第24話 言ノ葉ノ王

 あくびが出るような、穏やかな春光とは対照的に、ネロの心は浮足立っていた。


 今日は、ワッカへ言ノ葉ノ王レウ・シュマリ行幸ぎょうこうが行われる日だ。


 先週、突然、行幸のおふれが街に出され、その知らせにワッカ中が大騒ぎになった。


 街の花屋は沿道で言ノ葉ノ王レウ・シュマリを出迎える人々のために、至る所から白い花を搔き集め、走り回っていた。


 <春ノ訪れサイ・タリ>に向けて進められていたぼんぼりの設置作業も、言ノ葉ノ王レウ・シュマリに是非ご覧になっていただこうと早急に進められ、御渡りになる道にはすでにぼんぼりが全て敷かれている。


 ネロもまた、行幸に向け、いつもより畏まった衣に身を包んでいた。

 真っ白な礼服だ。


 礼服などそうそう着る機会などないため、箪笥たんすの奥底にしまってあったが、汗をかきながら引っ張り出し、今日のために火熨斗ひのししわを伸ばしておいたのだ。


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリと対面することに、ネロは緊張で口から心臓が飛び出そうだった。


 ウロウロと歩き回りながら、言ノ葉ノ王レウ・シュマリに捧げる感謝の言葉を繰り返し頭の中で反芻はんすうした。

 噛むことなど絶対に許されない。


 おそらく言ノ葉ノ王レウ・シュマリとの対面が叶った人物など、数えるほどしかいないだろう。


 神聖な言ノ葉ノ王レウ・シュマリは<光ノ都カルト・ノア>から滅多めったに出ることはない。

 下界である<言ノ葉ノ国レウ・レリア>にあまり長く降りすぎると、ぎょくたい体がけがれてしまうからだ。


 <光ノ都カルト・ノア>から一番近くに位置するワッカですら、<神ノ泉ウ・ラ>に祝詞のりとをささげに、年に一度だけそのお姿を現す。

 それも、ネロたち一般人は遠くから眺めることしか許されていない。


 この中途半端な時期に行幸が行われるのも、ひとえにあの凄絶せいぜつな出来事による。


 街の中で二匹のウェンが暴れまわり、多くの死人を出したことが御耳に届いたのだろう。今回の行幸は言ノ葉ノ王レウ・シュマリたっての希望だそうだ。


 ネロがワッカの領主を差し置いて、言ノ葉ノ王レウ・シュマリとの対面が叶ったのも、皮肉にもその出来事のおかげである。


 ネロは当事者として、そしてワッカの<ホロケウ>を代表して、直々に言ノ葉ノ王レウ・シュマリに感謝の意を述べ、行幸の間、御傍おそばに立つことを許されたのだ。


 非常におそれ多いことだが、言ノ葉ノ王レウ・シュマリがワッカの領主より是非ネロに、とおっしゃったそうだ。

 

 領主がネロに放った、ねたましさからくる嫌味を思い出し、ネロはわずかに口の端を上げた。


 大変な大役をおおせつかることとなったが、ネロは行幸を素直に喜んだ。


 あの出来事から、もうすぐ<春ノ訪れサイ・タリ>が開かれるというのに、ワッカの街は火が消えたように静まりかえっていた。


 皆、床に転がる死体を目にし、いつ来るかもしれないウェンに怯え、必要最低限以外は家に引きこもるようになっていた。


 また、噂が広まるのも早いもので、ワッカへの人の出入りも減り、物流も途絶えがちになっている。


 このままではウェンによってではなく、経済的にワッカの街が死んでしまう。


 そう、うれいているときに、今回の行幸のおふれが出たのだ。


 おかげで再びワッカに活気が戻りつつあった。

 

