第19話 神ノ庭
( 結局この林にも何もなかったか…… )
がさがさと
最近はずっと『におい』の消えた先の林で手掛かりを探していたが、どうやら徒労に終わってしまったようだ。
アトイは頭を抱えた。
さすがにもうお手上げだった。
広大なワッカの街をくまなく歩き回り、残るのはこの林だけだったのだ……結局何も見つけられなかったが。
南に昇った太陽がアトイの背中を温め、さわさわとあるかなしかの風が吹く。
もうこの街に来たばかりの芯の残る冷たさは鳴りを潜め、冷めた湯のような生ぬるさが頬をなぞる。
時の移ろいを感じずにはいられなかった。
( なぜだなぜだ、なぜ見つからない……!)
疑問と共に、腹から煮えたぎった湯のような怒りが込みあげてきた。
「くそっ!」
アトイは自分の足の付け根を強く殴ると、爪が食い込むほどにその拳をにぎりしめた。
分かっているんだ。お前がウェンであることは分かっているんだ。
それでも、追いかけても追いかけても煙のように手をすり抜ける。なぜ……!
そうして何度も何度も身を殴ると、アトイはその場でしゃがみこみ、膝を抱え頭をうずめた。
瞳を闇の中で閉じる。
とんとんとん……とこめかみが一定の拍で波打っていた。
肺いっぱいに息を吸い、大きく吐き出す。
それを繰り返していると、荒ぶっていた自分の呼吸音がだんだんと落ち着いてきた。
そうだ、怒っても仕方ないのだ。
何も解決してはくれない。
どれほど時間がかかろうと、何かを見つけるまで自分はひたすら歩き続けるしかないのだ……
膝に
びっしりと雑草が地面を覆う中、一本だけ凛と白い花を咲かせている。
流れる雲の影がゆっくりと緑の地を滑り、アトイを覆い隠した。
突然、ビュウっと突くように強く風がふいた。
林と
アトイは
—— 微かに、微かにだがその風に『におい』が混じっていた。
バっと立ち上がると、アトイははじけるように街へと駆け出した。
アトイがまだ林を歩きまわっていた頃、ロトルはふらふらと街を歩いていた。
この街に来てからもうどれくらいたつのだろうか……
あのそびえたつ大きな門を越えたのがずいぶんと前のように感じる。
初めは見るもの全てが新鮮で、それだけでこの街を歩くことが楽しくて仕方なかったが、最近は街の輪郭がはっきりとしない。
アトイに話したいことがたくさんある。
見たこと、感じたこと、はじめて知ったこと……不機嫌そうに眉をしかめても、きっとアトイは黙って話を聞いてくれるだろう。
決して一人きりですごしているわけではない。
宿ではサーニャと一緒に過ごしているし、街に出れば必ずネロのところは尋ねている。
ただ、それでもやっぱりアトイはどこか特別だった。
突然、とんとんと背中を叩かれて、ロトルは文字通り飛びあがった。
ばっと振り向くと、リリィが、抱えた大きな紙袋からひょっこり顔をのぞかせて、目を丸くしていた。
「ごめんなさい。呼んでもロトルさん気づかないから」
やがて、くすくすとリリィは笑い出した。
「本当に人って驚くと飛び上がるんですね」
背中を小刻みに震わせるリリィに、ロトルも安心したように肩の力を抜いた。
「お久しぶりです。ロトルさん全然遊びに来てくれないから」
悲しそうに眉を下げるリリィに、ロトルは「ごめん」と謝った。
気軽に来ていいとは言われたが、言葉通りに遊びに行くのは少し気が引けたのだ。
気にしなくていい、と言うようにリリィはふるふると首を横に振った。
「私、今お使い帰りなんです。お母さん怪我しているし」
リリィは紙袋を抱えた腕ごと、肩で持ち上げた。
上からその紙袋を覗き込むと、中には果物や野菜がぎっしりと入っていて、子供が抱えるには重そうだった。
ロトルはひょいとその紙袋を取り上げた。
「えっ!」
急に解放された腕をどうしていいのかわからないのか、リリィは両腕で宙を抱いていた。
袋から、独特な紙の香りと、爽やかな果物の香りが漂ってくる。
持ってみると実際に結構な重さだった。
「運ぶの手伝うよ」
ロトルが紙袋から小さく笑みをのぞかせると、時を止めていたリリィも、やがて、花が咲くようにぱっと笑顔になった。
「ありがとうロトルさん!」
ロトルは頷くと、小さな歩幅に合わせながら、
「あら、ロトルさん」
店につくと、足音を聞きつけたのか、店主がトタトタトタと階段を下ってきた。
