第5話 ワッカ
アトイの予想通り、4日後の日の落ちる前には街に着くことが出来た。
あれから共に森の中を歩き続けたが、女が何かするようなことはなかった。
アトイが食料調達のために狩りをしていると、自分も手伝うと言ってどこかへフラフラと行き、どうやって捕まえたかはわからないが、鹿を引きずって帰ってきたこともあった。
その夜はなかなか豪華な食事となり、食べきれない肉は干し肉にして携帯した。
女の観察眼にはなかなか目を見張るものがあった。
例えば、山菜をアトイがとっていると、女もいつの間にか似たようなものを集めてきた。
「……お前、食料は分からないんじゃなかったのか?」
どっさりと摘まれた山菜の山を見て、やはりあの言葉は偽りだったのかとアトイが問うと、女は目を数回瞬かせて、
「アトイが摘んだものと似たやつを採ってきた」
と言った。
確かに山菜の山の中にはキナ(ニリンソウ)と間違えたのか、毒草であるキト(トリカブト)が混ざっていた。
—— 間違えたふりをして、アトイを殺める思惑があったのかもしれないが。
キナとキトは葉の形状がよく似ているため見分けは難しく、花が咲いてからとる方が確実だ。キナは白い綺麗な花を咲かせるが、キトは紫色の花を咲かせ、その形も随分と異なる。
アトイは女が摘んできた山菜を一つ一つ確かめ、食べれるものと毒があるものをより分けていった。
女はアトイがはじき、地面に落ちた草花をつまむと、山菜と見なされた物と何度も見比べながら、じっくりと観察し、その特徴を学んでいるようだった。
しかし、なぜはじかれたのか分からない草花は、眉をしかめ、不思議そうに首をかしげ、歩いている間もジッと観察していた。
「どうしてこれは良くて、これはダメなんだろう……」
女の漏らした声が気になり、アトイはちらりと隣を歩く女の手元を見た。
女が手にしているのはシャカ(シャク)とクプネ(ドクニンジン)の葉だった。
うんうんと唸る女に耐えられなくなり、アトイはついに口をだした。
「……シャカとクプネは
驚いたように女はアトイを振り仰いだ。
「シャカとクプネは茎で見分けろ。シャカは太い茎の根元に白い毛のようなものが生えているが、クプネは血のような紅い斑点がある。
それから、臭いにも違いがある。シャカは茎をつぶしてやると、プシニ(セリ)のような爽やかな香りがするが、クプネの茎をつぶしてやると腐臭がする」
女は二つの茎の部分の臭いをかぐと、明確な違いに気が付いたのか、目を丸くした。
「……これからは見た目で判断できない山菜があったら俺をよべ。毒草を食わされても困る」
ぶっきらぼうにアトイがそういうと、女は嬉しそうに頷いた。
女がとった行動といえば、そんなことだった。
アトイに何か危害を加えるようなことはこの4日間、決してしなかった。
そして、3日と少し、森の中を歩き、今2人は
「すごく大きな門……」
女は口をぽかんと開け、見上げていた。
街門にはワッカの街の守神とされる
水鹿の雄は扇を開いたような、平たい巨大な角を持っており、この角をぶつかり合わせることで雌を取り合う。
体も非常に大きく、大きな水鹿となれば、平均男性(170cm)、二人分の大きさに匹敵する。
その名に記されたように、水鹿は一日のうち、多くの時を水の中で過ごす。
このワッカには<
門の前には、兵が二人、刃が三枚ついた大きく長い槍を携えて立っていた。
( 久しぶりだな )
アトイは口の端を上げた。
ワッカはアトイにとって思い出深い街だ。
天を仰ぐように見つめている女を置き去りに、アトイは頭巾に隠れるようにして、衣の中にしまっていた<
門兵は証を確認すると敬礼し、奥にいる別の兵に開門を指示する声をかけた。
その声を受け取った中の兵が、巨大な歯車についた太い棒を、両手で力いっぱい回し始めると、巨大な歯車が回りはじめ、ゴゴゴゴゴと地面を揺らすような低い音と共に街門がゆっくりと隙間を開けはじめた。
駆け寄ってきた女に、
「街の中ではその頭巾を絶対に外さないようにしろ……お前の髪は目立つ」
と言うと、アトイはスタスタと街の中へと入って行った。
女はぎゅっと頭巾の先を引っ張ると、小走りでその後をついて行った。
もう空には群青色が混ざり始めていた。
水に富み、物流が豊かなワッカは商人の街だ。人の出入りも多く店の数も多い。
活気のあふれる街に休みの日などなく、いつ訪れても騒がしかった。
あまりのにぎやかさに女は戸惑っているのか、それとも感動しているのか、キョロキョロとあちこちに目線を配りながら、アトイの隣を歩いていた。
「そこの!どうだい、真っ赤な林檎は!旬でよく熟れてておいしいよ!」
ビクリと隣で女が飛び上がった。
商魂たくましい果物屋の店主が大きなリンゴを手にもって声をかけてきたのだ。
アトイは頭巾を深くかぶり、浅く会釈すると断りの意思を伝えた。
歩いているだけでも様々な店の店主が声をかけてくるので、いちいち立ち止まっているときりがないのだ。
そうやって様々な
振り返ると、女はぐいぐいと玉葱を押し付けられながら商売人につかまっていた。
圧の強い商売人に、若干体を後ろにそらせながら愛想笑いをして、しきりに頷いている。
やがて、話を聞いてもらえると思ったのか、周りの店も自慢の品をもって、我こそはと女の周りに群がり始めた。
餌をもらうひな鳥のように、自慢の品を押し付けられ、女はどうしていいかわからずオロオロとしていた。
ふと、女とアトイの目があった。
女は泣き出しそうな顔をしながら、目顔で助けを求めてきた。
しかし、アトイは無情にも
もちろんその視線の意味は理解している。
背後から、
「た、助けて……!」
と叫ぶような女の声が追いかけてきたが、聞こえていないふりをした。
アトイが宿場の看板を見上げて立っていると、しわくちゃになった女がようやくアトイに追いついた。
あれからもたびたび人に揉まれていたようだったが、女はアトイの言いつけを守り、頭巾の先をぎゅっとつまんで髪だけは見られないようにして歩いていた。
ムスッとむくれ、何か言いたげな女の顔を
からからと木が擦れ合う柔らかな音が響き、やがて、扉がゆっくりと閉まった。
そして間を置かず、再びカラカラと柔らかい音が、背後から追いかけてきた。
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