 そうこうしているうちに、沿道に人だかりができ始めた。


 皆、白い礼服で身を固め、手には白い花を持っている。

 間近で言ノ葉ノ王レウ・シュマリ玉顔ぎょくがんを見られることに興奮しているようで、ざわめき立っていた。


 約束の時間はすぐにやってきた。


 遠くに神々しく天を舞う白龍の姿が見えた。言ノ葉ノ王レウ・シュマリを背にのせた龍だ。


 皆それを見ると、一斉に口を閉じ、片膝を地についた。

 そして、花を持った手を組み、頭頂につけると、静かにこうべを垂れた。

 ——<言ノ葉ノ国レウ・レリア>における最敬礼だ。

 

 ぶわりと体が吹き飛ばされそうな暴風が吹き荒び、ネロの髪や衣がはためいた。

 

 猛烈な風と共に、ばさっばさっと、翼が風をこする質量のある音が聞こえ、やがて、とっと優しい音がすると吹き込んでいた風がやんだ。


 ちらりと上目で盗み見ると、銀色のたてがみと翼をもった二匹の獅子ししが、柔らかそうなまるい足をワッカの地に着けていた。

 

( これが、雪獣せつじゅう……!)

 

 輝く金色の鎧に身を包んだ雪獣せつじゅうは、針のように輝くたてがみと巨大な翼を風にそよがせ、その精悍せいかんな顔で威風堂々と空を見上げていた。


 ぴゅーい……と指笛が聞こえると、二匹の雪獣せつじゅうは鬣からのぞかせた耳をピクリと動かし、熱気のこもる息を吐き出しながらうなった。


 やがて、荒々しい呼吸は穏やかなものとなり、グルルルルと喉を震わせると、目を細め、猫のように腹を地に伏せた。

 

 しばらくすると、雪獣せつじゅうの背のくらから、雪原を滑るように人が一人ずつ降りてきた。

 

 豪勢ごうせい雪獣せつじゅうの鎧とは対照的に、彼らは白い毛皮の外套がいとうで身を包み、膝下まで膨らんだ裁着袴たっつけはかまをはいて、手には革の手袋といった質素な格好だった。


 しかし、頭には顔を覆う白い頭巾をかぶっており、彼らの面貌めんぼうは見えなかった。

 

(<獣ノ番人ヴァン・カーイ>……初めて目にしたな )


 <獣ノ番人ヴァン・カーイ>は行幸の際、<言ノ葉ノ王レウ・シュマリ>の護衛を担う者たちだ。

 特殊な術で、雪獣せつじゅうを操ることが出来るそうだ。


 たしかに、これほど美しく荒々しい獣でありながら、行幸の際、雪獣せつじゅうが人を喰ったという話は聞いたことがない。


 実際に間近で雪獣せつじゅう獰猛どうもうな唸り声を聞くと、 <獣ノ番人ヴァン・カーイ>が魔法を使うと言われても、頷けてしまう。

 

 地に降りた二人の<獣ノ番人ヴァン・カーイ>は、後ろで宙を揺蕩たゆたう白龍に向き直ると、右手を高く掲げた。

 そのまま左胸にその右手を添えると、うやうやしくお辞儀をし、道の両端へと頭を垂れたまま後ずさった。

 

 二人の<獣ノ番人ヴァン・カーイ>が道を開けると、そこに大小二社のやしろを背にのせた龍が静かに降りてきた。


 ネロは頭を垂れることも忘れ、なかば口を開けて、それを見上げていた。

 

( なんと美しい……とてもこの世のものとは思えない )


 全身にぶわりと、鳥肌が立った。


 陽の光を受け止め、キラキラと反射させた体のうろこは妙にまぶしく、目を細めた。

 余計なもので着飾る必要など一切ないというように、大きな鱗一枚一枚が堅牢けんろうよろいとなっていた。


 顔は狐のようにシュッとした、端正な面立おもだちをしており、鋭い金色の瞳が、この世の全てを見通すように輝いていた。


 ゆらゆらと息をのむほど神々しい、真っ白な体を揺らめかせ、後光のように陽の光が差す中、徐々に高度を下げていく龍。


 均整の取れた美しい肉体は、長寿の大木よりも太く、尾の先は目では見えないほど先にあった。


 しかしその巨大な体とは対照的に、宙を滑るように泳ぎ、風が背に生えた細く鋭い白いたてがみを撫で、小さな鈴のような音を鳴らすだけで、龍がくうを泳ぐ姿は静寂せいじゃくそのものだった。