びっくりしたように、手すりからのりだしロトルを見下ろしている。
この部屋は服を調整するために、何度も足を踏み入れたところだったが、こうして暖簾の奥まで入るのは初めてだった。
「どうして一緒に?」
階段を下りきると、答えを求めるように店主はロトルの隣に立つリリィを見た。
「ロトルさんと道でばったり会って、それで、荷物をここまで運んでくれたの」
リリィがそういうと、店主はロトルの抱える紙袋に目をやった。
「まぁまぁ……それはわざわざありがとうございます」
深々とお辞儀をする店主に、ロトルは首を横に振った。
「ずいぶんと申し遅れてしまいましたが、リリィの母のユシパと申します」
リリィの母は面を上げてそういうと、右手を左胸にあて、もう一度深々とお辞儀をした。 ——<
「お母さん!」
リリィがユシパの元に駆け寄る。
「この後、ロトルさんと<
「ええ、それは良いけど……」
ユシパは
ロトルは笑みを浮かべるとユシパに頷いてみせた。
—— ここに来るまでに、一緒に<
リリィの話によると、<
<
それほどまでに有名な泉らしい。
神聖な場所を軽々しく汚してはならぬ、ということで、泉までの道は特に整備もされておらず、人が足を踏み入れにくくなっているようだ。
さらに、たどり着くためには林を抜けていかなければならず、ワッカの住人や王様などウ・ラに行き慣れた者しか、案内無しで辿り着くのは難しいらしい。
ユシパは駆け寄ってきたリリィの頭に手をおき、
「日が暮れて暗くなってしまう前に、必ず帰ってくるのよ」
とリリィに言い聞かせた。
嬉しそうに頷くリリィの頭を微笑んで撫でると、ユシパは、
「娘をお願いします」
とロトルに再び、粛々と頭を下げた。
爽やかな風が吹き抜け、ロトルは思わずその神々しい景色に息をのんだ。
—— 目の前に、美しい壮大な山脈が迫りくるように聳え立っていた。
白刃のような峰は薄い雲を貫き、その切れ目から、光が幾筋かに分かれて降り注ぎ、山脈を金色に縁どっていた。
所々に緑が混じった、ごつごつとした岩肌は
リリィはお下げをそよがせて、ロトルを見上げた。
「こんな近くで<
リリィの問いにロトルはかすれた声で「うん」と頷いた。
どうしてか、うまく声が出せなかった。
「ずっとワッカに住んでるけど、いつここに来ても<
リリィはじっと
吹きぬく風がリリィの前髪を逆撫で、つるりとした広いおでこが
リリィは山脈を指さした。
「あの<
私、初めてそれをお母さんから聞いたとき、あの<
呆然と<
二人ともしばらくそうして立ち尽くしていたが、やがて、リリィが口を開いた。
「たまに想像するんです……」
そうつぶやくと、ロトルを見上げた。
「見たことない<
そういって、リリィは小さく笑みを作った。
ロトルは笑みを返すと、リリィに尋ねた。
「どんな姿なの?」
リリィは少しだけ悩むと、やがて口を開けた。
「……すごく綺麗なところです」
そういって、リリィは再び山脈へと目を向けた。
瞳がこぼれそうなくらいジッと見つめている。
「……そこはずっと春なんです。花畑が目一杯に広がって、蝶もたくさん飛んでいて……とにかく光であふれてて、ぽかぽか暖かくて……たくさんの動物が駆け回っているんです。皆楽しそうに。そんな天国みたいなところ」
目を細め、楽しそうに話すリリィを見下ろしながら、その頭の中を覗いてみたいと思った。
今、まさに彼女が頭の中で描いているその場所は、信じられないほど美しく温かいところなのだろう。
リリィは「いつか本当に行ってみたいけど……」とつぶやくと、ロトルを見上げ、眉を下げて笑った。
「実際見て、全然違ったらがっかりしちゃいそう」
「……それでも行ってみたい?」
ロトルが尋ねると、リリィは黙り込んだが、やがてこくりと頷いた。
「そっか……」
ロトルがそうつぶやくと、二人は再び口を閉じ、じっと聳え立つ<
どのようにすれば、大地を突き刺すような、これほど大きな山脈を作り出すことが出来るのだろうか。
そう問えば、これは神の
しばらく眺めていると、やがて、リリィが弱くロトルの裾をひいた。
「そろそろ<
ロトルは頷いた。
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