共に風になびく、あの黄金が見えた気がした。

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