 その姿はまさに風の神の化身。


 太い弦のような龍のひげがネロの頭のあたりを揺蕩たゆたうと、龍は天を切り裂く鋭い足で地をしっかりと掴んだ。

 三本の屈強な指からは、陽の光に透けた長く鋭い爪が生えている。


 ネロはハッとすると、再び頭を垂れた。


 大きな社から地に階段が下ろされると、中から次々に白い衣を身にまとった神職たちが下りてきた。

 皆、顔を白い布で隠し、手には鈴、扇、大幣おおぬさなどの採物とりものを持っていた。

 中には雅楽器を手にしている者もいた。


 大きな社の中が空になると、神職たちは綺麗に整列し、一斉に最敬礼をした。


 小さな、けれど、最も豪奢ごうしゃな社の戸がゆっくりと開かれると、女性とも男性ともつかぬ人が、金色の長い髪を静かに揺らしながら、鷹揚おうように階段を下りてきた。



 —— このお方こそが言ノ葉ノ王レウ・シュマリだった。



 金糸のたれた豪華な礼冠らいかんに劣らず、さらさらと揺れる長髪は、艶やかで光り輝いていた。


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリは地に足をつけると、膝をつけるネロを見下ろした。


「ネロ……お出迎えありがとう。さぁ、面を上げて私にその顔を見せてください」


 言ノ葉ノ王レウ・シュマリはまるで風にのせるかのように、その低く穏やかな声でネロの名を呼んだ。


名を呼ばれ、ネロは興奮のあまり胸が張り裂けそうになるのを必死にこらえながら、口を開いた。


「はい……」


 返事をした自分の声が細かく震えているのがわかる。


 ネロはゆっくりと面を上げた。


 翡翠の瞳がネロを見つめていた。

 その瞳の奥には、水の底のような静寂が潜んでいた。


 輝かんばかりに白い肌に、美しい金色の髪が細く線を描く。


 まだ若く、即位して間もない言ノ葉ノ王レウ・シュマリは、何年もこの世に生き続けた老父のように、全てのものを慈しんだ微笑みを浮かべていた。


 真に権威のある者は、これほど穏やかな表情を浮かべるのかと、ネロは息をのんだ。

 

 しかし、我に返ると、再び頭を下げ、合掌しながら繰り返し頭の中で唱えた、感謝の言葉を言ノ葉ノ王レウ・シュマリにささげた。

 

「謹んで申し上げます。このたび、言ノ葉ノ王レウ・シュマリ様が、悪しき影に安寧を奪われた我らワッカの民に心を砕き、この地にその清らかな御御足おみあしをお運びくださったこと、水の民を代表し、深い敬愛と心からの感謝を申し上げます」

 

 ネロははきはきと声を発しながらも、自分が何を言っているのかまるで分らなかった。

 他人の声を遠くから聞いているかのようだ。

 

 言ノ葉ノ王レウ・シュマリはゆっくりと口を開いた。


「ありがとう……さぁ、堅苦しい挨拶はここまでにして、私に近う寄りなさい」


「……はい」


 ネロは膝の震えを必死におさえながら、ゆっくりと立ち上がり言ノ葉ノ王レウ・シュマリに近づいた。


 澄んだ翡翠ひすいの瞳を恐る恐る見上げると、清らかな人は、神々しい風の化身のすぐそばで、にこりと屈託のない笑顔を見せた。


 こうして近くで見ると、その精悍な眉の形から、男性であることがわかる。


 衣に香をき染めてあるのか、清香せいかがふわりと漂い、固まっていたネロの体を少しだけほぐした。


 しかし、笑顔を見せていた言ノ葉ノ王レウ・シュマリは、すっと表情を戻すと、ささやくように呟いた。



「ネロ……私にあなたの言葉で教えてください。何があったのかを」

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